やっせんBO医

日本の教科書に記載されていない事項を中心にした個人的見解ですが、環境に恵まれず孤独に研鑽に励んでいる方に。

薬に関する情報収集とレギュラトリーサイエンス

2012年10月02日 05時40分01秒 | 医学・医療総論
製薬企業がいかに豊富な情報を握っているか、治験に参加した臨床医の多くは驚嘆せずにはいられないだろう。一冊の治験薬概要書のなかに凝縮された内容もさることながら、それに加えて副作用定期報告、世界で文献が出版されるたびにその概要とそれに対する企業見解を記した研究報告、さらには海外規制当局の安全性上の対応に関する措置報告など次からつぎへと提供されるのだ。ところがいったん市販されてしまうと、入手される情報の量がとたんに少なくなるように感じられる。たまにやってくる医薬情報担当者(MR)が通り一遍の説明をしてくれるとはいえ、天下り式に結論を伝達されるだけでは納得できず、そこにいたる背景や検討の過程まで確認したくなることも少なくない。企業は医師を細かく格付けし、そのグレードによって対応を変えているというから、key opinion leader(KOL)のもとには事あるごとに本社の人間が参上しているのだろうが、患者の治療に責任を負うという点では場末の医師もまったく変わるところはないのだ。

基本的な情報は添付文書に含まれているとはいえ、薬事法に規定される公的文書としての制約もあり、必ずしも現場で求められる内容になっているとは限らない。薬理の項をいくら繰っても、作用機序を把握できないことだってある。記載要領に基づきその構成が標準化されているとはいいながら、有効性や安全性の面から類薬の添付文書と比較してそれぞれの特徴が見えてくることも少ない。事象名の記載に統一感がなく、たとえば、イレッサの添付文書には急性肺障害、間質性肺炎とあるのに対し、タルセバでは間質性肺疾患と表記され、そこに放射線肺臓炎や肺浸潤など奇異な名称が並んでいる。両薬でみられる肺病変に異なるところがあるというのだろうか。示されている発現頻度についても、どのようなデータに基づいた数字なのか詳細な記載がない。データの信頼性が確保されたGCP下の治験に比べ、実臨床下における一般臨床医の認識に依存した市販後調査では副作用頻度が大きく低下するのが普通で、あくまでも参考値にすぎないともいわれるのだ。異なる性格のものが説明もなく併記されていれば、混乱するのも当然だろう。

個々の薬剤に関して学会が作成した使用ガイドラインであれば、臨床医にとってより実際的で理解しやすいものになっているに違いない。その嚆矢とされるゲフィチニブ使用に関するガイドライン(2005年7月25日、日本肺癌学会)はすでにその役目を終えているけれども、添付文書の記載から逸脱することができず、また、製品の売り上げを気にせざるを得ない企業とは別の立場から作成されている点で、その意義は十分にあると思う。企業の存亡にも関わりかねない安全性の情報は、外から考える以上にデリケートな問題であるらしい。実際、日本リウマチ学会のホームページで公開されている生物学的製剤などの使用ガイドラインのなかには、製品の添付文書とはかなり異なる注意喚起をしているものもあるのだ。

さらに詳細を知りたい場合、それほど古い薬でなければ審査報告書/審議結果報告書・申請資料概要がきわめて有益な情報源となる。医薬品医療機器総合機構(PMDA)の医薬品医療機器情報提供ホームページから医療用医薬品の承認審査情報が検索できるので、一度覘いてみることをお勧めしたい。ところどころ墨塗りで隠されている部分はあるけれども、新薬の上市前に申請者から国に提出されたデータと、それに対する当局の判断が示されているため、添付文書に記載されている事項の根拠や背景が確認できるのだ。試しにザーコリの審議結果報告書をみてみると、添付文書に明確に記されていない事象でも「資材等により適切に注意喚起する必要」があると指摘されているものがあることがわかる。資材(適正使用ガイドやその他パンフレットなど)が企業ホームページに公開されていなければ気づかれずにいることも多いだろう。

かなり異色な方法かもしれないが、海外の添付文書と比較するのも有用なことがある。core data sheet(CDS)が存在する製品であれば、それに準拠して全世界で添付文書の内容は同じであるというのが建前ではあるけれども、各国規制当局の判断の違いを反映して日本とは異なる情報が載せられていることもあるようだ。米国であれば、Drugs@FDA(FDA approved drug products)のページから薬剤を検索しlabel informationの項を開いてみると、言語の違いなど問題にならぬレベルの平易な英文で、しかも日本の添付文書に比べ記載がより具体的である。JAPICのホームページにある海外添付文書情報が網羅的で使いやすい。

インターネットの時代、情報があふれ便利になったとはいえ、確認できることにはいまだ限界があるのも事実である。たとえば、原則禁忌から慎重投与に注意喚起レベルが下げられた稀有な例として最近話題になったアバスチンにおける脳転移例の扱いにしても、そこに至るまでにどのような検討がなされたのか気になるところだろう。だが、学会ホームページで告知されている以上の内容を知ろうと思っても、簡単には検索できないのだ。実は厚生労働省ホームページの関連審議会・検討会の議事録をしらみつぶしに当たれば、平成24年度第1回医薬品等安全対策部会の資料として、「ベバシズマブ(遺伝子組換え)の安全性に係る調査結果について」と題したPMDAによる調査結果報告書が公開されている。そこまで確認してはじめて、脳転移例に対するベバシズマブ投与が安全だとの評価ではなかったことが知れるのである。

薬に関する種々雑多な情報は治験段階に限らず、製薬企業や規制当局によって積極的に収集され、実に周到な評価が行われている。そのうえで必要と判断されたもののみが選択され伝達されているのだ。それでも、そのプロセスからこぼれ落ちるものがありうることをイレッサの件は明らかにした。白とも黒とも言い切れない、未だ顕在化していないリスクについても、実際のデータとともに整理された形で公開されつつあるのは、その反省を踏まえたものでもあるに違いない。その結果、現場の視点から評価を加えることが可能となるのに加え、さらに意味のあることに、ある決定の妥当性についてあとから検証することも可能となる。ここにレギュラトリーサイエンスがより広く深い形で成り立つ基盤があると思う(内山充 監修 レギュラトリーサイエンスの発展 エルゼビア・ジャパン 2004年)。

これに対する学会の関与の仕方についても検討されなければならないことが、アバスチンの例から垣間見えてくる。上記報告書によれば日本腫瘍学会、日本肺癌学会が合同で、さらに日本呼吸器学会から時を同じくして厚生労働大臣に要望書が出されているという。その文面もほぼ同一であることから推測すれば、企業から各学会への根回しがあり、文案も用意されていたのだろう。公表論文を独自に調査し科学的に検討した形跡は希薄で、意思決定のプロセスも明らかにされていない。つまり製薬企業の意に沿うように動いただけではないのかと懸念されるのだ。専門家集団としての学会の存在意義が問われると同時に、営利企業との不明朗な関係さえ邪推されかねない。

ついでながら、学会によってこのところ次々に刊行されているガイドラインについても、期待に違わない質が維持されているのか懸念を抱かせるものがある。「薬剤性肺障害の診断・治療の手引き」(日本呼吸器学会、2012年)の発生機序の項に、抗酸化物質として成長刺激ホルモン(growth-stimulating hormone: GSH)が挙げられているのだが、もちろん、略語は同じGSHでもglutathioneが正解だ。このような幼稚な誤りが前版のガイドラインからそのまま踏襲されているのを見れば、ばかばかしさを通り越して呆れる他ない。この著者はわざわざ文献を引用しているにも関わらずAbstractさえ読んでいないことが知れる。そして、委員会として充分に吟味し合意された内容が「手引き」としてまとめられたというわけではなく、個人によるレビュー以上のものではないこと、さらには、まともなレベルの研究者ならありえない記述をしているからには真の著者はレジデントレベルに違いないこと、等々の疑念を拭うことができない。おそらく歴史に残る事例であろうと思いながら、巻頭に麗々しく掲げられた作成委員の名前を眺めるのである。 (2012.10.2)