情報ビジネス科3年あんりです!
4月11日(木)の加賀市観光ボランティア大学第1回講座
「大聖寺藩いいとこつかみどり-たった1時間であなたは歴史通に-」で
講師の江沼地方史研究会・伊林永幸先生から大聖寺藩の歴史について
教えていただきました。
皆さん、大聖寺の城下町って、いつ頃できたかご存じですか?
伊林先生のお話によると、その成立時期についてははっきりしないそうですが、
少なくとも前田家が支配するようになる前であったことは確かだそうです。
そして、その根拠を大聖寺町の町割りから探ることができるそうです。
城下町の町づくりは、織田信長・豊臣秀吉の時代までと徳川家康の時代
以降では違いがあります。下の図をクリックしてください。
クリックしてください。赤く塗ったところが町です。↑
図の左は織田信長・豊臣秀吉の時代までの町割り(上方風)ですが、
道路を挟んで町が作られるのが一般的でした。
しかし、徳川家康の時代以降(江戸風)では図の右のように、
道路に囲まれた四角の部分で町が作られました。
大聖寺の京町や本町のようなもっとも古くにできた町は左の図のように
道路を挟んで作られていますので、織田信長・豊臣秀吉の時代
すなわち前田家が支配する前の溝口秀勝(1584~98年)や
山口宗永(1598~1600年)がお殿様だった頃に町ができていたと
考えられるのです。
また上方風の道路を挟んでつくられた町では、ふつう背戸(家の裏側)に
排水溝が作られます。そして大聖寺の京町や本町などの古いお宅では、
裏庭の部分に排水溝があった跡がよく見られるそうです。
それに上方風の町では台所やトイレは排水溝がある家の奥の方に
つくられることになりますが、大聖寺の古いお宅では、水回りが家の奥に
あることが多いそうです。(江戸風の町では上方風とちがって、
排水溝は家の前にあり、台所やトイレは家の前の方にあります。)
先生のお話をお伺いして、歴史っていろんなことから分かるのだなぁと
とても勉強になりました。