- 実高ふれ愛隊で~す!
山深き大聖寺川の上流の旧九谷村。山中温泉からさらに約9km離れた奥山中で「古九谷」が
生まれました。1655(明暦5)年頃、九谷で創出された磁器は、日本色絵磁器の礎となりました。
青(緑)、黄、赤、紫、紺青。濃厚な色彩が自由闊達にえがかれる上絵は九谷焼の源流といえます。
「古九谷」の伝世品のひとつに金沢美術工芸大学元学長北出不二雄氏が所蔵する
『古九谷梅樹七宝図小皿』があります。この作品は北出不二雄氏の父、
九谷焼の名工として知られた故北出塔次郎氏(1898~1968)が「古九谷」として入手し、
不二雄氏に受け継がれたものです。
塔次郎氏は昭和42年4月、この色絵の箱書に自筆で次のように書かれています。
「梅樹七宝図小皿に就て
小皿、向附など生活用品の小物の中には現在古九谷と称する伊万里素地の物が可成混在する。
本品切立小皿は地物の一標本と見てよいと思ふ。素野な高台の削り歪みぐせのある素地杯土、
白釉の肌色、そして縁造りのそれとなく滲み出た品位などの可憐さは古九谷素地のよく特色を出している。
文様の布置は大胆に四つ割にとり七宝の緑と黄、残る二面に梅の老木を描き枝を省略して蕾と花を
結びつけるか如く描き上げるさままことに心憎く稀に見る意匠的図柄である。」
実はこの『古九谷梅樹七宝図小皿』は世に言われる”古九谷伊万里説”に見直しをせまる有力な科学的
データをもたらしました。
平成13年に東京理科大学の中井泉教授が行った「スプリング・エイト」を使ったエックス線による測定により、
『古九谷梅樹七宝図小皿』の成分が、加賀地方で見つかった磁器の生地の成分と近いことが明らかに
なったのです。この科学的なデータは”古九谷伊万里説”の反論材料としてとても重要なものです。
九谷焼の名工・北出塔次郎氏がその目で「これはまさしく九谷で焼かれた古九谷だ」と見抜いた眼力と、
その子である不二雄氏の「古九谷」をひたすら愛する思いが、この客観的データを生み出したといえます。
今後の研究がとても楽しみです。
(レポートにあたっては、石川県九谷焼美術館の資料を参照させていただきました。)