実高ふれ愛隊日記

-石川県立大聖寺実業高校情報ビジネス科課題研究ブログ-

北前船主・広海・大家御両家の歴史が残る瀬越町

2013年04月29日 | 日記

隊員NO.4まこで~す(^_^)v

 

4月27日(土)に行われた加賀市観光ボランティア大学第2回講座

 加賀海岸の自然と蓮如の里」で北前船の歴史が残る瀬越町を歩いてきました。

瀬越町はかつて「北前船主の里」として知られている橋立町よりも、

さらに大きな財力を持っていた広海(ひろみ)大家(おおいえ)家があった町です。

何と瀬越町には日本で最初に舗装道路が作られたんですよ(現在の竹の浦館前)。

今も残る大家家の屋敷の前を歩きましたが、北前船が盛んだった時代を

今に伝えていました。屋敷の門が立派で、塀の釘一本一本がとてもしっかりしていました。

広海家の屋敷は今はなくなり、整地されていましたが、とても広かったことが分かります。

19世紀後半、瀬越には12~13人の北前船主がいました。それ以外にも瀬越には

「知工」(事務係)、「表」(航路の案内係)、「水夫(かこ)」(水夫)、「炊(かしき)」(炊事係)を

つとめる人びとが暮らしていて、瀬越北前船は切っても切り離せない関係でした。

そして大家・広海両家のことを町の人たちは敬愛をこめて御両家と呼んでいたそうです。

大家・広海両家は瀬越小学校(現在の竹の浦館)の建設や瀬越町内にある白山神社の

鳥居奉納に大きな力を注ぎました。現在でも、北前船が盛んだった頃の面影が、

大家家の屋敷、町内に残るいくつかの倉、白山神社や公民館の船絵馬(北前船の航海の

安全を祈願して作られた絵馬)などから伺うことができます(白山神社や公民館にあった

絵馬は現在、橋立の北前船の里資料館に展示されています)。

みなさん、このゴールデンウィークに、竹の浦館でおいしいおにぎりでも食べて、

ゆっくりと瀬越の町を散策してみられてはいかがですか?

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