やっせんBO医

日本の教科書に記載されていない事項を中心にした個人的見解ですが、環境に恵まれず孤独に研鑽に励んでいる方に。

癌と間質性肺疾患など

2009年11月24日 05時12分15秒 | びまん性肺疾患
たとえたいした検査や治療を必要とせず平凡な結果しか表出していないとしても、そこに至る思考過程にはしばしば周辺情報を含む膨大な知識が絡んでいるものだ。しかしながら外見で判断されるのが人の世の常、くたびれた格好の田舎医者が尊敬の対象となるはずもない。それはさておき、たとえば肺癌症例にコンソリデーションやすりガラス影を認めた場合、質的診断に難渋するのはままある話だ。たまたまgefitinibを投与中だからといって、短絡的に薬剤性肺炎と決めつけてしまうようなことはないにしても、患者にこれ以上の苦痛を強いることに躊躇し、しばしば限られた情報から病態を検討せざるを得ないこととなる。当然それはピースの欠けたパズルのようなもので、学会という大舞台に華々しく発表することをあきらめることになるのだが、それが自分なりの矜持だとひそかに誇っているのである。

診断を確定できない場合でも経験のある臨床医はさまざまな可能性の中から病態をしぼり込み、最善を尽くそうとするに違いない。上記の陰影の鑑別としてまず挙げるべきは癌自体によるものだろう。その典型はBronchioalveolar carcinoma (BAC)で、しばしば言及されるように肺炎様の陰影を呈する。しかも急速に進行するものがあり、念頭になければ診断できない(日呼吸会誌 2009; 47: 652-657)。ここまでは肺癌組織型の画像診断における常識だが、肺野型扁平上皮癌でも肺胞構造を維持しつつ肺胞基底膜に沿って進展するタイプのあることが指摘されており、刮目に値する(肺癌 1990; 30: 963-973)。
とはいえ、実際の頻度からいえば肺癌の間接所見としてみられるものの方が多い。気道閉塞や胸水貯留による閉塞性肺炎・無気肺は容易に診断可能だ。一方で、横隔神経麻痺などによる肺膨張障害ないしそれに伴う無気肺によってすりガラス影を呈することは稀でないにもかかわらず、案外忘却されているのではないだろうか。吸気不十分で不適切に撮像されたために、あたかもすりガラスのように見えるのは評価以前の問題である。画像の質を維持するには放射線技師の寄与する部分が大きいことを改めて銘記したい。やや特殊な例だが、肺梗塞やlipoid pneumonia(Jpn J Clin Oncol 1998; 28: 492-496)、さらに中枢リンパ節転移によるリンパ管うっ滞・うっ血による限局性肺水腫が原因と推測されたものも報告されている(肺癌 2006; 46: 823-827)。

ところで、癌組織は癌細胞のみから成り立っているのではない。当たり前のようだが多かれ少なかれ、腫瘍間質も重要な一部分を占めており、近頃は単に支持組織としての役割のみならず癌細胞の増殖にも深く関わっていることが注目されている(Lung Cancer 2004; 45 suppl. 2: S163-S175)。この腫瘍間質の中や周辺組織に急性ないし慢性の炎症性変化をみることがあり、間質反応stromal reactionという(病理学、第6版、医学書院、1995年)。これはさらに滲出性(細胞性)と増殖性(線維性)の二者に分けられ、後者を特にDesmoplastic reaction(線維形成性間質反応、間質線維化反応)と呼ぶことがある。
必ずしもここでいう間質反応ばかりではないが、小型肺野型扁平上皮癌28例の病理組織を検討したものによると、うち17例で腫瘍周囲に何らかの炎症性病変を認めたと報告されている(肺癌 1990; 30: 963-973)。その内訳はlipoid pneumonia 7例、腫瘍の角化物質の吸引による好中球の浸出を主体とする肺炎(通常ごく小範囲)4例、器質化/器質化肺炎6例、局所的間質性肺炎2例であった。この間質反応は臨床的にも無視できるものではなく、たとえば肺腺癌が画像上一過性に縮小することがあるのは線維化のためであるし、癌性リンパ管症の胸部単純X線所見において、Kerley A、B lineとして認められる陰影にリンパ管そのものが寄与する程度は少なく、周囲の線維性反応と細胞浸潤によるところが大きいとされている(Thorax 1964; 19: 251-260)など、画像診断にも影響を与える因子である。

また悪性腫瘍の周囲や局所リンパ節内に類上皮肉芽腫を形成することがある。サルコイド様反応と呼ばれ、思いのほか広範に広がる例もあるようだ(Radiology 1996; 200: 255-261)。腫瘍の代謝産物や崩壊した際の分解産物などがT細胞を活性化することによるとも言われているが、詳細は不明である(日呼吸会誌 2008; 46: 889-893)。
同様なものとしてBOOP reactionも知られており、これは腫瘍の周囲に器質化肺炎が見られるものである(肺癌 1998; 38: 69-73)。経気道転移により広範な肺胞性陰影を示した粘液非産生性肺腺癌症例で、コンソリデーションの1/3未満が器質化肺炎であったとの報告がある(肺癌 2002; 42: 139-143)。

さらに驚くべきことに、腫瘍と直接関連しない部位にも器質化肺炎(日呼吸会誌 2002; 40: 827-831、日呼吸会誌 2008; 46: 853-857)などの間質性肺炎を合併した報告が散見され、肺癌から産生された何らかのサイトカインの関与が推測されているが推測の域を出ない。それでもNSIP(nonspecific interstitial pneumonia)の合併を報告した文献では一種の腫瘍随伴症候群とまで述べられている(Intern Med 2004; 43: 721-726)。肺癌症例でPR3-ANCA陽性の腫瘍随伴性血管炎を合併したとするものもあり(日呼吸会誌 2006; 44: 139-143)、腫瘍の影響は予想以上に大きいのかもしれない。

放射線照射例では当然のことながら放射線肺臓炎(recall現象を含む)の可能性について十分に検討すべきである。また、ただし、この場合も通常みられる放射線肺臓炎ではなく、組織学的に器質化肺炎があり得ること(Chest 1990; 97: 1243-1244)、また照射野外に発現した器質化肺炎の報告がある(日呼吸会誌 2001; 39: 683-688)。

間質性肺炎、特に特発性肺線維症に肺癌を合併しやすいことは確立された事実である(Eur Respir J 2001; 17: 1216-1219)。今回はそれとは逆に、肺癌に間質性肺疾患を合併しうることを紹介した。だが、現時点では症例報告レベルの話に過ぎず科学的に議論できる段階でさえないことを認識しておくべきだ。しかもヒュームが指摘しているように、いくら事実を積み重ねてもそれだけで真理をすくい取ることなどできるはずもない。そうは言うものの知的想像力を喚起するテーマであるには違いなく、たとえ虚構の世界でもしばし現実を忘れることができるならば、それ以上は余分だとさえ思えるのである。 (2009.11.24)

肺胞出血

2009年11月09日 05時34分32秒 | びまん性肺疾患
脳出血や消化管出血なら非専門医でもしばしば遭遇し、診断に難渋することもあまりないだろう。だが、肺胞出血については実は呼吸器専門医でさえそれほどなじみのあるものではない。事象そのものは単純明快で、文字通り肺胞腔内に出血しているものだ。しかし容易に想像されるように単一の疾患ではなく、治療法や予後を異にする様々な病態を含む。従って、実際の診療にあたっては肺胞出血の診断のみならず基礎疾患の確認も必須で、総合的な臨床能力が要求される症候群である。

まず免疫学的機序によるものと、免疫学的機序によらないものとに大きく分けると考えやすいだろう。順序としては後者(免疫学的機序によらないもの)を鑑別することから始めるのがよいと思う。ここに含まれるものとしては、腫瘍、動静脈奇形、肺炎、気管気管支炎、気管支拡張症、心不全、尿毒症、血小板減少症、凝固機能異常、肺塞栓などがあり、現代日本では滅多にお目にかからないが壊血病に合併した報告もある(日呼吸会誌 2002; 40: 941-944)。これだけでも一瞥して多種多様な疾患が含まれているのがわかる。診断に際しては病歴、臨床所見、止血・凝固所見、その他の補助的検査(心エコー、肺動脈造影、気管支鏡検査など)を適切に評価することが必要である。

一方、前者(免疫学的機序によるもの)は全身性壊死性血管炎(顕微鏡的多発血管炎やWegener肉芽腫症)が主なもので、その他、膠原病(SLEなど)やGoodpasture症候群、薬剤性(プロピルチオウラシル、チアマゾールなど、J Clin Endocrinol Metab 2009; 94: 2806-2811)が知られている。ここに分類されるものの多くは急速進行性糸球体腎炎(RPGN)を合併するのが特徴である。よって、肺胞出血症例では常に尿沈渣と腎機能を確認すべきとされ、異常を呈していれば腎生検を施行することが正当化される。蛇足ながら、血管炎症候群に含まれる疾患すべてが肺胞出血を合併するわけではないことを確認しておきたい(血管炎は多くの疾患を包含し、かつその概念も幾たびか変遷しているため、総合診療医にとって理解しにくい分野の一つと思う。簡明なレビューとして日本循環器学会ホームページに「血管炎症候群の診療ガイドライン」が公開されているので、一度目を通すことをお勧めする)。

これと重なる意味内容で教科書や研究論文にはしばしば、びまん性肺胞出血diffuse alveolar hemorrhageという名称が登場する。これは局所的な異常(気管支拡張症、悪性腫瘍、肺局所の感染症など)や気管支動脈系からの出血ではないことを強調する概念だ(Interstitial Lung disease 4th ed., BC Decker, 2003)。より病態に即して、肺の微小血管系(肺胞毛細血管、細動脈、細静脈)の傷害により肺胞内に出血したものと記述する総説もある(Clin Chest Med 2004; 25: 583-592)。従って、ワーファリンなど抗凝固療法によるもの(Chest 1992; 102: 1301-1302)など、様々なメカニズムによるものが含まれることを認識しておくべきではあるが、免疫学的機序の関与する疾患がその主要な部分を占めるのは間違いない。生検で確認されたびまん性肺胞出血34例のretrospectiveな検討によると最も多いのは疑い例も含めたWegener肉芽腫症11例(32%)であったという(Am J Surg Pathol 1990; 14: 1112-1125)。ただし日本ではANCA関連血管炎に占める割合はWegener肉芽腫症より顕微鏡的多発血管炎のほうが多いことが知られており、欧米とは異なっている(血管炎症候群の診療ガイドライン;日本リウマチ学会などによる合同研究班、日本循環器学会ホームページ、2008年)。膠原病のなかではSLEに伴うものが多く(Arch Intern Med 1981; 141: 201-203、Medicine 1997; 76: 192-202)、少数ながらPSS(Thorax 1990; 45: 903-904)やRAに合併したものも報告されている。

それぞれの疾患ごとに様々な修飾を受けるにせよ、肺胞出血の四主徴は喀血、貧血、びまん性浸潤影、呼吸不全とされる。もちろん、これらすべてがそろうとは限らず、特に重症例であっても喀血を認めない例がまれならずあることに注意を要する(日呼吸会誌 1998; 36: 1017-1022)。また、胸部X線・CT所見は両側のびまん性肺胞性陰影が典型的であるものの、限局性・片側性のこともあり、画像所見のみで診断するのは困難である。出血が止まっていれば陰影は24~72時間以内に急速に改善ないし消失する。いずれも特異的所見に乏しく、特に貧血のある例では肺胞出血の可能性を念頭に置くことが診断には重要だろう(Clin Chest Med 2004; 25: 583-592)。さらに気管支鏡検査を行い、肉眼的に血性のBALF(気管支肺胞洗浄液)を認めるか、多数のヘモジデリン含有マクロファージの存在を確認できれば、肺胞出血が強く示唆される。なお、ヘモジデリンは出血後少なくとも48時間経過してからみられるもので、その存在は生検などの操作に伴う出血ではないと判断するのに役立つ。気管支鏡検査は感染症など他の疾患の鑑別にも有用であることは言うまでもない。

さらに基礎疾患を同定するためには、詳細な病歴・服薬・職業歴の聴取に加え、眼部(episcleritisやretinal vasculitisの有無)・鼻咽頭部(鼻中隔びらんや鞍鼻変形の有無)の評価が必要だ。血清学的検査としてはANCAや抗基底膜抗体、さらに膠原病関連のマーカー(抗核抗体や抗リン脂質抗体など)が用いられる。肺生検(気管支鏡下、開胸下)の意義については議論のあるところであるが、一定のリスクを冒しても得られた組織所見は非特異的で基礎疾患を確定することができないことが多く、肺組織の免疫染色の手技的な困難さもあり否定的見解が多い。病理学的にはcapillaritisがしばしばみられ(Am J Surg Pathol 1990; 14: 1112-1125)、全身性血管炎のマーカーとして記述されたこともあったが、その後、膠原病や抗糸球体基底膜抗体病、薬剤性などの疾患にもみられうることが明らかとなった(Fishman’s Pulmonary Diseases and Disorders 3rd ed. McBraw-Hill, 1998)。そのため、上述のように尿異常や腎機能異常を有する症例ではむしろ経皮的腎生検が勧められ、免疫蛍光染色でそれぞれの疾患に特徴的な所見を得ることができる。

喀血という事象は多くの人にとってとりわけ不安感を刺激するものだろう。医師として日常的に対応していても、この自分に起こった時に冷静でいられる自信はない。西洋医学の導入が始まって間もない頃、最期の数年は上体を起こすこともできぬ状態で闘病することを余儀なくされた若き歌人がいた。初めて喀血した時、彼がこれをどのように受け止めたのか知らないが、これを機に彼は子規と号し、後の世まで知られる存在になったのである。ここには死に直面しながら自己を磨き上げることのできた人間がいる。しかし、これはおそらく決して稀有な例ではなく、あえて顕示することもなく、それぞれの仕方で病と向きあっている無名の多くの人がいる。私はそのような人々の杖となる存在でありたいと思う。 (2009.11.9)