やっせんBO医

日本の教科書に記載されていない事項を中心にした個人的見解ですが、環境に恵まれず孤独に研鑽に励んでいる方に。

この世界で生きていくということ

2016年02月07日 05時53分06秒 | 医学・医療総論
いままさに診療報酬改定の議論が行われ、少なからず報道もされている。とはいえ、現場の末端で日々走り回っている者にとっては、月々決まっただけの給金が払い込まれてさえいれば、自分に直接かかわりのなさそうなことまで考えている暇などないというのが現実かもしれない。しかしながら、医療が国の意向に沿って動かされる業界である以上、その行方はそれぞれの将来をも大きく左右しうることを忘れてはいけない。若い人ほど注目しておいて欲しいと思う。

実感しにくいかもしれないが、われわれは一般の民間企業や自営業とは異なる土俵で仕事をしている。それは医療が基本財であるという特殊性によるもので、国が責任をもって提供しなければならないもの(憲法第13条、第25条)という位置づけにあるからだ。だからこそ、医療機関の収入は患者の自己負担のみならず、診療報酬という形で国によって保証されている一方で、民間病院といえども各種の法律をはじめとする数多くのルールの中で活動しなければならず、ことあるごとにチェックもされる。市場に多くを委ねている一般企業とは自由度がまるで違うのだ。

よって、そのルールが変更されることの意味は決して小さいものではない。とりわけ、病院収入のみならず患者の自己負担にも直結し、したがって受療行動にも影響しうる診療報酬の改定は、社会保障審議会医療保険部会及び医療部会、そして中央社会保険医療協議会の審議を経るとはいえ、基本的には厚生労働省の思惑通りに決定される(新井裕充 行列のできる審議会―中医協の真実 ロハスメディア 2010年)。そして、そこには国が医療をどのように変えようと考えているのか、将来像が織り込まれていることも意識しておく必要があるのだ。

そこに読み取るべきメッセージについてはすでにあちらこちらで解説されているけれども、その背景に、医療費を抑制するという国の断固たる意思があるというのは周知だろう。上述のとおり日本の医療サービスにおいては公定価格が決められており、それを国民皆保険制度が支えているのだが、すべてを保険料負担分だけで賄っているわけではない。国民医療費約43兆円(平成26年度予算ベース)のうちの約11兆円(26%)は国庫負担である(財源構成比;厚生労働省「国民医療費」による)。一般会計予算100兆円弱(平成27年度一般会計予算は96兆円余)のうち、年金・医療・生活保護などを含む社会保障関係費が31兆円(32.7%)を占め、いろいろやかましく言われることの多い公共事業6兆円と比べてもずっと多いことがわかる。国の財政状況がきわめて厳しいことも毎度聞かされているとおりだ。これから日本の経済規模が拡大するどころか縮小することも予想されているなかで、国・地方あわせての長期債務残高が1000兆円を超えていると言われれば、たしかにこの国が破綻に瀕していると感じずにはいられない。経済学者がいくら大丈夫だと太鼓判を押したところで、不安を拭い去ることなどできないというのも正直なところである。

そうはいいながら、基本財たる医療を経済状況、あるいは国の台所事情にそのまま連動させるべきなのかは別の話である。医療費が諸外国に比べかなり低く抑えられているのは医療従事者の犠牲の上に成り立っているからこそだと指摘され、実際、先進諸国に比べれば医師や看護師が圧倒的に少ないと言われている(上昌広 首都圏の医療が崩壊の危機 医師不足深刻で中東並み 解消と逆行する厚労省の詭弁 Business Journal 2015.11.1 http://biz-journal.jp/2015/11/post_12185_3.html)。しかも、2025年に団塊の世代がすべて75歳以上の後期高齢者となり、2010年に比べ約760万人増の2179万人へと爆発的に増える見通しであるという。恐ろしいことに増加分だけで現在の愛知県の人口を上回るのだ。国民医療費のみならず介護・年金などを含む社会保障関連費はますます膨らむであろうことは容易に想像されるけれども、一定のレベルを維持するためには当然必要とされるコストではないだろうか。

現状でさえ人手が足りないうえに、生産年齢人口がすでに減り始めている中で医療・介護従事者を増やそうというのも並大抵のことではないはずだ。現状維持どころか医療崩壊さえ囁かれているのが現実である。これに対し、10年以上もまえから財布のひもを締めるのに懸命である国は、カネをつぎ込み人に対する手当てを厚くするかわりに効率的に医療を提供する体制づくりに余念がないように見える。平均在院日数を減らし、在宅医療を充実させれば病床数は少なくて済む、というが果たしてうまくいくだろうか。技術革新に多くを期待できない労働集約型産業である医療の分野で労働生産性を挙げるのは容易ではない。受け皿として期待される在宅医療・介護にしても家庭の介護力や地域の力は低下しているうえに、費用負担が入院の場合より増えるとなれば、本人はともかく家族がすんなり受け入れないだろう。退院調整に振り回され、多くの時間を費やすようになってすでに久しいのである。

日銀が物価を2%上昇させると言い、消費税も上乗せされる中で、診療報酬が上がらないとすれば、多くの病院では収入が実質的に減らされることになる。その中で黒字を確保しようとすれば、とるべき手段の第一はコストカットであるに違いない。人件費率(人件費/医業収益)が50~60%とされている一般病院では、ひたすら忙しくなったとしても一律に給料を上げられるとは限らず、貢献度に応じてメリハリをつける傾向が強まるのではないだろうか。これは国のレベルでも同様で、国民医療費の内訳を費用構造からみても人件費が約20兆円を占めている。これからの高齢化社会において専門医ばかりでは金がかかる割に効率も悪いというので、現在15万人いる臓器別専門医を減らす方向で動き始めているようだ。それで適正な数にならなければ、診療報酬で誘導するというのが国のこれまでのやり方であったのも知られた話だろう。国が地域医療ビジョンという形で管理を強めようとしているのも間違いないようだ。

今病棟を走り回っている新人たちが中堅となる頃に日本の医療はどのような姿になっているのだろう。米国流の経済原理が席巻しているかどうかはともかく(堤未果 沈みゆく大国アメリカ 逃げ切れ!日本の医療 集英社新書 2015年)、おそらく現在の単なる延長ではない。歯科や法曹界の例もある。後悔しないためにどちらに向って進むべきか、将来ある人に安易に助言することも控えなければならないが、サルトルの有名な言葉を掲げておく。「君は自由だ。選びたまえ。つまり創りたまえ。」 (2016.2.7)