病理所見はしばしばgold standardとして位置づけられるが、こと間質性肺炎に関してはいまだ混沌としており複雑怪奇とも言いたくなる状況だ。ATS/ERSや日本呼吸器学会による分類基準が現時点でのコンセンサスではあるとはいえ、著明な病理医の間でさえしばしば診断が一致せず(Thorax 2004; 59: 500-505)、そのため臨床・画像情報をも総合して決定されたものが最終診断とみなされる(Am J Respir Crit Care Med 2004; 170: 904-910)。臨床医にしてみればはなはだ頼りない状況であり、ある程度の病理の知識を要請される所以である。
さて、肺の“間質”と“実質”という用語は病理学の基本概念であり、いまさら整理するまでもないかもしれない。が、文献を読んでいると著者ごとに様々な内容で使われているのに気づくのだ。気道・血管・小葉間隔壁・胸膜を間質とし、それ以外の気腔・肺胞隔壁を実質と記載するものもある(びまん性肺疾患の臨床、金芳堂、2003)が、むしろ現時点の日本においては日本呼吸器学会による「特発性間質性肺炎 診断と治療の手引き」(2004)にあるように、「肺の実質は気腔および気腔を囲む上皮組織からなり、これら以外の支持構造が肺の間質」である、とするのが大多数の理解ではないだろうか。さらにまた“狭義の間質”を肺胞隔壁の部分の間質とし、“広義の間質”はそれ以外の気管支血管周囲や小葉間隔壁、胸膜下の間質を指すとしている。すなわち、間質と実質はお互いに補完し合うように定義されており、間質性肺炎とはこの「肺の間質を病変の主座としてびまん性に炎症が広がる病態」である、と非常にクリアカットな形で述べられている。
一方、この「手引き」が準拠しているというATS(American Thoracic Society)とERS(European Respiratory Society)による「International Multidisciplinary Consensus Classification」(Am J Respir Crit Care Med 2002; 165: 277-304)にはIdiopathic Interstitial Pneumonias (IIPs)はDiffuse parenchymal lung diseases (DPLDs)の中の一つのグループである」との記述がみられ、上記の定義からすれば違和感のある表現である。そこで手元にある海外の教科書をいくつか確認してみると例えば、Fishmanの教科書(Pulmonary Diseases and Disorders 第3版)には、「Interstitial lung diseases (ILD)よりDPLDのほうがより適切な名称である。というのは間質とは肺胞上皮と血管内皮の基底膜で境されたごく狭い空間を指す用語であり、多くの場合これらの疾患では病変が間質に限定されているわけではないからである」とあり、Schwarz & Kingによる教科書(Interstitial Lung Disease 第4版)でも同様に、「ILDとはいうもののこれらのほとんどの疾患は気道、肺実質、血管、胸膜も広範に侵すので、間質という用語は幾分誤解を招くものである」と記載され、「間質性肺炎は肺実質にさまざまな程度の線維化や炎症をきたすもので、細菌性肺炎に典型的にみられるようなair space diseaseとは対照的である」と述べられている。さらに肺の間質は「parenchymal interstitium (alveolar wall or the alveolar septae)」と「loose-binding connective tissue (peribronchovascular sheaths, interlobular septa, and visceral pleura)」に分けられる、などのような言葉遣いがされていることから推測すると、欧米における“間質”は狭い範囲に限局して用いられていること、さらに“間質”と“実質”とは同列にある概念ではなく、前者は後者に含まれるものと捉えられていることが伺われる。
このように日本と欧米との間にはごく基本的な概念においてさえも微妙な相違があり、しかも同様の事例は案外多いのではないかと推測する。学生時代に、炎症の主体が間質にあれば「肺臓炎pneumonitis」、肺実質なら「肺炎pneumonia」と使い分けることを教えられたけれども、現在のガイドラインでは採用されていない。一方、病理形態学的観察から、肺胞末梢領域の間質の炎症が主たる病変であると考えられていた間質性肺炎であるが、実はその炎症は二次的に惹起されたもので、上皮細胞障害と肺胞領域の線維化のほうが一次的所見である(日内会誌 2006; 95: 1858-1862)などという議論もある。このように、病態の理解にも変遷があることを考慮すれば、一つの定義にこだわる意義は少ないかもしれない。しかしながら現実世界を認識する道具としての言葉の影響は思いのほか大きく、国際的なコミュニケーションを阻害する可能性を懸念せずにはいられないのだ。 (2009.4.25)
さて、肺の“間質”と“実質”という用語は病理学の基本概念であり、いまさら整理するまでもないかもしれない。が、文献を読んでいると著者ごとに様々な内容で使われているのに気づくのだ。気道・血管・小葉間隔壁・胸膜を間質とし、それ以外の気腔・肺胞隔壁を実質と記載するものもある(びまん性肺疾患の臨床、金芳堂、2003)が、むしろ現時点の日本においては日本呼吸器学会による「特発性間質性肺炎 診断と治療の手引き」(2004)にあるように、「肺の実質は気腔および気腔を囲む上皮組織からなり、これら以外の支持構造が肺の間質」である、とするのが大多数の理解ではないだろうか。さらにまた“狭義の間質”を肺胞隔壁の部分の間質とし、“広義の間質”はそれ以外の気管支血管周囲や小葉間隔壁、胸膜下の間質を指すとしている。すなわち、間質と実質はお互いに補完し合うように定義されており、間質性肺炎とはこの「肺の間質を病変の主座としてびまん性に炎症が広がる病態」である、と非常にクリアカットな形で述べられている。
一方、この「手引き」が準拠しているというATS(American Thoracic Society)とERS(European Respiratory Society)による「International Multidisciplinary Consensus Classification」(Am J Respir Crit Care Med 2002; 165: 277-304)にはIdiopathic Interstitial Pneumonias (IIPs)はDiffuse parenchymal lung diseases (DPLDs)の中の一つのグループである」との記述がみられ、上記の定義からすれば違和感のある表現である。そこで手元にある海外の教科書をいくつか確認してみると例えば、Fishmanの教科書(Pulmonary Diseases and Disorders 第3版)には、「Interstitial lung diseases (ILD)よりDPLDのほうがより適切な名称である。というのは間質とは肺胞上皮と血管内皮の基底膜で境されたごく狭い空間を指す用語であり、多くの場合これらの疾患では病変が間質に限定されているわけではないからである」とあり、Schwarz & Kingによる教科書(Interstitial Lung Disease 第4版)でも同様に、「ILDとはいうもののこれらのほとんどの疾患は気道、肺実質、血管、胸膜も広範に侵すので、間質という用語は幾分誤解を招くものである」と記載され、「間質性肺炎は肺実質にさまざまな程度の線維化や炎症をきたすもので、細菌性肺炎に典型的にみられるようなair space diseaseとは対照的である」と述べられている。さらに肺の間質は「parenchymal interstitium (alveolar wall or the alveolar septae)」と「loose-binding connective tissue (peribronchovascular sheaths, interlobular septa, and visceral pleura)」に分けられる、などのような言葉遣いがされていることから推測すると、欧米における“間質”は狭い範囲に限局して用いられていること、さらに“間質”と“実質”とは同列にある概念ではなく、前者は後者に含まれるものと捉えられていることが伺われる。
このように日本と欧米との間にはごく基本的な概念においてさえも微妙な相違があり、しかも同様の事例は案外多いのではないかと推測する。学生時代に、炎症の主体が間質にあれば「肺臓炎pneumonitis」、肺実質なら「肺炎pneumonia」と使い分けることを教えられたけれども、現在のガイドラインでは採用されていない。一方、病理形態学的観察から、肺胞末梢領域の間質の炎症が主たる病変であると考えられていた間質性肺炎であるが、実はその炎症は二次的に惹起されたもので、上皮細胞障害と肺胞領域の線維化のほうが一次的所見である(日内会誌 2006; 95: 1858-1862)などという議論もある。このように、病態の理解にも変遷があることを考慮すれば、一つの定義にこだわる意義は少ないかもしれない。しかしながら現実世界を認識する道具としての言葉の影響は思いのほか大きく、国際的なコミュニケーションを阻害する可能性を懸念せずにはいられないのだ。 (2009.4.25)