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やっせんBO医

日本の教科書に記載されていない事項を中心にした個人的見解ですが、環境に恵まれず孤独に研鑽に励んでいる方に。

COPDに対するβ2刺激薬のベネフィットとリスク

2013年07月16日 05時07分26秒 | 気道病変
治療によって達成されるレベルを一概に示すことは難しいけれども、症状の緩和と予後の改善という二つの軸を基準に据えることが多い。両者ともに満足する治療法が理想的なのは間違いないにしても、しばしばエビデンスが不十分であるというのも事実だろう。まさにそのように議論を重ねられてきたのがβ2刺激薬で、その検討の対象となる領域も近頃では喘息からCOPDへと広がっている。実のところ相反する研究結果が交錯し、結論めいたことを述べられるわけでもないのだが、ここで現状を確認しておくことも無意味ではないと思う。

COPDに対する薬物療法の中心は言うまでもなく長時間作用性気管支拡張薬である。その気管支拡張の指標とされるFEV1と自覚症状は必ずしも比例するわけではないものの相関し、さらにFEV1が増加するほど増悪頻度も減少すると考えられている(Respir Res 2011; 12: 161)。当然のようにより強く安定して気管支拡張効果を発揮する薬剤の開発が進められてきたのだが、この点においてβ2刺激薬(LABA)は抗コリン薬(LAMA)に劣るというのが従来の常識だった(Chest 2002; 122: 47-55、Thorax 2003; 58: 399-404、N Engl J Med 2011; 364: 1093-1103、Cochrane Database Syst Rev 2012; 9: CD009157)。COPD患者では健常人に比べ肺組織のβ2受容体の比率が低下しているうえに、吸入β2刺激薬は連続使用によって効果が減弱する(tachyphylaxis)ことによる、と説明されていたのである。

ところが最近上市されたIndacaterolはTiotropiumと同等以上の気管支拡張効果や健康関連QOLの改善効果を示し、標準治療の中に加えられることとなった(Am J Respir Crit Care Med 2010; 182: 155-162、Eur Respir J 2011; 38: 797-803)。COPD患者においては高齢者が多く、抗コリン薬は使いづらいことも少なくないことを考えれば、歓迎すべき進歩であるには違いない。とはいえ、長期予後についてのデータがまだ不足しているのは否めず、喘息患者で呼吸器関連死亡の増加が示唆されたことなどを踏まえて、FDAは日本での承認の半量(75μg1日1回投与)にすべきとの判断を下しているのだ(N Engl J Med 2011; 365: 2247-2249)。

もちろん、喘息においてLABAの単独使用が警告されているからといって、それだけでその病因や病態生理、疾患進行、予後などの面で異なるCOPDにおいても同等とみなせるはずはない。実際、安定しているCOPD患者に対しβ2刺激薬を24週以上使用し評価した20のプラセボ対照比較試験(LABA治療患者総数8774人)を概観した総説によれば、LABAの使用とCOPD増悪、COPD関連有害事象、死亡との間に関連を示唆した研究はなかった。LABAの使用はプラセボに比較して一般にCOPD増悪を減少させ、COPD関連有害事象の頻度はプラセボと同様であり、β2刺激薬との関連が知られている高血糖、血清K値への影響も軽微であったと述べられている(Int J Chron Obstruct Pulmon Dis 2013; 8: 53-64)。ただし、ほとんどの臨床試験は薬剤の有効性の検証に必要と見込まれる被験者数をもって実施されていることから、稀な有害事象については有意差をもって確認することは難しい。メタアナリシスが重宝される所以である。

閉塞性気道疾患患者を対象としβ2刺激薬を単回投与した13研究と、長期投与した20のランダム化比較試験(RCT)のメタアナリシスによれば単回投与はプラセボに比較して、心拍数を9.12/分(95%信頼区間 5.32~12.92)増加させ、血清K濃度を0.36 mmol/L(同 0.18~0.54)減少させたという。そして長期投与(3日ないし1年間)においては、β2刺激薬はプラセボと比べ心血管リスクを有意に増加させた(相対リスク(RR) 2.54、1.59~4.05)と報告されている(Chest 2004; 125: 2309-2321)。さらにCOPD患者に対し少なくとも3か月間、抗コリン薬あるいはβ2刺激薬を使用したRCT(15276の被験者を含む22の試験)を統合してメタアナリシスを行った結果では、抗コリン薬はプラセボと比べ重篤な増悪(RR 0.67)、呼吸器関連死亡(RR 0.27)を有意に減少させていたのに対し、β2刺激薬はプラセボに比較し重篤な増悪を減少させないばかりか(RR 1.08)、呼吸器関連死亡についてはむしろ増加させた(RR 2.47)というのである(J Gen Intern Med 2006; 21: 1011-1019)。

ただし、これらの試験が対象とする患者群は必ずしも均一な集団でないことに注意を促しておきたい。とりわけβ2刺激薬の効果と安全性はその併存疾患により少なからず左右される。喘息がその一つであるのは言うまでもなく、COPD症例の約10%に合併しているとも言われるが、これに関してはすでに別の機会にまとめた。それ以上に無視できないのが心血管系の併存症であり、COPD患者においてはその2割以上の例で心不全を伴うとも言われているのだ。

実際、心不全とCOPDの合併例に難渋することも稀ではない。β刺激薬については、肺疾患を有する患者で心不全を起こしやすく、また、心不全を有する患者では死亡や入院の増加を招くとも言われている(J Am Coll Cardiol 2011; 57: 2127-2138)。たとえば心不全患者7599人を対象としたCandesartanの臨床試験において、気管支拡張薬の使用は全死亡や心血管死、心不全による入院、心血管イベントに関連していたという(Eur J Heart Fail 2010; 12: 557-565)。一方で、心不全患者に対するβ遮断薬は確立された治療であることが広く認められているけれども、COPD患者に対して用いた場合、β遮断薬が気管支攣縮や気道の過敏性をもたらし、呼吸器症状などを悪化させるのではないかとの懸念があった。しかしながら、心臓選択性のβ遮断薬をCOPD患者に用いても呼吸器症状やFEV1が有意に悪化することはないというエビデンスが示されつつあり、欧州心臓病学会によるガイドラインなどでもβ遮断薬は禁忌ではないと明確に述べられるにいたっている。そして、心臓選択性のβ遮断薬はCOPDを合併する心不全患者の生存を改善するばかりか、明らかな心血管系合併症を持たないCOPD患者においてさえ死亡やCOPD増悪を減らすことが示されたのだ(Arch Intern Med 2010; 170: 880-887、BMJ 2011; 342: d2549、BMC Pulm Med 2012; 12: 48)。これに関するエビデンスはまだ十分とはいえず、自覚症状や肺機能、QOLに対する長期的な影響も明らかでない。それでもβ2刺激薬の果たす役割を考えるうえで興味深い視点を提供しているのは確かである(J Am Coll Cardiol 2011; 57: 2127-2138、J Thorac Dis 2012; 4: 310-315)。

都市化の波が地方にも押し寄せてきたのはすでに半世紀も前のことだ。「ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへ」と唱えられ、ムラ社会は克服すべき遺制ともとらえられがちであった(きだみのる 気違いから日本を見れば. 徳間書店1967年)。けれども、ごく身近な共同体としての組織が今なお機能している地域も少なくなく、一方で、たとえば専門科学における学会などのように、その対極にあるはずの機能集団の中にさえムラ的感性はなお根深く残り、“原子力ムラ”などと揶揄されたりする。表面的にはともかく、姿を変えながらもそこにあり続けているとすれば何らかの必然性があるに違いない。 “ムラ社会”は地域医療の面からはもちろん、いろいろな意味で見直されるべき対象だと思う。 (2013.7.16)

喘息に対するβ2刺激薬のベネフィットとリスク

2013年06月10日 04時01分44秒 | 気道病変
β2刺激薬が喘息治療の領域で大きな役割を果たしていることについては改めて指摘するまでもない。とりわけ自覚症状を速やかに改善させる短時間作用性吸入β2刺激薬(SABA)はプライマリケアの現場にすでに広く浸透しているけれども、一方で、必ずしも適切な管理下に使用されているとはいいがたいようだ。いくら説明してもSABAさえあればいいと言い募る患者が後を絶たず、ついには普段の治療状況もまったくわからない者の要求に屈し処方箋を切る。そんな光景が今日もどこかで繰り広げられているのではないだろうか。

軽い喘息症状がごくまれ(月1回未満)にしか生じない症例であればSABA頓用のみで足りるかもしれないが、そのようなケースは例外的だろう(日本アレルギー学会 喘息予防・管理ガイドライン2012、協和企画)。大部分の患者では吸入ステロイド(ICS)などの長期管理薬が治療の根幹となるはずだ。SABAは気管支を強力に拡張させることで自覚症状の改善に直接的に寄与するとはいえ、むしろその連用により気道過敏性やコントロールは悪化し(Lancet 1990; 336: 1391-1396)、喘息死も増加すると警告されたのである(N Engl J Med 1992; 326: 501-506、Lancet 1998; 1: 917-922)。長時間作用性吸入β2刺激薬(LABA)にしても事情は異なるものではなく、長期使用により刺激に対する気道の収縮抑制効果は減弱し(Respir Med 1994; 88: 363-368)、気道過敏性も亢進する(Am J Respir Crit Care Med 1997; 156: 688-695)。Salmeterol吸入の安全性に関する大規模臨床試験や、これを含むメタアナリシスでもLABA使用群に喘息の悪化や死亡のリスクが高かった(Chest 2006; 129: 15-26、Ann Intern Med 2006; 144: 904-912、N Engl J Med 2010; 362: 1169-1171)。これらの結果は世界中で衝撃をもって受け止められ、今なお深刻な反省を促しているのだ。

β2刺激薬単独では喘息の本態である気道炎症を抑制できないのは当然であるけれども、そればかりではない。desensitization(受容体のuncouplingとinternalization)と、その結果引き起こされるβ受容体の減少、すなわちdown regulation(J Allergy Clin Immunol 1983; 72: 495-503、J Clin Invest 1995; 95: 1635-1641)については周知だろう。加えて低酸素血症の存在下ではβ刺激薬に対する心血管系の反応が強くなること(Thorax 1992; 47: 814-817)、さらにはβ2刺激薬が気道炎症組織で高濃度になると、Th2優位に傾いて喘息病態を助長する可能性も指摘されている(J Clin Invest 1997; 100: 1513-1519)。

したがってLABAの使用はICSで効果不十分な症例に限られ、単独使用は避けるべきだというのが現在の一般的な考え方になっている。つまりICSなどと併用するのが原則だ。これは互いの欠点を補い合うという意味でもきわめて理解しやすいのだが、基礎レベルの研究によればさらに相乗効果をも期待しうるという。たとえば、ステロイドはβ2受容体の合成を促進させ、β2刺激薬への反復暴露による耐性の進展を防止する(J Clin Invest 1995; 96: 99-106)。一方でβ2刺激薬はステロイド受容体を活性化し、核内への移動を増加させるらしい(J Biol Chem 1999; 274: 1005-1010)。

臨床的にも、ごく短期間の投与に対する少数例の観察ではあるものの、Budesonide/Formoterol併用はBudesonide単独吸入よりもアレルゲン誘発性の喀痰好酸球増加や気道過敏性亢進を抑制し、さらにmyofibroblast数も減少させたことから抗リモデリング効果を発揮する可能性も示唆された(J Allergy Clin Immunol 2010; 125: 349-356)。ICSとLABAの併用は喘息増悪を減らすとする研究も少なからずあり(N Engl J Med 1997; 337: 1405-1411、Am J Respir Crit Care Med 2001; 164: 1392-1397)、ランダム化比較試験10研究を統合したメタアナリシスにおいても、LABA併用群はICS単独に比べ増悪をさらに26%減少させ、さらに、ICSにて十分な臨床効果が得られない場合にはステロイドを倍量に増やすよりもLABAを併用したほうが、やはり悪化リスクは併用群で0.86(95%CI: 0.76~0.79)と有意に低かったことが示されているのだ(JAMA 2004; 292: 367-376)。

いかにも魅力的な組み合わせにみえるのだが、ICSを併用することによりβ2刺激薬に関連した安全性上の懸念が完全に払拭されるわけではないとの意見も根強い。たしかに呼吸機能改善効果は吸入LABAを併用したほうが良好だ。しかしながら、気道炎症の面からは否定的な意見も少なくない。LABAを併用して一見、何事もなくICSを減量できたときでも、喀痰好酸球数は増加していたことが観察され(Am J Respir Crit Care Med 1998; 158: 924-930)、さらに、ICS投与により呼気NO、すなわち気道の炎症マーカーは低下するものの、Salmeterol併用はこの効果を抑制するという報告もあるのだ(Am J Respir Crit Care Med 2003; 167: 1232-1238)。

実際、ICSを併用していてもLABAは喘息患者の重篤な増悪と喘息関連死のリスクを高めるとする臨床試験、メタアナリシスが発表されている(Ann Intern Med 2006; 144: 904-912、N Engl J Med 2011; 365: 2247-2249)。前に述べたものと正反対の結果に戸惑わざるを得ないのだが、少なくとも12週の治療を行った成人喘息患者を対象とした35研究(13447例)と小児患者を対象とした5研究(1862例)を統合した最新のコクランレビューにおいては、Salmeterol/ICS併用群と同量のICS治療群の間に、有意な死亡ないし重篤な有害事象の差はみられず、リスクに差があるとしてもその絶対的な差は極めて小さいものだろうと考察されている。とはいうものの、有害事象の頻度が極めて低く、ICSにSalmeterolを併用することで有害事象が増えないと信頼性をもって結論づけることはできないとも述べているのだ(Cochrane Database Syst Rev 2013; 3: CD006922)。これらを踏まえれば、米国FDAがβ2刺激薬の安全性に関して繰り返し注意を喚起しているのも十分に理解できるだろう。

診療の基礎に置かれるべきもの、それはエビデンスレベルの高い研究成果である。たまにしか顔を見せないMR氏が提供する情報に偏りがあるのはもちろん、陰に陽に製薬企業の影響を受けているであろうその道の権威や学会の見解にさえ盲従しない。今や常識ともなったEvidence-Based Medicine(EBM)であるけれども、それまでの医学のあり方をまったく覆すようなものではなく、むしろ西洋医学の伝統を純粋に受け継いだともいえる。“もっともらしい理説に頼らず事実への密着に努めよ”と説いていたのが、まさにヒポクラテス学派だった(古い医術について、岩波文庫 1963年)。EBMの精神はすでに紀元前の世界に生まれていたのである。 (2013.6.10)

vocal cord dysfunction

2012年08月27日 05時18分46秒 | 気道病変
気管支喘息すなわち気道炎症であることはもはや常識だろう。気管支拡張薬のみでしばしば不十分であることは繰り返し強調されている。とはいえ、β2刺激薬の効果を幾度となく経験し、屯用で吸入することに慣れきっている患者を説得し、吸入ステロイドを導入するのは思いのほか苦労するものだ。他の慢性疾患とは異なり定期受診させることさえ難しく、それを乗り越えてガイドラインに沿った治療を行っていても、頻回に発作を起こす例が皆無ではない。そのような治療抵抗性喘息症例に対し、服薬コンプライアンスやアレルゲンからの回避を再確認するのは当然ながら、慢性鼻炎・副鼻腔炎や胃食道逆流の存在などを改めて評価する必要があるだろう。あるいは、喘息の診断自体に問題があるのかもしれない。vocal cord dysfunction(VCD)はこれまで注目されてこなかったけれども、稀ならず存在していることが明らかになりつつあるのだ。

VCDはParadoxical vocal cord motionあるいはparadoxical vocal cord dysfunction、Munchausen stridor、factitious asthmaなどとも呼ばれている。声帯の不適切な動きにより気道が機能的に閉塞され、その結果、呼吸困難を自覚する、というのがその概念だ。発作を繰り返し喘息と誤診されていることも多いが、喘息とは異なり呼気より吸気が困難で、のどの緊張やつまった感じを伴うことが少なくないという(Am Fam Physician 2010; 81: 156-159)。呼吸困難を訴えるわりに一つの文章全部を話し、息こらえも可能で、頚部に最強点を有するstridorを吸気時に聴取するのが典型であるとはいうものの、呼気時あるいは吸呼気時共に聞かれることもあり、wheezeとの区別は必ずしも容易でない。

理学所見のみで喘息との鑑別が十分にできないとすれば、診断の確定は検査所見に頼らざるを得ない。とくに喉頭を直接観察するlaryngoscopyがgold standardとされているのはきわめて自然だろう。とはいえ理想的にはそうであるにしても、正確に診断するためには経験ある耳鼻科医が有症状時に行う必要があることから実行するには少なからぬ困難を伴い、これまでVCDが無視されてきた大きな理由でもあった。そのためより侵襲が少なく必要時に容易に行えるものとしてマルチスライスCTを応用することも試みられている。リアルタイムに組織構造や動きを可視化することができるdynamic 320-slice CTを用いた研究によれば、治療抵抗性の喘息患者46名のうち23名(50%)において声門部が過度に狭小化している所見が得られたという(Am J Respir Crit Care Med 2011; 184: 50-56)。この狭窄が吸気あるいは呼気時にのみ見られる例は比較的少なく、両方の時期に認められる例が多かった。さらに驚くべきことに、VCDは声門に限った異常ではなく、喉頭の全体や声門上の領域が収縮して気道の狭窄をきたしている所見もしばしば観察され、従来信じられていたよりも広範囲の領域が含まれていることが示されたのである。

興味ある結果であるには違いないが、320列のMDCTなど国内にいくつあるだろうか。代わりに用いられるのが肺機能検査によりflow-volume loopの検討などから胸郭外上気道閉塞を推測する方法である(Am Fam Physician 2010; 81: 156-159)。限界はあるものの、上気道閉塞の定量化が可能で、何より気管支喘息の診断にも日常的に用いられているものであり、地域の一般医療機関でも容易に行える利点は大きい。実際、VCD疑い症例に対しもっとも行われている検査だろう。

もちろん、検査前確率(有病率)が低い集団にむやみに検査を行うことは避けるべきである。VCDに典型的な症状・所見を有する患者のほか、気管支拡張薬やステロイドで十分な効果が得られない、あるいは特徴的な背景因子をもつ症例が検査の対象になるに違いない。基本的な情報として女性、とくに20~40代に多いことはよく知られているけれども、一方で男性にも決して稀なものではなく、また、小児例も報告されている。精神疾患との関わりが指摘されてきたのもすでに周知だろう(Fishman’s Pulmonary Diseases and Dosorders 3rd ed. McGraw Hill 1998年)。実際、ケース・コントロール研究の結果からVCD群では有意に高いレベルの不安を感じ、より多くの不安に関連した疾患の診断を受けていたことが報告されている(J Asthma 1998; 35: 409-417)。それ以外にもPTSD(posttraumatic stress disorder)やうつ病などの関与も報告されているようだ。とはいえ、うつ病や不安などはVCDの原因というよりもむしろ繰り返す呼吸器症状の結果である可能性も否定できない。

最近では運動誘発性、職業関連吸入暴露によるVCDも一つのカテゴリーとして認識されている。それ以外にも周術期の気道・神経損傷が原因と考えられる症例の報告、さらにはGER(gastro-esophageal reflux)、LPR(laryngopharyngeal reflux)、post-nasal dripなどによる喉頭粘膜の傷害が声帯閉塞を誘発している可能性も注目されているなど、多彩な因子が発症に関わりうることが示唆されている状況だ。このことは、かつて考えられていた以上にその病態生理が複雑であることを表していると同時に、VCDは単一の疾患というより症候群として扱われるべきことを示しているように思われる。また、VCDは喘息と鑑別を要する疾患であるとともに、治療抵抗性喘息にしばしば共存していることから、両者が病態的にも深く絡み合っているのかもしれないと推測する研究者さえいるようだ(Am J Respir Crit Care Med 2011; 184: 50-56)。いずれにせよ、VCDの最適な治療のためにも寄与因子(基礎疾患、精神的因子)を同定することはきわめて重要である(Eur Respir J 2011; 37: 194-200)。

仮説にすぎない事柄であったとしても、流布する間にいつの間にか誰もが信じて疑わなくなっていることがある。そのことを意識し、改めて問い直すことができれば、今ある世界認識の枠組みそのものを組み替えることだってありえるだろう。Prusinerがプリオンの存在を発表したとき、セントラルドグマという基本概念を揺るがすその内容は世界に衝撃を与えることとなった。その影で、もしその主張が間違いであれば彼の研究者としての生命は断たれることになるだろうと囁かれていたのだ。つまり、それは一つの賭けであったとも言えるのだが、etwas Neuesが大事だといいながら、実のところ時流に即した材料の収集にばかり熱心で、国内学会での優位を保つことに汲々としている程度の科学者にはできない発見であったに違いない。学問とはまるで無縁の環境にある者が偉そうな口をきけるものでもないけれども、混乱を極める現場のなかで、ときに罵声を浴びせかけられ、血と汚物にまみれながらも、そんなことを思っているのである。 (2012. 8.27)

喘息とCOPDのオーバーラップ

2012年02月26日 07時18分41秒 | 気道病変
学び続けること、それが苦痛かと問われればこたえは「否」である。それまでの認識を覆すほどでなくとも、自分にとってのetwas Neuesがそこにあれば、それ以上望むものはない。仏陀でさえ菩提樹の下で真理を見出したときには一人玩味し楽しむこと7日間を費やしたという。凡人たる身であれば些細なことにも欣喜雀躍し、誰彼なく話して聞かせようとしたとしても無理からぬところではないだろうか。

プライマリケアの場で対応すべき疾患は多々あるけれども、呼吸器系のなかでは喘息とCOPDをはずすことができない。いずれも当然のごとく国際的に通用するガイドラインが作成されており、すでに疾患概念が確立しているように見える。いずれも閉塞性肺疾患を構成するカテゴリーであるとはいえ、危険因子や臨床所見、予後、治療方針などの点で異なる両者をしっかり鑑別するのが診療の第一歩だと強調されてきたのだ。ところがそもそも互いに排他的に定義づけられているわけではないので、オーバーラップ症例があったとしても不思議ではない。にもかかわらず合併例などは無視しうる、あるいはごく例外的な存在であるかのように扱われ、多くの臨床試験もそのような症例を除外してきたために、エビデンスのいわば空白地帯が生じてしまっている(Curr Opin Pulm Med 2005; 11: 7-13)。このことが広く意識され始めたのは、ようやく最近になってからのことなのだ。

そのインパクトはかつて考えられていたように小さいものではない。米国の大規模データベース(施設入所していない一般人口を反映する33994名を対象とし、うち8歳以上の22431名にスパイロメトリーを施行)から閉塞性肺疾患を抜き出したところ、喘息、慢性気管支炎、肺気腫を有する者のうち複数の疾患を同時にもっていたのが約17%だった(Chest 2003; 124: 474-481)しかも年齢が高くなるほどその割合は上昇し、高齢者では複数疾患を併存しない者のほうがむしろ少数派であったという(Thorax 2008; 63: 761-767)。2000年の厚生労働省「呼吸不全調査研究班」の合同疫学調査における集計においても、喘息とCOPDの合併例は喘息合併のないCOPD2376名の約1/3に相当(838名)していた(呼吸 2006; 25: 71-82)。つまりエビデンスに拠らずに診療せざるをえない集団が少なからず存在しているということだ。そればかりかこの合併群はCOPD単独群に比べ疾患関連QOLが不良で、重篤なCOPD増悪が多く(Respir Res 2011; 12: 127)、全死亡の増加とも関連するらしい(Lancet 2000; 356: 1313-1317)。

もっとも、これだけのことならわざわざ“Overlap syndrome of asthma and COPD”などと独立させて論じるほどの意義に乏しいかもしれない。大方のコンセンサスがもしあるとしても、それは気流制限の変動が大きく、かつ、可逆性が不十分であるもの、という現時点における喘息/COPDの定義をそのまま反映したものでしかないのだ(Thorax 2009; 64: 728-735)。しかしながら、この今まで手つかずだった未開の広野は思いがけず肥沃な大地であった。というのも、それはあまりに簡明な定義のもとで必然的に生じたオーバーラップ症例ではあるけれども、単に肺機能検査上露わになったグレーゾーンというにとどまらない意味を内包していたからである。

従来、その違いにばかり関心が寄せられていた喘息とCOPDだったが、両者の合併例は新たな視座を提供したのだといえるだろう。気管支喘息症例が慢性化し可逆性を失ったものを、COPDと明瞭に区別するのは困難であることなどは以前から議論されていた。そのような現象面のみならず病態の面でも、たとえば喘息そのものがCOPDの危険因子である(Chest 2004; 126: 59-65)、あるいはBronchial hyper-responsiveness(BHR)は喘息とともにCOPD発症にも関連するといった報告(Thorax 2006; 61: 671-677)など、少なくともその成立プロセスの一部が共有されていることを示しているように見える。とはいえ、すでに1960年代はじめに提唱されていた、喘息、慢性気管支炎、肺気腫は同じ疾患の異なる表現型とみなすべきで、そこにアトピー素因や気道反応性の亢進に関わる遺伝的要因のような宿主因子と、喫煙などの環境因子が絡みあっているのだという“Dutch Hypothesis”がそのまま半世紀後の現代に蘇ってくるはずもない。それぞれが独立した疾患単位とされてきた喘息/COPDでさえ、そのなかに多様な病態群を含んでいることが明らかにされつつあるのだ(Curr Opin Pulm Med 2011; 17: 72-78)。一方、閉塞性気道疾患という広範な患者群を対象としてCluster analysisを行ったところ、喘息とCOPDのオーバーラップ症例が一群として抽出されてきたという研究成果も報告されている(Eur Respir J 2009; 34: 812-818)。いつの日か喘息とCOPDの概念そのものをも揺り動かすことになるかもしれない新たな試みとして注目すべきだろう。

志を立て過疎の地へ飛び込んでいくにはあえて学問への欲求を断ち切らなければならない時代があった。しかしながら、それも今ではずいぶん昔のことのように感じられる。時には陸の孤島とも形容される山中にあろうとも、たいていの論文は手に入り、あふれるデータを整理することさえままならない。もはや情報へのアクセスという点では都会の優位性はあらかた失われてしまったのではないだろうか。ベニヤ板で仕切られただけのぼろぼろに擦り切れた四畳半に寝そべって、小さな窓から空を眺めていた頃とは比べものにならぬほど世界は広がりフラット化した。無意識のうちに自らを日本のスタンダードだとみなし、群れの力を振りかざすことと無縁でいられるとすれば、辺境にあることはむしろ幸いであったとも思う。ただ、いくら空間的な距離というもののもつ意味が低下しているとはいっても、気軽に直接的な議論を交わすことができなければ孤独を感じずにはいられないのである。 (2012.2.26)

下気道の臨床解剖学

2011年12月19日 05時11分43秒 | 気道病変
昔を振り返ることが多くなった。それは何かを成し遂げたからではない。思い出されるのは後悔の念を伴うような出来事ばかりだ。これまでの生涯をかけて手に入れたもの、それと引きかえに失ったもの、あるいはありえたかもしれない別の人生、果てしなく想像は駆けめぐるけれども、いつも行き着くのは満ち足りた感情とは対極の場所である。理想はすでに遠く、今さらどうなるものでもないとわかってはいても、ここにいたる道のりを辿りなおさずにいられない。学生時代のノートをもう一度めくってみるのも、そんな心持ちが少なからず関係しているのだろう。

臨床をめざす一学生にとって、解剖学は時代に取り残され、ただひたすら暗記するだけの退屈な学問であるように思われた。「蘭学事始」の時代ならいざ知らず、骨の小さな突起の名前や末梢神経の走行を覚えて何の意味があるのかといつも大きな疑問を抱えていたものだが、その意義を理解したのは大分あとになってからのことだった。おそらくこれからも解剖学は医学を支えるもっとも大事な根幹の一つでありつづけるだろう。この機会に呼吸器臨床に関連した、ごく初歩的な事柄だけでもまとめてみようと思う。

日常的に使われている言葉が常に同じ内容を示しているとは限らない。たとえば上気道/下気道という用語さえ、その定義は必ずしも一定していないようだ。教科書によっては下気道を気管分岐部より末梢と記載するものもあるとはいえ、一般に受け入れられている両者の境界は声帯である。これは組織学的な裏づけがある(口側は扁平上皮が主、気管側は多列線毛円柱上皮)のみならず、臨床的な観点からも声帯から下は原則として無菌状態であるとされていることにも対応する。末梢側についても意識されていることは稀ながら、肺胞領域を含むとするものや終末細気管支までに限るとするものなど様々だ。さらに非専門医にとってわずらわしいものの一つは、肺胞嚢にいたるまで23回も分岐を繰り返すといわれる(Weibelによる)気管支の命名法だろう(気管支学 2011; 33: 75-82)。気管から末梢まで主気管支、葉気管支、区域気管支、亜区域気管支…と枝が幾何級数的に増加し、病変部位を把握するのも容易ではない。気管を起点とした分岐数で表す方法は簡便であるとはいえ、極細径気管支鏡を用いれば第12次分岐まで観察可能であるといわれれば、もはや想像の域を超えている(気管支学 2003; 25: 118-122)。中枢気管支の命名にもいまだ未解決の問題が残されている一方で(気管支学 2010; 32: 3-5)、検査手技の進歩は末梢気管支の表記法をも細かく規定することを求めているのだ(気管支学 2000; 22: 330-331)。しかも右上中間幹分岐部と左上下葉支分岐部をそれぞれ右2次分岐部、左2次分岐部、あるいはSecondary carinaと略称するのは許容されるのに対し、Second carinaは不可であるなどなかなかうるさいのである(気管支学 2009; 31: 247-250)。

もちろん疾患の理解は病変の存在部位を正確に記述するところから始まるに違いない。中葉舌区症候群(日呼吸会誌 2008; 46: 55-59)や副鼻腔気管支症候群などのように疾患名そのものとなっているものは言うまでもなく、病態や診断、さらに治療方針の決定にも大きな意義をもつ。再発性多発性軟骨炎において、狭窄病変は肺内気管支(軟骨は小さな板状で不規則に分布)よりも肺外気管支(馬蹄形の軟骨輪と背側の膜様部からなる)に形成されやすいというのも解剖学の知識から容易に理解される(気管支学 2008; 30: 29-35)。肺癌症例で中心型(肺門型)/末梢型の別を認識することが欠かせないのも、改めて述べる必要はないだろう。もっともこれは肺癌取扱い規約にきちんと定義されているわけではなく、区域気管支を含む中枢気管支に発生したもの(酒井文和編著 新版すぐ身につく胸部CT 秀潤社 2002)と述べるものや、腫瘍の中心部が肺門構造内に位置しているものと説明する記載など、やや曖昧な使われ方をしている。ちなみに、 内視鏡的早期癌については従来の気管支鏡の可視範囲である亜区域支までに限局するものとされ、慢性血栓塞栓性肺高血圧においても同様に、肺葉動脈から区域動脈に閉塞がみられる中枢型と、区域動脈より末梢の小動脈の閉塞が主体である末梢型に分けられる(肺血栓塞栓症および深部静脈血栓症の診断、治療、予防に関するガイドライン(2009年改訂版)、日本循環器学会ホームページ)。ただし、これらの分類や肺区域の略号(S1、S2…)には欧米で通用しないものもあり、英語論文を執筆するような場合には注意が必要だ。

気管支は末梢になるほど内腔が狭くなり、それにつれて気道抵抗も増大するように感じられる。たしかに個々の気管支が対象なら真だろうが、集合体としてみれば気道抵抗が最大になるのは区域気管支の付近だ。各気管支・細気管支レベルの総断面積はむしろ末梢ほど増加するためであり、とくに第16分岐にあたる終末細気管支から第17-19分岐の呼吸細気管支にかけての広がりが顕著であることから、吸入気の流速はこの近辺で低下する。よって経気道的に侵入した粉塵は、線毛もみられなくなるこの領域とその周囲の肺胞腔内に停留し、病変を生じるにいたることが多い。細気管支の直径は1~0.5mm程度だが、内径2mm以下の気管支をとくにSmall airwayと呼ぶ理由の一つはここにある。周知のように、ここまで到達して人体に影響を与えうる粒子の多くは10μm以下で、径が数十μmのものは鼻腔で捕捉されたり気管や太い気管支壁に付着して逆送される。また、ガス交換は呼吸細気管支以下で行われることを踏まえれば、Carinaから0.7mm径の気管支の容量71mLに門歯からCarinaまでの容量80mLを加えたものがほぼ解剖学的死腔に相当することも、これ以上の説明を要しないだろう(Fraser and Pare’s Diagnosis of Diseases of the Chest 4th ed. Saunders 1999)。

ここに断片的に書きつらねたものは、本来含むべき内容を網羅しているといえるものではない。けれども、この仕事を続けているかぎり、臨床的な疑問を何一つ抱えずにいるということはないはずだ。だから折に触れて図譜をひらき、学びなおす。そうすれば靄のかかった世界をとおり抜けてそれまでとは異なる境地に達することだってあるかもしれない。否、そこに新たな発見などなくても構わないのだ。色あせた古いノートを手にとれば、あらゆる知識を吸収しようと格闘していた頃の記憶がよみがえり、しばし逍遥しつつ安逸をむさぼることができる。それで充分ではないだろうか。 (2011.12.19)