隊員NO.4にいなで~す(^_^)v
12月11日(火)の課題研究の時間に、「加賀の一向一揆」について勉強しました。
そして講師の家山勉先生から、ビックリするような本当の話をお聞きしました。
それは蓮如(1415~1499年)にはなんと13男14女の27人もの子どもさんたちがいた
というお話です。わたしたち6人はそのお話を聞いて、一斉に「へぇ~、すごい!ウソみたい!」と、
声をあげました。
蓮如は85年間の生涯で、4回奥さんに先立たれるという不幸を経験し、奥さんが亡くなられた後
再婚をし、合計5回の結婚をしました。そして、最初の奥さん如了(1424~55年)との間に4男3女、
2番目の蓮祐(1438~70年)との間に3男7女、3番目の如勝(1448~78年)との間に1女、
4番目の宗如(?~84年)との間に1男1女、最後の蓮能(1465~1518年)との間に5男2女の
子どもたちが生まれています。ちなみに、最初の子順如は蓮如が27歳の時の子ども、最後の実従は
蓮如が亡くなる前の年に84歳でもうけた子どもで、兄弟なのに年の差が57歳もあるのです。
また27人の子どものうち7人はお父さんの蓮如よりも先に亡くなっています。
わたしは家山先生に「蓮如の奥さんたちが、若くして亡くなったのはなぜですか?」そして
「どうしてこんなにたくさん子どもを作ったのですか?」とお聞きしました。
この質問に対して家山先生は、「そうですねぇ、この時代は今以上に子どもを産むということが大変
だったのでしょうね、そして5人の奥さんは体力的にヘトヘトになっていたのかもしれません。
そしてみなさん、”大奥”っていう時代劇を知っていますか?あの多部未華子が出ているヤツです。
ドラマに出てくる女性たちは徳川将軍の世継ぎとなる元気な男の子を産むために大奥にいた
でしょ。昔は家を守るために男の子を産むことが女性に求められていたのでしょうね。
蓮如も本願寺の教えを絶やさないために、子どもをたくさんつくったのだと思われます。」
と説明してくださいました。わたしたちはこのお話を聞いて、蓮如に27人もの子どもたちがいた理由が
わかりました。
この後わたしたちは、家山先生から3男蓮綱(れんこう)、4男蓮誓(れんせい)、7男蓮悟(れんご)
という3人の子どもたちの活躍で加賀の国が「百姓の持ちたる国」として繁栄していくことをお聞きしました。
(おまけ)
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