やっせんBO医

日本の教科書に記載されていない事項を中心にした個人的見解ですが、環境に恵まれず孤独に研鑽に励んでいる方に。

原因診断に至らない胸水

2010年04月12日 05時18分05秒 | 胸膜疾患
胸水症例はしばしば非専門医が診療に携わっているものではあるが、その原因診断は一般に考えられているほど容易なものではない。ひととおりの手段を尽くしても診断に至らず苦慮している例は多いだろうと思う。だからといって、専門知識の不足や必要な検査が行えないことによる検索不十分のせいにされるとすれば、その評価は正当ではないかもしれない。もちろん、そのような例もないわけではないだろうが、徹底的な精査にも関わらず診断に至らないidiopathic pleural effusionはそれほど少ないものではなく、全胸水例の5~25%を占めるとされているのである(Q J Med 2007; 100: 351-359)。現場で難渋している多くの臨床医にこのことを知らしめる意義はあると思うのだが、日本の教科書に記載がないのはなぜだろうか。

手元にある教科書が頼りにならないとすれば、次に参照されるべきは優れたレビューである。一読を勧めたいのはやはりLightによるもので、このような状況で何をいかに検討すべきかが簡潔にまとめられている(Clin Chest Med 2006; 27: 309-319)。そこで、まず指摘されているのは漏出液/滲出液の判断についての再検討だ。というのは、Lightのcriteriaでも漏出液の25%未満を滲出液と誤って分類する可能性があるためで、とくに数値が微妙であったものや利尿剤を使用している患者では注意が必要である。そのうえで、鑑別すべき疾患を改めて一つ一つ検討することになる。ここでそのリストを網羅するわけにはいかないが、たとえば、心不全の診断も一筋縄ではいかず、一目でわかるような典型的なものばかりではないことを経験ある臨床医なら知っているだろう。そして、これを否定する根拠として、心エコーで弁膜疾患がなく、左室収縮能も良好であることが挙げられていたりするが、心不全の25~50%は駆出率などの収縮能を示すパラメーターに異常を認めない左室拡張障害によるものである(急性心不全治療ガイドライン 2006年改訂版、日本循環器学会ホームページ)。また、PCWPが正常な心不全の存在や、まれではあるが甲状腺機能亢進症や脚気心のようにむしろ心係数が増加しているものさえあるのは学生でも知っている。もう1つ胸水診断の盲点になりやすいものとしてここに記しておきたいのは薬剤性で、一度は確認しておきたい(Postgrad Med J 2005; 81: 702-710、Fraser and Pare’s Diagnosis of Diseases of the Chest 4th ed. Saunders、1999年)。

上記リストを入念に検討し、なおも診断にいたらない場合の最大の関心事はそれが悪性疾患によるものか否かだろう。一般に、癌性胸水症例の細胞診で陽性になるのは60%のみで、胸膜中皮腫症例では30%程度にすぎないとされ(Br Med J 2007; 334: 206-207)、逆に胸水細胞診・胸膜針生検で陰性であった215例を胸腔鏡で調べてみると、150例が悪性だったと報告されている(Am Rev Respir Dis 1981; 124: 588-592)。ことここに至った場合の最終的な手段としては、とくに腫瘍や結核性胸膜炎の確診に胸腔鏡検査が威力を発揮することは明らかだ(Clin Chest Med 2006; 27: 309-319、N Engl J Med 2002; 346: 1971-1977)。けれども、一般病院では実施困難であるということ以上に、たとえ悪性であったとしてもそれが明らかになった時点で既に進行癌ということになるため、患者にとってはその侵襲性を補って余りあるほどの利益があるかという疑問を避けて通れないのである。

従って、いかに侵襲性の少ない検査で診断するかが腕のみせどころになる。悪性腫瘍の既往、体重減少、大量胸水など悪性胸水が疑われる症例で、胸部CTでも診断の手掛かりが得られない場合には、腹部画像検査、乳房・婦人科検査、その他臨床所見から必要と思われる非侵襲的な検査による全身の検索で傍証が得られるかもしれない(Q J Med 2007; 100: 351-359)。さらに悪性が示唆されながら細胞診が陰性であった患者を対象にした研究では、CTガイド下胸膜生検が胸腔鏡検査に匹敵する診断能を有することが示されている(Lancet 2003; 361: 1326-1331)。喀血症例や肺野に陰影がみられるもの、縦隔が患側に偏移しているものであれば気管支鏡検査の適応としてよいだろう(Pleural Diseases 5th ed. Lippincott Williams & Wilkins 2007年)。最近では局所麻酔下の内科的胸腔鏡を行う一般病院も増えてきたようだ(Chest 2002; 121: 1677-1683)。

非侵襲的検査のみであっても、慎重に評価されたidiopathic pleural effusion症例での予後は比較的良好であるとされ(Chest 1996; 109: 1508-1513)、何がなんでも診断をつけようとするのは患者にとって無用の負担を強いることになりかねない。よって、経過観察・保存的治療も賢明な選択肢でありうるのだが、その方法については若干の工夫の余地がある。たとえば、胸水中LDH値を継続的に測定すれば病勢を推測するのに役立ち、低下傾向にあれば病態が改善しつつあることを示唆する(Clin Chest Med 2006; 27: 309-319)。また、胸部単純X線写真については、経時的に胸水量の減少がみられない例の予後は不良であると報告するものがある(J Am Geriatr Soc 2005; 53: 1957-1960)一方で、胸水量の経過は予後とは無関係とするものもあり一定しないようだ(Chest 1996; 109: 1508-1513)。

以上、教科書に記載されていないがしばしば遭遇するものを取り上げてみた。実はこのつたない文章はかつての自分に向けて書いているような気がしている。手探りで這いずり回るという形容が決して誇張ではない有様だったのだ。そして、“臨床上の疑問が生じた場合にはまず教科書を紐解くこと”、と先輩から指導されていたのを思い出す。残念ながらなかなか実行できない不肖の弟子だったけれども、身にしみついたこの言葉を感慨をこめて次の世代に伝えようと思う。ただし念のために言えば、ここで教科書というのは欧米の定評あるものを指す。日本のテキストは臨床上の疑問に答えてくれることが少ないからである。上に述べたのもその一例にすぎないが、もう一つさらに基本的な事例を紹介しよう。胸部X線写真で胸水貯留を認めたとき、その性状が漏出性か滲出性かを明らかにすることは鑑別診断の第一歩である。つまり、Starlingの式から理解されるように、漏出性胸水は水力学的圧の上昇や膠質浸透圧の低下により、滲出性胸水は毛細管透過性の亢進によると考えられ、そこを基点としてそれぞれの病態に該当する疾患の検討が始まるのだ。では具体的に何をもってこの両者を切り分ければよいのかと教科書をひらいてみると比重・フィブリンをはじめとする10項目以上にも及ぶ鑑別点が羅列されている(内科学 第9版、朝倉書店 2007年)。これが多くの臨床医にその有用性を認められ、実際に現場で用いられているというのであれば異存はない。けれども現実はそうではなく、ほとんどの呼吸器科医が参照しているのは蛋白量とLDH値からなる3項目のうち1つを満たせば滲出液と判定するLightのcriteriaである(Pleural Diseases 5th ed. Lippincott Williams & Wilkins 2007年)。

世界中で通用している規準を無視し、挙句の果てにはその記述が現場の評価に耐え得ないとすれば、それはその著者がいかに研究者として優秀であろうとも、患者を前に悩みぬいた経験がないからではないかと疑わせる。日本を代表する某旧帝大第一内科でさえ人間よりマウスを相手にするほうが高く評価されることから、陰で“獣医学教室”などと揶揄されている状況である。教科書もつまるところ日本の医学界の実力のほどを反映しているものだと思う。 (2010.4.12)