やっせんBO医

日本の教科書に記載されていない事項を中心にした個人的見解ですが、環境に恵まれず孤独に研鑽に励んでいる方に。

pulmonary tumor thrombotic microangiopathy(PTTM)

2009年08月17日 05時15分38秒 | 腫瘍
戦後の画像診断装置の進歩は臨床の風景を一変させた。時間をかけて丁寧に理学所見をとることが少なくなったことを憂い叱責する論もあるが、それは懐旧の念を多分に混じえた決まり文句か臨床現場を知らない者の戯言ではないだろうか。現実の医療を取り巻く環境はもはやそのような余裕を許さなくなっていることにも目を向けなければ公平とは言えないと思う。しかも昔の大教授がいかに聴診技術に長けていたとしてもその情報の質と量は現代の医療機器にはかなわない。そのような状況の中でむしろ臨床医に問われているのは画像所見の意味するところを正確に理解し、病態の中に位置づける能力である。

たとえば教科書に高分解能CTはsubmacroscopicな病理像を反映すると記載されている。とすれば、解像度の大きく劣る旧式の装置によるものは論外としても、CTで何の所見もなければ大きな問題はなかろうと考えてしまう。無理もない話だがこれは誤りで、血管内に病変の主座がある場合などでは所見が見られないことが多い。とはいえ、残念ながら知識として知ってはいてもそのとおりに実行できるとは限らない。思考の落とし穴に転落し、何度でも痛い目に遭う。そのたびに人間はそれほど理性的な存在ではないことを教えられ、また自分の限界を思い知らされるのである。

肺転移様式の一つとして数えられる腫瘍塞栓も画像所見に乏しい例が少なくない。肝細胞癌(HCC)や腎細胞癌(RCC)などで区域支より太い肺動脈を閉塞し、急性肺高血圧、肺梗塞、突然死などとして現われるものもあるが、より一般的にみられる腫瘍塞栓は中~小型の筋性動脈や細動脈を侵し、しばしば癌性リンパ管症を伴い、亜急性の経過をたどる肺高血圧をきたす。そしてこの特殊型として知られるのがpulmonary tumor thrombotic microangiopathy(PTTM)である。

PTTMが一つの臨床病理的疾患概念として提唱されたのは比較的最近のことだ(Cancer 1990; 66: 587-592)。それによれば肺動脈の微小腫瘍塞栓が契機とはなるもののそれにとどまらず、腫瘍表面で凝固系が著明に活性化されフィブリン血栓を形成し、さらに小肺動脈から細動脈にかけて広範に線維細胞性の内膜増殖がみられるのが従来の顕微鏡的腫瘍塞栓症例と大きく異なる特徴であるという。結果として腫瘍細胞は完成した病変の中にごく一部存在するに過ぎない(Pathol Int 2007; 57: 383-387)。このように特異な組織所見を呈する原因の詳細は明らかではないが、腫瘍細胞の直接作用ではなく間接的な内膜増殖刺激によるものとされている。すなわち肺細動脈への腫瘍の微小塞栓によりVEGFやtissue factor(TF)、セロトニンが凝固を亢進させると同時に内皮障害を引き起こし、この障害された内皮がさらに様々な成長因子を産生し、内膜でのmyofibroblast増殖を誘導するという。

PTTMは癌患者剖検630例中21例(3.3%)にみられ、そのうち11例は胃癌、19例は腺癌であったと報告されているが(Cancer 1990; 66: 587-592)、特に胃印環細胞癌などの低分化型腺癌が比較的高頻度である。一方で、生前に診断された症例はごく少ない。自覚症状に比べ画像所見に乏しいのが第一の理由に挙げられ、多発する微小結節(J Clin Oncol 2007; 25: 597-599)や末梢動脈の数珠状の拡張、小葉間隔壁の肥厚(Radiology 1993; 187: 797-801)、tree-in-bud pattern(Am J Roentgenol 2002; 179: 897-899)を示すことも報告されているが、全く所見が見られないことさえある。しかも癌患者の場合、肺血栓塞栓症(PTE)との鑑別が必須だが、両者の臨床所見は極似しており、腫瘍の存在があらかじめ明らかでなければ想起されることさえ稀だろう(Am Heart J 1987; 114: 1432-1435)。

主要な臨床症状は進行性の呼吸困難であり、これは肺高血圧に起因した右心不全による。したがって心エコー所見が診断の重要な手がかりになる可能性があることはもっと強調されてよいと思う。心疾患ばかりではなく呼吸不全に対しても心エコーが有用であることを認識しておくことが重要だ。また、一般に血管病変では血管造影がゴールドスタンダードとみなされているが、PTTMに関しては肺動脈造影の感度・特異度はともに低い。現時点では換気血流シンチで左右対称の区域ないし亜区域支の血流欠損を証明することが最も有用であるが、検査自体が微小塞栓物質を用いるため、血行動態を悪化させ死亡例も報告されていることに注意しなければならない(Am J Med 2003; 115: 228-232)。いずれにせよ診断確定にはやはり病理組織が必要である。特に癌細胞の存在を確認することが不可欠で、胸腔鏡下肺生検で診断された症例(J Clin Oncol 2007; 25: 597-599)もあるが、患者の状態が侵襲的検査を許さないことが多い。CTガイド下肺生検・TBLBは患者への侵襲性の面ではより有利だが(日呼吸会誌 2008; 46: 493-496、日呼吸会誌 2008; 46: 928-933)、検体が小さい場合には癌細胞がみられなくともPTTMを否定することはできず、primary pulmonary hypertension(PPH)や再発性血栓塞栓症と誤る可能性があることに留意すべきだろう。肺動脈に楔入したカテーテルから吸引・採取された血液の細胞診により、感度80~88%、特異度82~94%で診断可能であると報告されているが(Int J Cardiol 2008; 124: e11-e13)、適切な手技で行なわれる必要があり、また肺megakaryocyteや血管内皮が腫瘍細胞に類似し評価が困難になることがありえると指摘されている(Am J Med 2003; 115: 228-232)。

治療に関しては、化学療法を試みるのがオーソドックスな方法だろう。それにより腫瘍細胞量が減少し、内膜増殖刺激も低下することが期待され、実際、自覚症状の改善や延命に有効であった症例もある(J Clin Oncol 2007; 25: 597-599)。しかしながら生前診断が困難である上に、PTTMで呼吸困難が出現してからの生存期間は4~12週(Thorax 1997; 52: 1016-1017)、ないしほとんどの患者は呼吸困難の出現から1週間以内に死亡する(J Clin Oncol 2007; 25: 597-599)などとも言われるように極めて予後不良であるため、患者に過度の負担をかけない治療法も検討されなければならない。そこで、血栓形成が病態の一部を形成していることから血栓溶解療法を行なった症例も報告されているが、PTTMは血栓形成よりむしろfibrocellular proliferationが主要な要素であるので、現時点では否定的な見解が多い。また内膜の線維細胞増殖を誘導する経路を遮断するセロトニン拮抗薬や、病理所見がPPHに類似していることから、それに対して用いられているprostacyclin誘導体などの有用性が期待されているが、多数例で実証されたものではない(J Postgrad Med 2009; 55: 38-40)。

本邦では時々PTTMの症例報告が行なわれ臨床的に興味を持たれているのは間違いないが、実は独立した疾患単位としての認知度は低く、欧米の主要な教科書には記載がない(Fraser and Pare’s Diagnosis of Diseases of the Chest第4版、Saunders、Dail and Hammar’s Pulmonary Pathology 第3版、Springer)。臨床医ならば現実の病気はそれぞれの個人や状況により一つとして同じものはないことを経験的に知っているだろう。ところが疾患概念はそのように多様なあり方をしているものをある観点からむりやり切り分ける。一種の思考のフレームワークとして機能し、効率的に問題を把握し、解決することには役立つのだが、それは一方で疾患に対する考え方を硬直化させる面があるのではないだろうか。もともと認識のための道具、仮説であったのが逆に真理であるかのように倒錯して捉えられ、規準に合わないものは排除されてしまう懸念が拭えない。そうすると当然のことながらある疾患概念を受け入れるには慎重な態度が要求され、病理・病態のみならず自然経過、臨床所見などについても充分に評価し、その疾患の独立性を検証すべきであると思う。まさにこの点から多くの専門家はPTTMの概念に関して態度を留保しているのではないかと推察する。 (2009.8.17)