フィリピンの顔

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ネストー・カマチョ さん (Nestor Camacho)

2009年05月26日 | 大統領府
Nestor Camacho (ネストー・カマチョ)さん

《Nestor Camacho, reportedly close to First Gentleman Mike Arroyo, has been named Presidential Assistant for Region 12 at the Office of External Affairs.》
ウェブでいろいろ検索すると、こう紹介されていました。

ネストー・カマチョさんは、アロヨ大統領の旦那さん(ファースト・ジェントルマンと呼びます)のマイク・アロヨさんの下で仕事をしていますが、大統領府のアシスタントとして国際室のレジョン12地区を受け持っています。

彼とは5年来の付き合いで、私の最も尊敬する友人の一人です。

どんな所が好きかと言うと、①風来坊的風情 ②何をやっているか分からない ③紳士なのか変人なのか検討が付かない ④兎に角知り合いの幅が広い ⑤優しい ⑥大きな身体は頼り甲斐がありそう ⑦酔っ払い? ⑧相当頭が切れる ⑨お金に不自由無いけど金儲けが下手 ⑩ 神出鬼没
この10項目、全部〔?〕を付けてください。
そんな人ですネストーさんは。

 5年前、2004年7月22日に、私は彼に連れられて大統領府に行きました。
この日は3度目だったのですが、大統領にお会いするのは初めてです。

大統領府(マラカニアン宮殿)内に200人ほどがお祈りできる小さなチャペルが在ります。
信仰心の厚いマダム・アロヨ大統領は、殆んど日課の様にチャペルに通って国の事、政治、国際情勢、家族の事などを気心の知れた親友と共にお祈りをするそうです。

 私たちは、早めに宮殿に到着したのでチャペルで大統領を待つ事にしました。
前列の席にはすでに大統領のご友人である、おばちゃん連中が来られていました。

神父さんのお説教が始まって1時間ほどするとアロヨ大統領が来られお友達の隣に座られ、それはご真剣な眼差しで云々...
眼差しどころか、お顔も拝見できずに、短い後ろ髪を見つめながらそれからの1時間を一緒にお祈りしました。

ご祈願を終えると、お供の方々と大統領はチャペルを出られました。

10メートルほど後方から私たちは早足で追い、ネストーさんが声をかけました。

「マダム」「おお。ネストー。」
「マダム、これは〇〇〇といって、△△△クラブ、NGOの社長です。」
大統領は後がえって私に寄って、「フィリピンを援けてくれるのですか?」
「ハイ!!」 私は大統領の右手をとって私の額に当てました。
「マノ ポ...」   (マノとは目上の人に対する挨拶です)

大統領の小さな手は私の手の中に入ってしまう感じで、大統領の手の甲を額に当てるとき、はめておられた指環が額にコツン...

大統領はいつもより少し高めの声で言われた。
「Thank you very much!」 ありがとうって。

 この時は本当に感動しました。
お年を召されてこんなに小さなお身体なのに、やっぱり大統領ともなられるお方は凄いオーラを発していますね。
美空ひばりさんや樫山ふみえさんを思い出しました。
普段はとても小柄な人たちが、いざ舞台に立つと大きく見える。
やはり、マダム・アロヨは大統領だと感じました。

実はこの年の1月、社員を集めて新年の抱負を語り合ったときの事ですが、
私がこのフィリピンでやる事で一番不可能な事は何かと訊ねると、
「大統領と会うことだ」と言われました。
「よし!!。1年でその目的を達成してやる。」なんと舐めたことを...

それが7ヶ月で達成できた事は自分でも「驚き」で、
「マノ」までして、「ありがとう」までマダムから言われ、これは本当にネストーさんに感謝感謝。です。

 ついでにこれも余談ですが、この後の従業員の例の《不可能》な話ですが、
「次はマニー・パッキャオと写真を撮ること」。 これは、リト・カモさんのお蔭でわずか一月でマニーとコンパレになれ、写真もちゃんと撮れました。

勢いが有るときのマジックは凄いものですね。
後で後悔したのは、アロヨ大統領の場合、「会う」ことを目標にして頑張ったので、マジックはそこまで。 写真は撮れませんでした。

 それじゃあ、大統領の写真を「盗り」に行こうと、宮殿内を遊んで回りました。
その時に「撮った」写真がこの記事最後の写真。 
そして「盗った」大統領の写真がこれ

ぶらぶら宮殿内を案内してくれ写真を撮りまくりました。
当時、マニラ市長のアチエンサさんがテレビ取材のインタビューをいつものアロハシャツ姿でうけていました。
 大きな部屋に着きたくさんのテーブルや椅子が並んでいる端に2人は座り、ネストーさんがそこの部屋番をしている人に、「コーヒー!!」...
なんちゅう奴じゃ... ここはおそらくキャビネット会議室だろ? あの上院議員、下院議員、代議士たちの集会場だろ?
室番の人が近寄って来た。ほお~ら、怒られるぞ~っ...
「ハ~ィ、サー カマチョ」 えっっ?...えぇェェッ!?
ちゃんとコーヒー持って来た。やっぱり、なんちゅう奴じゃ...

 外に出るとクゥヤ・キム(アチエンサ市長の息子)がいて、ネストーさんが紹介してくれたので少し話をしました。
少しすると、アチエンサ市長が降りて来られたので挨拶して、お二人を見送ると、今度は報道長官のブンニェさんが玄関に飛び出して来て私に気付き、「おっ、何してるの?」

いやあ。すごく感動的なハッピーな一日でした。

 まだまだネストーさんのお話は続きます。


ネストーさん、リラックスして飲んでいます。
一緒に居る人は、私のニノン、ヘレラさん。
一見おじいちゃん風ですが彼こそは、フリーメーソンのパス・グランドマスターです。
世界中のメーソン・メンバーが彼にマノをする様な人です。
勿論ネストーさんの憧れの人ですので、私が紹介しました。

 ここは私が経営していた小さな日本食堂ですから、リラックスしてもらってます。

今ではここもクラブもバーも無くなってしまいましたが、ネストーさんはいつも仕事が終わると寄ってくれて、サンミゲルライトを2本飲むとグーグー寝てしまうので、家まで送り届ける日々でした。

セブの友人と付けた字名が「天下の素浪人」です。
まさにそんな感じですネストーさんは。



 上の写真でネストーさんの前にいるのは、この人も私のニノンのレイエス大佐です。
ダバオ空港の秘密の出口でして、私はいつもここから出て滑走路の横道を大佐の車で走りぬけ、反対側の以前のダバオ空港前に出ます。
内緒ですけど、この写真に写っている警察の様に制服を着た人か、このレイエス大佐に私の友人だと言って親しくして下さい。この抜け道から安全に混雑無くダバオのエンジョイが始まります事請け合い。
私は日本人の友達が少ないから、あなたを大事にしてくれます。
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ネストーさんが立っている下の写真は、ディゴスから入った山“カパタガン”のレイエス大佐と私の山です。
と言っても5ヘクタールを50万ペソで全部大佐が出費していて、私たちが年を取ったら、そこにログハウスや池を作って別荘地にしようと計画をしています。
杉の木がいっぱい、沢山の花も咲いてるここ”カパタガン”、今度ご紹介しますね。


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すごいご馳走でしょう?
市長もよく通うダバオのシーフード レストランです。
オーナーは台湾人のボビーさんといってマグロの水産会社も経営している人で私のニノンの一人です。
この日は、そのボビーさんがご馳走をしてくれました。

ネストーさんの横には、“心臓手術の権威”マルヤ医師とその奥さんが居て、前の席には、写っていないけど私と妻とレイエス大佐が食事を同席しています。

ちょっと下の小さな写真をクリックして下さい。

マルヤ医師は、私とレイエス大佐とボビーさんの友達で私たちの所属している“キワニス”のボランティア医師です。
次の機会にまたご紹介します。
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さて次の写真は、
その“キワニス”のプレジデントに私がなり、戴冠式のときのゲストスピーカー(式の祝辞を述べてくれる人)を探してネストーさんにお願いすると、快く紹介してくれたのが、ネストーさんの横に居る、ユーセック・パレデスさんです。

ユーセック・パレデスさんは現在、当NGOのチーフ顧問弁護士になって頂いてますけど、彼とも長い物語が有りまして近い内にまたご紹介します。

右端の人は、7年前から私の顧問弁護士をやって頂いてる、パヘンテ弁護士です。

写真をクリックして下さい。
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ネストー・カマチョさんは天下の素浪人といった感じで、神出鬼没です。
夕べ夜中まで私のところで眠ってたかと思ったら今日はテレビで大統領の後ろ。よく見たら、国外ニュース。
フィリピンに永く住んで居られる日本人の方なら知っている人も多いようですが、ダイヤモンドホテルやパンパシフィックで彼を見かけた事があるでしょう。
2,3日見かけないなと思ったら、ラスベガスでマニー・パッキャオの後ろに居る。
本当は大統領夫人のマイク・アロヨ氏のオフィスが本職なんですけどね。

私はこのネストー・カマチョさんを友達と思っています。
でも、人が私に尋ねます。
『破産して貧乏したら、沢山の友達が無くなっただろう?』
『はい、ネストー・カマチョさんが無くなりました。』

私はお金で友達を作っていませんから。それに私が落ちたと同時に、私の周りの人たちも、プロモーター、クラブオーナー、マネージャー、スタッフ、みんな大変な状態で、頼ってなど居られませんから、亡くなった人は居ても無くなった人の事は気が付きません。

ダバオの人から言われました。
ネストーさんから言われたと、『ええっと... なんて名前だったかな?あの背の高い日本人は?』
『ジュン』 『ソウソウ、ジュンだった。今、彼、破産したんだって。駄目だ。』と。
そしてダバオの人は私に、「ネストーはあなたの親友でしょう?セブに行ったりダバオに来たり、どうしてジュンの名前まで忘れてるの?」

家内のおじさんから聞きました。
マニラのレストランで、ネストーさんが、『ヤア、久しぶり。あなた達は、ジュンの知り合いでしょう? ジュンは今だめだね。』
ネストーさん、内のおじさんの事を忘れてる...

なんちゅう奴じゃ。 電話してみよう。半年ぶり。

「クウヤァ!!」(兄貴!!)
「ハイ!! クゥヤ!! クムスタァ!?』(ハイ。兄貴!! 元気!?)
...なんだ? オーケイじゃん...

まあ、そんな優しく忘れっぽく頭の切れる
ネストー・カマチョさんが、私は大好きです。




    ---この写真は、私と撮ったものです---


追伸:すみません、永い事日本に帰っていないと、
    大統領などへの丁寧語を忘れてしまいました。
       (舌をかんでしまった)


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