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実高ふれ愛隊日記

-石川県立大聖寺実業高校情報ビジネス科課題研究ブログ-

「つながっていく」ということ・受け継がれる真宗の教え

2013年12月18日 | 日記

隊員NO.7ゆっこで~す

12月10日の課題研究の時間、わたしたちは、因乗寺ご住職・家山勉先生とご一緒に、

小松市矢田野町の「グループホームやたの」を訪問させていただきました。

この日は、月に1回家山先生が訪問される日です。「グループホームやたの」では、

この2ヶ月の間に亡くなられた3人の入所者の方の法要が行われることになっていました。

「ふれ愛隊のみなさん。今日は、正信偈(しょうしんげ)の後、グループホーム管理者の

岩尾さんが、亡くなられた3人の方のことをお話しされます。集まりの中で、どんなふうに

お話がされるか、聞いてみてください。」と家山先生はおっしゃっていました。

グループホームやたの」の集会が開かれるスペースには、わたしたちを含め、40人

近い方が集まりました。入所しているおばあちゃんたち、スタッフの皆さんだけでなく、

そこにはホームがある地元矢田野町の方々がたくさんおいでていました。

家山先生の正信偈始まると、参加者全員が大きな声で正信偈を合唱されました。

わたしたちもまわりの参加者の方々に励まされながら、一生懸命正信偈を詠みました。

集会スペースには、みんなの声が響き渡ります。何か不思議なことですが、その場が

一つにつながっていくような気がしました。正信偈が終わると、管理者の岩尾さんが、

今回亡くなられた3人の方ことについて静かに話しを始められました。

「Aさんは、とってもハイカラで明るい97才のおばあちゃんでした。コンピュータがお得意で、

アメリカに住んでいる娘さんとスカイプというテレビ電話でお話しすることを毎日楽しみにして

おられました。Bさんはとってももの静かなおじいちゃんでしたね。本が読んだり、外をながめる

ことがお好きでした。最期はとっても静かに息を引き取られました。Cさんは、ご夫婦で入所

されました。仲のいいお二人でしたが、奥さんが体の都合で、他の施設に移られることになり、

少しお寂しかったかもしれません。3人の方はお医者さんの往診を受けられていましたが、

最期はご家族に見守られて息を引き取られました。

日本では、8割の方が病院という白いカベの中で亡くなられているのが現実です。一方、

ヨーロッパでは、5割の方が自宅やグループホームで最期を迎えられています。

死は特別のことではなく、ごく自然に迎えるものです。尊い3人の方の命がいま全うされたことを、

みなさんとご一緒に確認させていただきました。今日はご参加いただき、ありがとうございました。」

岩尾さんのお話で、亡くなられたおじいちゃんやおばあちゃんの生前のお姿が目に浮かんで

くるように感じられました。

岩尾さんのお話の後、わたしたちはお菓子をいただきました。参加者の方々は、お菓子を

いただきながら、口々に亡くなられた3人の方のことを話されていました。

「格差社会になったといわれる今こそ、人と人がつながっていくことが大切なんですよ。」と

家山先生は話されていました。今回のグループホーム訪問で、先生の言葉の意味が

少し分かったような気がしました。

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「看取る」ということ・受け継がれる真宗の教え

2013年12月17日 | 日記

隊員NO.6れいなで~す

因乗寺ご住職・家山勉先生からお聞きした「浄土真宗とわたしたちとのつながり」に

ついてのレポートをさせていただいてます。

「"格差社会"になったといわれる日本にあって、社会から排除されようとしている

立場の人びとに寄り添い続けることが、今、わたしたち真宗の僧侶ができる社会的

とりくみだと思っています。」と家山先生は話されました。そして、

「今、わたしたちが暮らす加賀という地域の中で、もっとも社会から排除されやすい

立場に置かれているのが、高齢者だといえるのではないでしょうか?高齢者の多くが、

貧困化・単身化・超高齢化といわれる中、一人ぼっちで、誰にも顧みられることなく、

一生を終えています。そして全国で数十万人もの高齢者がついの棲み家として、

老人福祉施設で生活され、その数倍の方々が老人福祉施設に入所できないまま、

その順番を待っておいでます。

一人の人間が死を迎えるということは、『自分の人生を完成させていく』ということ。

それなのに、死んでいく人が、病院や施設という社会から隔絶された場所で、

人としての人生を十分顧みられないままになっているのが現実なのです。

ちょっとしたら、今ほど、高齢者の存在が粗末に扱われている時代はなかったかも

しれません。今、わたしたちは"看取り"ということを大切にしたいと考えています。」

加賀市には、約40の老人福祉施設があり、その人口あたりの割合は、全国的に

みると多いそうです。 家山先生が、大聖寺教区に所属する真宗大谷派僧侶の方々

とともにこの8年間地道に活動されてきていることがあります。

それは、グループホームへの月に一度の訪問です。

「グループホームのスタッフや地域の方々、入居者みんなで、一人のかけがえのない方の

人生が終わっていったということを確認する場。どんな死に方、どんな人生の送り方をされた

のかをみんなで"看取る"。孤立する高齢者と社会との関係性をもう一度つなぎ合わせる

ためにも、入居者の方が亡くなられたら絶対に法要をするよって、わたしは約束して

いるんです。」

社会の中の弱い立場の人びとの心を一つに結びつけてきたのが、真宗の教えです。

家山先生は、加賀の地域にずっと受け継がれてきた真宗の教えを今"看取り"という

行為通じて、形にされようとしているのではないでしょうか。

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受け継がれる真宗の教え・「排除される側に寄り添う」ということ

2013年12月16日 | 日記

隊員NO.5いくので~す

昨日までのブログで、15世紀に吉崎にやってきた蓮如が広めた浄土真宗の教えが、

その後の加賀の人びとの生き方にどのような影響を与えてきたのかということに

ついてレポートさせていただきました。

それでは、真宗門徒が全国一多いとされる今の加賀で、「真宗の教え」はどのように

して受け継がれているのでしょうか?たしたちは因乗寺住職・家山勉先生にお話を

していただきました。先生、貴重なお話をありがとうございました。

今の日本社会は「格差社会」になったといわれています。

「豊かな人」←→「貧乏な人」、「えらい者」←→「えらくない者」、

「勝ち組」←→「負け組」、「排除する側」←→「排除される側」。そのような社会の二極化が

どんどん進んでいるそうです。それでは、このような「格差社会」の中で、

加賀における浄土真宗は、一体何を伝えようとしているのでしょうか?

家山先生は「みなさん、今の格差社会はあの一向一揆の時代と似ていると思いませんか?」

とお話しされました。確かに「インターネットを使ってたった3分間で1億5千万円をもうけた

女性」のニュースがある一方、「ワーキング・プア」といわれる年収200万円以下の人びとが

たくさんいる話を聞くと、家山先生のおっしゃったことはもっともだと思います。

「"ただあきなひをもし奉公もせよ、猟漁(りょうすなどり)をもせよ"と説き、貧しい百姓たちに

生きる勇気を与えた蓮如の教えは、今にもあてはまるものです。わたしたちは、真宗の教えを

今の格差社会にあって、あくまでも"排除される側に寄り添う"ことで、伝えていきたいと

考えています。」

家山先生をはじめとする真宗大谷派の皆さんは、「ハンセン病」「」などの問題で

起こっている社会的な差別にかんする活動をされています。

「今、わたしたちが生活している地域において、もっとも大きな問題が、高齢者の方々の

おかれている立場のことだと思うのです。高齢者は今の社会の中で、いやおうなく

"排除される側"に立たされています。わたしたちは今"看取り"という問題について、

多くの皆さんと一緒に真剣に考えていきたいと思っています。」

わたしたちは、家山先生をはじめ真宗大谷派の皆さんが、地道に行っておいでる

グループホームでの活動を見学させていただくことになりました。

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北陸真宗門徒の東北「移民」・新しい社会を求めて!!

2013年12月15日 | 日記

隊員NO.4まこで~す

12月10日の課題研究の時間に、家山勉先生から浄土真宗とわたしたちとの

結びつき」について教えていただきました。

江戸時代後期、厳しい幕藩体制の中、当時の農民たちは自分の生まれた土地から離れる

ことを堅く禁じられていました。しかし、そのような中で、北陸のとっても多くの浄土真宗

門徒だった農民が、藩の目を盗んで、東北地方に「移民」として移っていった歴史がある

そうです。彼らはなぜ身の危険を冒してまで、東北地方に移住していったのでしょうか?

16世紀末、加賀の農民たちは、徹底的な一向一揆弾圧によって、「侍がえらくて、

農民は従うのみ」という身分秩序に組み込まれていきました。

豊臣秀吉が行った「刀狩り」や前田利家らが行った残酷な「撫(な)で切り」は、

それまで「仏の前ではみな平等」という真宗の教えを心の支えに戦い続けた加賀の

農民の行動に大きな影響を与えたといえます。武器を持つことを許されなくなった

北陸の農民たちは、仏法の説く平等な社会を夢見ながらも、現実社会につくられた

幕藩体制の中で、我慢強くひたすら毎日を生き抜こうとする生活態度を身につけて

いったと思われます

そんな時代にあって、1780年代に起こった「天明の大飢饉」という大災害は、

特に東北地方に甚大な被害をもたらし、東北地方では多くの農民たちが餓死し、

人口が急減しました。そして東北各藩の財政は困窮をきわめていました。

東北の人びとの間では、食料難を解消するため、「間引き」が行われることが多かった

そうです。また一度領地を離れてしまうと、幕府の「旧里帰農令」が出されても、

なかなか人びとが領地に戻ることはなく、農耕地は荒れ果てていました。

そのような状況の中で、東北各藩の藩主たちが注目したのが、北陸の真宗門徒の

農民たちだったのです。真宗の教えから「間引き」という習慣を持たず、長男以外には

土地の相続が許されなかった中でも、我慢強く働き続けるという北陸の人びとを

東北に移住させて、藩の財政を建て直そうという政策が実行されたのです。

北陸真宗門徒の東北移民がとくに顕著に見られたのが、今の福島県南相馬市一帯に

あった陸奥中村藩だったそうです。教線拡大を図った真宗僧侶の動きとも関係しながら、

幕末までに約1万人もの北陸の人びとが移り住んでいます。

家山先生は、ここに北陸真宗門徒のもう一つの側面があらわれていると言われました。

「一向一揆の終焉によって、北陸の百姓たちが権力者の前に、ただただ従順な民に

なっていたとしたら、藩の決まりを破るという危険を冒してまで、東北に行くことは

決してなかったはずですよね。北陸の百姓たちは、『百姓の持ちたる国を作りあげた

ときと同じように、江戸時代になっても自分たちが理想とする"みんなが平等な新しい社会"

を作り出そうという夢を持って、遠い新天地に旅立つ決意をしたのではないでしょうか。」

東北に移り住んだ北陸の真宗移民たちの前には、痩せた土地との激闘や「加賀者」

「越中者」「入百姓」と呼ばれるような差別との戦いがあったそうです。しかし彼らは、

理想社会の実現に向け、ひたすら新天地で働き続けたのです。

このような北陸の真宗移民たちが多く移り住んだ福島県相馬地方に、2011年3月11日、

東日本大震災にともなう大津波が襲いました。そして福島原子力発電所から放出した

放射能により、北陸の真宗移民をルーツにもつ相馬地方の人たちは、住み慣れた

故郷を奪われ厳しい避難生活を余儀なくされています。

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天明の大飢饉と「北陸真宗門徒」の東北移民

2013年12月14日 | 日記

隊員NO.3ゆかぴで~す

浄土真宗とわたしたちとの結びつき」をテーマに因乗寺住職・家山勉先生

から教えていただいたことをもとにレポートさせていただいています。

みなさん、茨城県の鹿島灘に面する鉾田(ほこた)市に、「江沼」さんという名字の

方がたくさんおいでることをご存じですか?

江沼」といえば、現在わたしたちが生活する加賀市の旧称ですが、あまり「江沼」さん

というお名前を地元では聞きません。なのに、遠く離れた太平洋側の鉾田市に、

江沼」さんという名字の方がたくさんおいでるのはなぜでしょうか?

実はそれは、江戸時代中期の1782(天明2)年から1788(天明8)年にかけて起こった

天明の大飢饉(ききん)という未曾有の自然災害と関係あるのだそうです。

そして鉾田市の「江沼さんたちのご先祖は、当時の大聖寺藩に住んでいた真宗門徒

移民だったといわれています。

今から約250年ほど前の1780年代、日本全国の農村部は、悪天候や冷害という大災害に

おそわれ、農産物の収穫が激減し、社会全体は大変疲弊しました。1783(天明3)年には

岩木山や浅間山が次々と大噴火し、各地に火山灰を降らせただけでなく、日射量の低下に

よる冷害は東北地方や関東東北部など広い範囲におよびました。とくに東北地方の被害は

深刻で、食糧不足のため、数万人もの人たちが餓死したといわれます。全国的にも

天明の大飢饉といわれる期間には100万人近い人口の減少がみられました。

東北の農民たちは、食べ物を求め、やむなく江戸へと流れ込んだといいます。この時期

江戸では、米屋への打ちこわしが激増し、治安は大いに乱れました。

東北各藩は、農村部の壊滅という失政を理由とする藩の改易(幕府によるお取りつぶし)を

恐れ、被害の実態を隠そうとしました。徳川幕府も年貢増徴をめざした田沼意次の重商主義的な

農業政策がいきづまりをみせ、頭を抱えたのでした。

東北地方の各農村では、食糧不足を少しでも解消するために、生まれてきた子どもたちの命を

奪う「間引き」という習慣が後を絶ちませんでした。東北では、人口が大幅に減少し、労働力の

圧倒的な不足のため、耕地は荒れ果て、ひいては各藩の年貢収入は減少する一方でした。

家山先生は、「この時期、北陸に住むとっても多くの真宗門徒たちが、東北地方に移民しました

そしてこの移民は、東北地方各藩の藩立て直しという事情だけではなく、北陸に住んでいた

真宗門徒たちが、「百姓の持ちたる国」がなくなったあとも、ずっと心に持ち続けていた

『新しい社会をつくっていこう』という気概と関係していると、わたしは考えています」

と説明してくださいました。

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一向一揆への大弾圧・「釜茹(ゆ)で」・「撫(な)で切り」とは?

2013年12月13日 | 日記

隊員NO.2ゆきちで~す

 

浄土真宗とわたしたちとの結びつき」をテーマに因乗寺住職・家山勉先生

から教えていただいたことをもとにレポートさせていただきます。

1580(天正8)年閏3月9日、織田信長の軍勢が金沢(尾山)御坊を攻め、

陥落させました。ここに加賀の一向一揆が100年近くにわたって築いてきた

百姓の持ちたる国」が崩壊していきます。

天下統一をめざす織田信長にとって、最大の敵は武田信玄や中国の武将・毛利でも

なく、「仏の前にはみな平等」という信念にもとづいてどこまでもどこまでも戦い続ける

浄土真宗の門徒だったのです。

織田信長は一向一揆の勢力を根絶やしにしようとしました。そして、のちに加賀百万石

の基礎を築いた前田利家も、一向一揆に徹底的な弾圧をくわえた一人でした。

現在の福井県越前市にある小丸城跡で発見された一向一揆文字瓦」という史料があります。

此書物後世ニ御らんしら、御物かたり可有候、然者五月二十四日いき(一揆)おこり、

其のまま前田又左衛尉殿いき(一揆)千人はかり、御せいはい(成敗)ハ、いけとり門の

させられ候、はツつけ(磔)、かま(釜)ニい(煎)られ、あふられ候哉、如此候、

一ふて(筆)書ととめ候

この史料は、当時、越前府中(現越前市)の領主だった前田利家が、一向一揆人びとを

1000人生け捕りにし、磔(はりつけ)、釜茹での刑にしたことを示しています。なんて残酷な

ことでしょう。「俺たちに刃向かうとこうなるぞ!」っていう見せしめとして、みんなの目の前で、

ぐつぐつと茹で上がる熱湯や油の中で、家族や友人が処刑されていくんです。

このような大弾圧は加賀の真宗門徒にとって、衝撃であり、現実に「みんなが平等な社会」を

つくることの難しさを心の奥まで刻み込ませる出来事になりました。

家山先生は、「いまの金沢市諸江町の河原でも、700人の人びとが釜茹(かまゆ)でに

されました。そして一向一揆として最後まで抵抗した鳥越村の人びとは、男も女も年寄りも

子どももみんな、撫(な)で切りにされ、村の人びとが絶えてしまったといわれています。

目の前で家族や友人が殺されていく。この現実は、この社会の矛盾は変えられない。

だから心の中での安定を求めていこう!死んだ後には、みんな平等な社会に行けるの

だからという、当時の加賀の人びとの信仰の大きな変化をもたらしたにちがい

ありません。と説明されました。

現在の石川県は「保守大国」といわれるそうです。真面目で我慢強い、勤勉であると

評価される一方、「長いものには巻かれろ!」という考え方が目立つとか、

「ハッキリものを言わない」という批判を、他地域の方から受けることもあるそうです。

それでは、加賀をはじめとする北陸の人たちの信念や行動様式が、

百姓の持ちたる国時と、180°変化したと言えるのでしょうか?

家山先生は、「そうではありません!」とおっしゃって、江戸時代にあった真宗門徒の

動きについてお話しされました。

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「百姓の持ちたる国」の後に起こったこと

2013年12月12日 | 日記

隊員NO.1いぶで~す

 

浄土真宗とわたしたちとの結びつき」を探るわたしたちは、12月10日(火)の

課題研究の時間、まずは庄地区公民館にお伺いして、因乗寺住職・家山勉先生

から、加賀の一向一揆を生み出した時代的背景やその後の歴史的な流れについて、

お話しいただくことになりました。この日は、とっても寒い一日だったのですが、

家山先生には、わざわざわたしたちのために、暖かいお味噌汁をご用意して

いただきました。先生、本当にありがとうございました。

1471(文明3)年、吉崎にやってきた蓮如上人は、加賀をはじめとする北陸一帯の

人たちに「仏の前では、どんな身分の人間も平等なんだよ。」という浄土真宗の教えを

伝えることになりました。蓮如上人との出会いは、経済的に力を蓄えてきた北陸の

人たちに自信と勇気を与えます。当時は室町時代とよばれる封建制社会でしたが、

社会の下層に位置し、いつも権力者の横暴に苦しめられていた北陸の百姓たちは、

「本来平等であるはずの社会が、生まれが違うということだけで、不平等に満ち満ちている」

という矛盾を自覚し、公然と支配者に対して反旗を翻していきました。

これが加賀の一向一揆の始まりです。そして、ついには1488年の長享の一揆で、

かれらは守護大名・富樫政親を倒し、この加賀の地に百姓の持ちたる国」を

100年間にもわたって、確立していったのでした。

それでは、その後、ここ加賀の地で、どんな変化があったのでしょうか?

室町時代の終わり(戦国時代)になると、真宗の力で結束する一向宗門徒の力を

全国統一をめざす戦国大名たちは、とっても恐れるようになります。

家山先生は「みなさん、テレビや教科書で織田信長や豊臣秀吉といった武将のことを、

よく知っているでしょう。そして前田利家や奥さんのまつは、加賀百万石を築いた人として、

百万石パレードで有名ですよね。でもね、真宗の教えに結束し「百姓の持ちたる国」を

守っていこうとする当時の加賀の人びとから見ると、かれらは強力な侵略者の立場

だったといえるのですよ。」と、話されました。

「仏の前では、みな平等」という浄土真宗の教えに結びついていた加賀の人びとに、

戦国の世は一体どのような変化をもたらしたのでしょうか?そして、一向一揆を起こした

加賀の人たちの信仰のあり方に大きな変化を与えたこととは何だったのでしょう?

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グループホームを訪問させていただきました。

2013年12月11日 | 日記

隊員NO.7ゆっこで~す

「帰命無量寿如来(きみょ~むりょ~じゅにょら~い)

南無不可思議光(なむふ~か~しぎこ~)」

家山勉ご住職のお声に合わせて、わたしたち実高ふれ愛隊の7人は、

正信偈(しょうしんげ)』を詠ませていただきました。

12月10日(火)の課題研究の時間、わたしたちは小松市矢田野町にある

グループホーム「やたの」を訪問させていただきました。

今回わたしたちに顧問の先生から与えられた研究テーマは、浄土真宗が

盛んといわれるこの加賀市で、真宗の教えって、現代のわたしたちとどう結びついて

いるのですか?」というとっても難しいものです。わたしたちは頭を抱えてしまいました。

そして今回、こんな難しい課題に挑むわたしたちの先生になっていただいたのが、

庄町にある真宗大谷派因乗寺のご住職・家山勉先生なのです。

家山先生はおっしゃいました。「それでは、わたしたちが行っているグループホームでの

活動を7人が見学してみてはどうですか?グループホームには、ともすれば今の社会

から切り離されて生きざるをえない認知症のおじいちゃん・おばあちゃんがおいでます。

そのような中で、わたしたちが施設の方々地域の人たちと協力し合いながら、

ずっと取り組んでいる活動があります。毎月行っているごくごく小さな営みかもしれませんが、

この活動を見学することで、みなさんの研究テーマのヒントが見つかるはずです。」

5~600年も前の一向一揆の時代から、この加賀で大切にされてきた浄土真宗の教えとは

一体何なのでしょうか?そして勤勉で、我慢強いといわれる北陸の人間と真宗のかかわりは?

さらに現代に生きているわたしたちの心に、真宗の教えは何を訴えようとしているのでしょうか?

普段は宗教の問題にとっても無頓着なわたしたちですが、グループホーム「やたの」での

活動や家山先生から教えていただいたことをまとめながら、レポートをさせていただきます。

よろしくお願いします!!

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再録・加賀が「百姓ノ持チタル国」だった時代

2013年12月10日 | 日記

隊員NO.6れいなで~す

12月10日(火)の課題研究の時間で、庄町にある真宗大谷派因乗寺の

ご住職・家山勉先生にわたしたちの先生になっていただきます。

わたしたちが住む石川県は「真宗王国」といわれる土地柄で、浄土真宗系の寺院が

たくさんあります。たとえば、真宗大谷派の寺院は、全国に8,600あるそうですが、

大聖寺教区に36、小松教区に100、金沢に800、能登に600もあって、

石川県だけで、1,500を超えるほどです。(ちなみに四国の愛媛県には4つしか

ないそうです。)このような石川県では、古くから浄土真宗教えが、人びとの心に

大きく影響を与えてきているはずです。

家山先生には、昨年の先輩たちが「加賀の一向一揆」について教えていただきました。

今回は、昨年の加賀が百姓の持ちたる国」だった時代についての記事を再録

させていただきます。よろしければ、タイトルをクリックして、お読み下さい!!

(1) 「長享の一揆(1488年)・『百姓の持ちたる国』の誕生」

(2) 「『一向一揆』についてのインタビュアーになってください!」

(3) 「加賀の人間と浄土真宗のむすびつき」

(4) 「『加賀の一向一揆』・蓮如にはなんと27人の子どもがいました!」

(5) 「加州三ヵ寺・蓮如が組織化した『百姓の持ちたる国』」

(6) 「『加賀の一向一揆』と対立を続けた越前朝倉氏」

(7) 「大小一揆(1531年)・地方分権?それとも中央集権?」

(8) 「山田光教寺跡に行きました!」

(9) 「必見!蓮如ゆかりの徳性寺(山中町菅谷)」

(10) 「大内町・蓮如を助けたおさよ婆さんと般若ヶ窟」

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再録・「蓮如と加賀の一向一揆」

2013年12月09日 | 日記

隊員NO.5いくので~す

4月から行ってきたわたしたち実高ふれ愛隊の活動も「まとめ」の時期になりました。

12月10日(火)の課題研究の時間には、庄町にある真宗大谷派因乗寺の

ご住職・家山勉先生が継続して行っておいでるグループホームでの活動に

同行させていただくことになりました。

北陸は全国でもっとも真宗門徒の多い地帯で、加賀市に住むわたしたちの日常生活

の中には真宗地帯ならではの特質があるそうです。いまの社会にあって、ご住職が

真宗の教えをもとに、認知症のおじいちゃんやおばあちゃんとどのように向き合って

おいでるのか勉強させていただきます。

家山先生には、昨年の先輩たちが「蓮如と加賀の一向一揆」について教えていただきました。

今回は、昨年の「一向一揆」についての記事を再録させていただきます。

よろしければ、タイトルをクリックして、お読み下さい!!

(1) 「『加賀の一向一揆』とは何か?」

(2) 「加賀の一向一揆の背景・寛正の大飢饉(1461年)」

(3) 「加賀の一向一揆・人びとが行動するため必要だったものは?」

(4) 「加賀の一向一揆・加賀の人びとと蓮如の出会い」

(5) 「吉崎御坊・生きる喜びと勇気を感じとった人びと」

(6) 「吉崎御坊・蓮如はなぜ北陸を布教の地として選んだのか?」

(7) 「加賀の一向一揆・長い冬が百姓を自立させた!」

(8) 「吉崎御坊って実は要塞(ようさい)だったのです!」

(9) 「文明六年の一揆・『利』と『欲』の時代に生きた加賀の人びと」

(10) 「『女人正機』を説いた蓮如と嫁威(おどし)の伝説」

(11) 「長享の一揆(1488年)・『百姓の持ちたる国』の誕生」

加賀が真宗王国といわれるのには理由があるのです。今から500年ほど前に

蓮如さんが吉崎に来て、加賀の人びとに勇気と自信を与えた歴史が関係して

いるのですね。

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女子制服がリニューアルしま~す!!(2)

2013年12月08日 | 日記

隊員NO.3ゆかぴで~す

昨日のブログでお伝えしましたように、わたしたちの大聖寺実業高校では、

来年度創立50周年を迎えるのを機に、女子の制服をリニューアルします!

今回、大聖寺実業高校の新制服のモデルを務めてくれたのは、15才の新人タレント・

濱頭優(はまがしらゆう)さんです。あのももいろクローバーZや北川景子さん

などが所属するスターダストプロモーションのタレントさんで、福井県出身

だそうです。

今回、新制服のポスター作成のため、モデルとして協力していただきました。

キュートで、とっても新制服が似合ってますね。優さんのご活躍を実高生

みんなで、応援します。頑張ってくださいね!

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女子制服がリニューアルしま~す!!

2013年12月07日 | 日記

隊員NO.2ゆきちで~す

今日は実高のホットなニュースをお届けします。

わたしたちの大聖寺実業高校では、来年度創立50周年を迎えるのを機に、

女子の制服をリニューアルします!

 新しい制服には「実高がよりアグレッシブな学校になるように」との思いを込めて、

「赤」がポイントとしてふんだんに使われています。この制服を決める際には、わたしたち

在校生も最終案をまとめるための投票をしました。みなさん、どうですか?とっても素敵な

制服でしょう!知的で都会的な感覚がただよう実高の新制服は、業者さんの間でも高評価

だそうですよ。

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「卵立てバトル 実高vs片山津小」を開催しま~す!!

2013年12月06日 | 日記

隊員NO.1いぶで~す

ちょっと先のお話ですが、わたしたち実高ふれ愛隊の活動について

お知らせします。

来年(2014年)1月25(土)・26日(日)の2日間にわたって、

アビオシティ加賀セントラルコートで開催される第20回「実高展」の

特別企画として、「中谷宇吉郎『立春の卵』大実験-卵立てバトル2014-

行います。司会進行はわたしたち実高ふれ愛隊の7人。当日は片山津の

片山津小学校6年生の皆さんをお招きして、中谷宇吉郎博士の随筆立春の卵』に

ちなんだ「卵立て競争」を行います。みなさん、是非応援に来てくださいね!!

第20回(平成25年度)「実高展」特別企画

中谷宇吉郎『立春の卵』大実験

 「卵立てバトル 2014」

片山津小6年 VS

       大聖寺実業高校

日時:2014年1月26日(日)12時30分~

場所:アビオシティ加賀センターコート

協力:中谷宇吉郎雪の科学館

(ルール) 5人1組のチーム戦。5分間で何回卵が立つかで勝負!!

さぁ、「片小」勝つか?「実高」勝つか?

◇『立春の卵』とは?◇

昭和22年2月6日の朝、日本中は『立春の卵』の話題で大騒ぎになりました。

「立春の日には卵が立つ」という中国の故事の再現実験が、日本や中国だけ

でなく、アメリカやイギリスでも成功したと、新聞各紙が写真つきで報道したのです。

ところが、その記事を読んだ中谷宇吉郎博士は、すぐに実験を開始し、

卵が立つのは「立春の神秘」などではなく、いつでもどこでも「物理的に可能」なこと

(=接点が3つあれば立つ)を実証したのです。中谷宇吉郎博士は「卵は割らなくても

立つこと」を証明し、「コロンブスの卵」以来の人類の常識をくつがえしたのです。

中谷宇吉郎博士は、この逸話を立春の卵』という随筆で発表しました。

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「卵は立ちます!中谷宇吉郎『立春の卵』大実験」(再録)

2013年12月05日 | 日記

隊員NO.7ゆっこで~す

11月の加賀市観光ボランティア大学で片山津温泉「中谷宇吉郎雪の科学館」を

訪問しました。ここで今年2月2日付けで、あやか先輩がレポートされた

卵は立ちます!中谷宇吉郎『立春の卵』大実験」の記事を再録させて

いただきます。みなさん、って立つんですよ!!どうぞお読み下さい!!

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立春」は「冬至」と「春分」のちょうど中間で、あったかい地方では梅も咲き始めます。

ところでみなさん、加賀市片山津出身の物理学者・中谷宇吉郎が書いた『立春の卵』という

随筆をご存知ですか?そしてを割らずに立てることができるって知ってましたか?

先日、「中谷宇吉郎・雪の科学館」の指定管理を受託しているNPO法人

「 I Love 加賀ネット」の理事長・川口泰之さんからお電話をいただきました。

「ブログ拝見してますよ。頑張ってますね。実高ふれ愛隊の6人は、中谷宇吉郎の

立春の卵』のこと知ってますか?」とおっしゃって、立春の卵』のことを

教えて下さいました。

「昭和22年2月6日の朝日本の新聞各紙は、日本や中国だけでなく、アメリカや

イギリスでも、立春の日にが立つ』という中国の故事の再現実験が行われ成功したと、

写真つきで報道し、日本中が立春の卵』の話題で大騒ぎになりました。

ところが、その記事を読んだ中谷宇吉郎は、朝食後すぐに実験を開始し、

卵が立つのは「立春の神秘」などではなく、いつでもどこでも「物理的に可能」なこと

(=接点が3つあれば立つ)を実証したのです。

だから中谷宇吉郎割らなくても立つことを証明し、コロンブスの以来の

人類の常識をくつがえしたともいえます。

そのことが立春の卵』という随筆を読むとよ~くわかりますよ。」

そして「もうすぐ立春です。実高生のみなさんも学校で立てをやってみると

おもしろいですよ!実験の結果を教えてください!」とアドバイスをいただきました。

そこで、わたしたちは先生にもご協力いただき、地歴・公民科の授業で郷土学習として、

中谷宇吉郎を知ろう!立春の卵』・立て大実験」を行いました。

上の写真は、情報ビジネス科2年の実験の様子です。

はちゃんと立ちました!「やった~!」開始30秒でまず1個目が、そして10分も

たたないうちに、つぎつぎと7回もが立ちました。

あせらず、ひたすら、「は立つんだ!」という信念を持って、集中して続けると、

意外とかんたんには立ちましたよ。みなさんも、チャレンジしてみてください! 

(おまけ)

バージョンアップした加賀市PV『石川県の加賀市に行ってみよう!』をご覧下さい!

石川県の加賀市に行ってみよう!(←クリックしてください!)

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手づくりうどんの完成で~す!!(竹ノ浦館・瀬越町)

2013年12月04日 | 日記

隊員NO.6れいなで~す

11月26日(火)の課題研究の時間に、竹ノ浦館瀬越町)で行った

うどん打ち体験」では、瀬越町在住の増田芳恵さんに先生になっていただきました。

いよいよわたしたちの手づくりうどんの完成です!

増田さん、とっても丁寧にご指導いただき、本当にありがとうございました!!

わたしたちは、沸騰したたっぷりのお湯で、10分間めんをゆでました。

先生が「めんの硬さを確認してみてください。」と言われたので、少しめんを箸で

とって、噛んでみました。「う~ん!もう少しだな!」というNO.5いくのの意見に従って、

さらに2分うどんをゆでました。NO.1いぶたちのグループも、少しながめにゆでました。

さぁ、ゆであがりです。うどんが入ったざるをあげ、さぁっと冷水で洗います。

これは、めんのぬめりをとるためです。わたしたちの班がめんを洗っていると、

いぶ・ゆきち・ゆかぴは、一足先に盛り付けにかかっていました。

例によって、顧問の先生が、「ちょっとオレのを多めにしてや!」なんて調子いいことを

言っているので、リーダーのいぶから怒られていました。

さぁ、彩りも華やかに、「実高ふれ愛隊うどん」の完成で~す!!

わたしたちは早速食堂に移動して、うどんを実食です。「わぁ、おいし~い!!」

めんはとっても、もっちもち!手打ちならではの食感です。そしてめんが10人~

12人分あったので、食べ応えも十分で、大々満足です。

今回の「うどん打ち体験」は、つくるのも良し、食べるのも良しの、とっても楽しい

実習でした。最後にわたしたちは、増田先生からレシピをプレゼントしていただき

ました。このレシピを見れば、今度は家で家族のうどんをつくってあげれそうです。

増田先生、とても貴重な体験をさせていただき、ありがとうございました!

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