やっせんBO医

日本の教科書に記載されていない事項を中心にした個人的見解ですが、環境に恵まれず孤独に研鑽に励んでいる方に。

喘息とCOPDのオーバーラップ

2012年02月26日 07時18分41秒 | 気道病変
学び続けること、それが苦痛かと問われればこたえは「否」である。それまでの認識を覆すほどでなくとも、自分にとってのetwas Neuesがそこにあれば、それ以上望むものはない。仏陀でさえ菩提樹の下で真理を見出したときには一人玩味し楽しむこと7日間を費やしたという。凡人たる身であれば些細なことにも欣喜雀躍し、誰彼なく話して聞かせようとしたとしても無理からぬところではないだろうか。

プライマリケアの場で対応すべき疾患は多々あるけれども、呼吸器系のなかでは喘息とCOPDをはずすことができない。いずれも当然のごとく国際的に通用するガイドラインが作成されており、すでに疾患概念が確立しているように見える。いずれも閉塞性肺疾患を構成するカテゴリーであるとはいえ、危険因子や臨床所見、予後、治療方針などの点で異なる両者をしっかり鑑別するのが診療の第一歩だと強調されてきたのだ。ところがそもそも互いに排他的に定義づけられているわけではないので、オーバーラップ症例があったとしても不思議ではない。にもかかわらず合併例などは無視しうる、あるいはごく例外的な存在であるかのように扱われ、多くの臨床試験もそのような症例を除外してきたために、エビデンスのいわば空白地帯が生じてしまっている(Curr Opin Pulm Med 2005; 11: 7-13)。このことが広く意識され始めたのは、ようやく最近になってからのことなのだ。

そのインパクトはかつて考えられていたように小さいものではない。米国の大規模データベース(施設入所していない一般人口を反映する33994名を対象とし、うち8歳以上の22431名にスパイロメトリーを施行)から閉塞性肺疾患を抜き出したところ、喘息、慢性気管支炎、肺気腫を有する者のうち複数の疾患を同時にもっていたのが約17%だった(Chest 2003; 124: 474-481)しかも年齢が高くなるほどその割合は上昇し、高齢者では複数疾患を併存しない者のほうがむしろ少数派であったという(Thorax 2008; 63: 761-767)。2000年の厚生労働省「呼吸不全調査研究班」の合同疫学調査における集計においても、喘息とCOPDの合併例は喘息合併のないCOPD2376名の約1/3に相当(838名)していた(呼吸 2006; 25: 71-82)。つまりエビデンスに拠らずに診療せざるをえない集団が少なからず存在しているということだ。そればかりかこの合併群はCOPD単独群に比べ疾患関連QOLが不良で、重篤なCOPD増悪が多く(Respir Res 2011; 12: 127)、全死亡の増加とも関連するらしい(Lancet 2000; 356: 1313-1317)。

もっとも、これだけのことならわざわざ“Overlap syndrome of asthma and COPD”などと独立させて論じるほどの意義に乏しいかもしれない。大方のコンセンサスがもしあるとしても、それは気流制限の変動が大きく、かつ、可逆性が不十分であるもの、という現時点における喘息/COPDの定義をそのまま反映したものでしかないのだ(Thorax 2009; 64: 728-735)。しかしながら、この今まで手つかずだった未開の広野は思いがけず肥沃な大地であった。というのも、それはあまりに簡明な定義のもとで必然的に生じたオーバーラップ症例ではあるけれども、単に肺機能検査上露わになったグレーゾーンというにとどまらない意味を内包していたからである。

従来、その違いにばかり関心が寄せられていた喘息とCOPDだったが、両者の合併例は新たな視座を提供したのだといえるだろう。気管支喘息症例が慢性化し可逆性を失ったものを、COPDと明瞭に区別するのは困難であることなどは以前から議論されていた。そのような現象面のみならず病態の面でも、たとえば喘息そのものがCOPDの危険因子である(Chest 2004; 126: 59-65)、あるいはBronchial hyper-responsiveness(BHR)は喘息とともにCOPD発症にも関連するといった報告(Thorax 2006; 61: 671-677)など、少なくともその成立プロセスの一部が共有されていることを示しているように見える。とはいえ、すでに1960年代はじめに提唱されていた、喘息、慢性気管支炎、肺気腫は同じ疾患の異なる表現型とみなすべきで、そこにアトピー素因や気道反応性の亢進に関わる遺伝的要因のような宿主因子と、喫煙などの環境因子が絡みあっているのだという“Dutch Hypothesis”がそのまま半世紀後の現代に蘇ってくるはずもない。それぞれが独立した疾患単位とされてきた喘息/COPDでさえ、そのなかに多様な病態群を含んでいることが明らかにされつつあるのだ(Curr Opin Pulm Med 2011; 17: 72-78)。一方、閉塞性気道疾患という広範な患者群を対象としてCluster analysisを行ったところ、喘息とCOPDのオーバーラップ症例が一群として抽出されてきたという研究成果も報告されている(Eur Respir J 2009; 34: 812-818)。いつの日か喘息とCOPDの概念そのものをも揺り動かすことになるかもしれない新たな試みとして注目すべきだろう。

志を立て過疎の地へ飛び込んでいくにはあえて学問への欲求を断ち切らなければならない時代があった。しかしながら、それも今ではずいぶん昔のことのように感じられる。時には陸の孤島とも形容される山中にあろうとも、たいていの論文は手に入り、あふれるデータを整理することさえままならない。もはや情報へのアクセスという点では都会の優位性はあらかた失われてしまったのではないだろうか。ベニヤ板で仕切られただけのぼろぼろに擦り切れた四畳半に寝そべって、小さな窓から空を眺めていた頃とは比べものにならぬほど世界は広がりフラット化した。無意識のうちに自らを日本のスタンダードだとみなし、群れの力を振りかざすことと無縁でいられるとすれば、辺境にあることはむしろ幸いであったとも思う。ただ、いくら空間的な距離というもののもつ意味が低下しているとはいっても、気軽に直接的な議論を交わすことができなければ孤独を感じずにはいられないのである。 (2012.2.26)