小舟で急流を下るようであった研修の日々もすでに遠く、かつて世阿弥が盛りの極めと教えた年齢も意識することなくとおり過ぎた。振り返れば悔やむことばかりで、できるものなら消し去ってしまいたい出来事の連続ではあるけれども、どこかに残しておきたいと未練を感じるものもある。次からつぎへと更新されたちまちのうちに古びてしまうのが科学の世界の宿命であるとしても、もって生まれた能力を恨めしく思いつつようやくものにしたものであれば弊履を捨てるようなわけにいかない。波打ち際に砂像を築くがごとき戯れにすぎないと承知しつつ、何かが変わるかもしれないとひとり満足するのだ。
血栓性血小板減少性紫斑病(TTP)と溶血性尿毒症症候群(HUS)については古くから周知されている。TTPが中枢神経を含む全身性の微小血管における血小板凝集により諸臓器の虚血を呈するのに対し、HUSは主として腎循環系に血小板-フィブリン血栓を生じるものをいう(N Engl J Med 2002; 347: 589-600)。さらに、胎盤・肝を中心として血栓が形成されるHELLP(hemolysis with elevated liver enzyme levels and a low platelet count) syndromeも含めて、臨床的にいずれとも截然と区別しがたい症例が存在し、病態的にも類似することから、これらをまとめてThrombotic microangiopathy(TMA)と総称したのも最近のことではない。とはいえ、まったく同一の病態のなかでの表現型の違いにすぎないと考えるのは即断に過ぎるのだ。TTPではvon Willebrand 因子を特異的に切断する酵素(ADAMTS13)の活性がしばしば低下していることが認められ、これは遺伝子異常や自己抗体によることが明らかにされている。一方、HUSの多くはE. coli O157:H7株などのグラム陰性菌感染による胃腸炎が先行し、産生されたShiga toxin(verotoxin)が血管内皮や単球上の受容体に結合し、放出された種々のサイトカインが血小板を活性化することによる。しかしながら、この古典的なタイプ以外にも少数ながら遺伝子異常や自己抗体が関与するものなどもあり、その内容は決して均一なものではない(Curr Opin Nephrol Hypertens 2010; 19: 372-378)。
より臨床的な観点からは、TMAを誘発しうる要因のほうに興味がもたれるだろう。内科系で遭遇するものとしては上述の細菌感染によるHUSがもっとも知られるところだが、その他腫瘍と薬剤関連のものが比較的多い。前者についてある報告では、一施設で診断された93例のTMA(TTPが77例、HUSが8例、HELLP症候群が8例)のうち、活動性の癌に随伴したものが9例でいずれもTTPだった(Oncologist 2003; 8: 375-380)。7例は3か月以内に化学療法を受けておらず、そのうち6例で骨髄転移が陽性で二次性のMyelofibrosisを伴っていたという。また、癌そのものではなくマイトマイシンCやシスプラチンなど抗癌剤との関連を疑うものも散見される。Bevacizumabをはじめとする抗VEGF薬では蛋白尿や腎機能障害が特徴的な副作用として知られるけれども(Semin Nephrol 2010; 30: 582-590)、これらも病理学的にはTMAの所見に一致し、VEGFの抑制そのものがTMAを発現させることが示され、多くの研究者の注目を集めた(N Engl J Med 2008; 358: 1129-1136)。薬剤性としてはその他に、チクロピジンやクロピドグレル、経口避妊薬、シクロスポリン、タクロリムス、インターフェロンなどが報告されている。それ以外にも妊娠中ないし産褥期にみられるものや、骨髄などの臓器移植、全身放射線照射、HIV感染症、そして膠原病関連のものなど、思いのほか多様である(日内会誌 2001; 90: 1427-1433)。
脳や腎、肝に病変がみられるなら同様に広大な血管床を有する肺を主体に侵したとしても不思議ではない。事実、単一施設で経験された56例のTTP症例のうち7例において前面に現れた症候はARDSであった(Am J Med Sci 2001; 321: 124-128)。そのすべてが女性で4例は手術合併症として生じており、また4例では驚くべきことに血漿交換ないしFFP輸注によりTTPのみならずARDSも顕著な改善を示し、結局完全寛解に至っている。一方、死亡した1例の剖検所見では、組織学的に著明なうっ血、肺胞内への出血、巣状の肺炎を認めたが、硝子膜はみられなかったという。肺胞出血と診断されている症例も同様の範疇に入るものかもしれない(日呼吸会誌 2009; 47: 227-231)。報告数はそれほど多いものではないにしろ、肺の所見が問題となる例も少なからず存在しているのではないだろうか。
情報が幾何級数的に増殖し氾濫するにいたった現代においては、もはや一つひとつの論文が主張する内容そのものよりも、それが情報の網の目のどこに位置づけられるかのほうが意味をもつ。従来の文脈のなかで加工され、あるものはメタアナリシスなどに統合された形で、二次情報として利用されてこそ価値があるのだ。そうでなければ、臨床医学系の論文など発表当時に多少話題になったとしても、数年のうちに想起されることさえ稀になってしまうに違いない。画期的な研究成果であっても臨床現場への影響力という点ではよくできたレビューにかなわないのである。一方、先端で活躍する研究者ほど厳しい競争を生き抜いていくために、しばしば専門領域を可能なかぎり絞り込んでいるので、万人に評価されるレビューの著者としては最適であると限らない。あまりに特殊なテーマでは多くの人の耳目を惹きつけることなどできないから、それなりに普遍性のある、けれども必ずしも精通しているとは言えない分野の問題をも扱わざるを得ないだろう。このことを社会が専門家に求める役割という観点から考えてみると、彼が専門家として振る舞うことができるのはごく狭い範囲でしかないにもかかわらず、それよりずっと広い領域を期待され責任を担わされていることが多々あるのではないかと思われるのだ。そして、もしそうだとすれば、論文の査読者の質が粗悪であるなどというのとは比べものにならないほどのリスクを社会も負っているとは言えないだろうか。日本が直面している問題が解決されないばかりか、しばしば先送りされ事態を複雑化させているとすれば、このことも原因の一つではないかと憂えずにはいられないのである。 (2011.6.13)
血栓性血小板減少性紫斑病(TTP)と溶血性尿毒症症候群(HUS)については古くから周知されている。TTPが中枢神経を含む全身性の微小血管における血小板凝集により諸臓器の虚血を呈するのに対し、HUSは主として腎循環系に血小板-フィブリン血栓を生じるものをいう(N Engl J Med 2002; 347: 589-600)。さらに、胎盤・肝を中心として血栓が形成されるHELLP(hemolysis with elevated liver enzyme levels and a low platelet count) syndromeも含めて、臨床的にいずれとも截然と区別しがたい症例が存在し、病態的にも類似することから、これらをまとめてThrombotic microangiopathy(TMA)と総称したのも最近のことではない。とはいえ、まったく同一の病態のなかでの表現型の違いにすぎないと考えるのは即断に過ぎるのだ。TTPではvon Willebrand 因子を特異的に切断する酵素(ADAMTS13)の活性がしばしば低下していることが認められ、これは遺伝子異常や自己抗体によることが明らかにされている。一方、HUSの多くはE. coli O157:H7株などのグラム陰性菌感染による胃腸炎が先行し、産生されたShiga toxin(verotoxin)が血管内皮や単球上の受容体に結合し、放出された種々のサイトカインが血小板を活性化することによる。しかしながら、この古典的なタイプ以外にも少数ながら遺伝子異常や自己抗体が関与するものなどもあり、その内容は決して均一なものではない(Curr Opin Nephrol Hypertens 2010; 19: 372-378)。
より臨床的な観点からは、TMAを誘発しうる要因のほうに興味がもたれるだろう。内科系で遭遇するものとしては上述の細菌感染によるHUSがもっとも知られるところだが、その他腫瘍と薬剤関連のものが比較的多い。前者についてある報告では、一施設で診断された93例のTMA(TTPが77例、HUSが8例、HELLP症候群が8例)のうち、活動性の癌に随伴したものが9例でいずれもTTPだった(Oncologist 2003; 8: 375-380)。7例は3か月以内に化学療法を受けておらず、そのうち6例で骨髄転移が陽性で二次性のMyelofibrosisを伴っていたという。また、癌そのものではなくマイトマイシンCやシスプラチンなど抗癌剤との関連を疑うものも散見される。Bevacizumabをはじめとする抗VEGF薬では蛋白尿や腎機能障害が特徴的な副作用として知られるけれども(Semin Nephrol 2010; 30: 582-590)、これらも病理学的にはTMAの所見に一致し、VEGFの抑制そのものがTMAを発現させることが示され、多くの研究者の注目を集めた(N Engl J Med 2008; 358: 1129-1136)。薬剤性としてはその他に、チクロピジンやクロピドグレル、経口避妊薬、シクロスポリン、タクロリムス、インターフェロンなどが報告されている。それ以外にも妊娠中ないし産褥期にみられるものや、骨髄などの臓器移植、全身放射線照射、HIV感染症、そして膠原病関連のものなど、思いのほか多様である(日内会誌 2001; 90: 1427-1433)。
脳や腎、肝に病変がみられるなら同様に広大な血管床を有する肺を主体に侵したとしても不思議ではない。事実、単一施設で経験された56例のTTP症例のうち7例において前面に現れた症候はARDSであった(Am J Med Sci 2001; 321: 124-128)。そのすべてが女性で4例は手術合併症として生じており、また4例では驚くべきことに血漿交換ないしFFP輸注によりTTPのみならずARDSも顕著な改善を示し、結局完全寛解に至っている。一方、死亡した1例の剖検所見では、組織学的に著明なうっ血、肺胞内への出血、巣状の肺炎を認めたが、硝子膜はみられなかったという。肺胞出血と診断されている症例も同様の範疇に入るものかもしれない(日呼吸会誌 2009; 47: 227-231)。報告数はそれほど多いものではないにしろ、肺の所見が問題となる例も少なからず存在しているのではないだろうか。
情報が幾何級数的に増殖し氾濫するにいたった現代においては、もはや一つひとつの論文が主張する内容そのものよりも、それが情報の網の目のどこに位置づけられるかのほうが意味をもつ。従来の文脈のなかで加工され、あるものはメタアナリシスなどに統合された形で、二次情報として利用されてこそ価値があるのだ。そうでなければ、臨床医学系の論文など発表当時に多少話題になったとしても、数年のうちに想起されることさえ稀になってしまうに違いない。画期的な研究成果であっても臨床現場への影響力という点ではよくできたレビューにかなわないのである。一方、先端で活躍する研究者ほど厳しい競争を生き抜いていくために、しばしば専門領域を可能なかぎり絞り込んでいるので、万人に評価されるレビューの著者としては最適であると限らない。あまりに特殊なテーマでは多くの人の耳目を惹きつけることなどできないから、それなりに普遍性のある、けれども必ずしも精通しているとは言えない分野の問題をも扱わざるを得ないだろう。このことを社会が専門家に求める役割という観点から考えてみると、彼が専門家として振る舞うことができるのはごく狭い範囲でしかないにもかかわらず、それよりずっと広い領域を期待され責任を担わされていることが多々あるのではないかと思われるのだ。そして、もしそうだとすれば、論文の査読者の質が粗悪であるなどというのとは比べものにならないほどのリスクを社会も負っているとは言えないだろうか。日本が直面している問題が解決されないばかりか、しばしば先送りされ事態を複雑化させているとすれば、このことも原因の一つではないかと憂えずにはいられないのである。 (2011.6.13)