Dr. Jason's blog

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異分野の専門家との交流と「考えあう技術」

2005-07-11 | Weblog
 私は,自分の普段の守備範囲外,専門外分野の専門家の話しを直接聞いたりするのがとても好きだ.話しだけでなく,自分の知らないあるいはあまり詳しくない分野について,その分野の第一人者の書いた解説書等を紹介してもらうと,とて嬉しい.
 それは,学術的専門分野と,生業としての専門分野が異なるという,学際的な生活を20年も続けてきていることも影響しているかもしれない.


 世間には,自分の知らないあるいはあまり詳しくない専門領域の専門家の話しを聞くという場合に,極端に言えば二種類のパターンの人がいる:

 A) 異分野の専門家から,自分の知らない分野の生の知識等が得られて,嬉しい,楽しい.

 B)自分の知らないこと専門でないことを異分野の専門家から聞くと,相手が偉そうにしていると感じる,あるいは,自分は無知だといわれているように感じて,不快だ.

 私は,専門家,特に知的職業の専門家は,その業界や職位に関わらず、基本的に A)のタイプだと認識していた.「新しいことを,見聞きして吸収するのが,嬉しい,楽しい」というのが,専門知識で勝負している人の本質だと思っているからだ.
 私にとっては,「異分野の専門家との交流」は,「学び」そのものである.


 たまたま最近,長年専門家としてやってきているような人,工学博士の学位をもっているような人で,B) のタイプの人に遭遇する機会を得た.
 この B) のタイプの人の場合,ごく一般に広く知られている事実や考え方を確認のために淡々と説明されたような場合でも,「君はこんなことも知らないのか」と言われているように感じるらしい.
 
 何かの議論の中で,議論の前提となるような,事実や考え方を論理的に列挙するような説明を,そのような事実や考えかたたあることを,確認あるいは認識してもらいたいために説明をすることがある.
 私の限られた経験の範囲でも,特定の分野の専門家ではないような人の場合,あるいは,いわゆる文系の大学教育だけをうけている人の場合,このような説明を「私が知らなこと==無知であることを指摘するために説明してる」「私をばかにしている」と被害妄想的に取る人はいる.
 しかし,今回のようなケースは,非専門家,文化系の例とは違う.理工系の専門家の場合である.これは,単に「プライドが高い」というようなこととは,少し違うように思われる.むしろ,なにかのトラウマやコンプレックスの現れかもしれない.

 日本のにおいては,業界によっては,強い封建的な階層構造がのこっている.そのような業界では,普段は必ず,
   発注元:出入り業者
   上司:部下
   先輩:後輩
 というような,人間関係の上での力学の場がコミュニケーションの前提となっている.また「年功序列」も根強い.しかし,長くこのような場の中で活動していると,このような階層的な力学場が成り立たない,一般の世界でのコミュニケーションでは「何は普通か」が判らないということもあるだろう.そのことも,上記の B) のタイプの人の考え方に影響があるかもしれないと感じた.

 * 上記の記述については,是非,昨日の記事もあわせてご覧ください.


 以下の「考えあう技術」は,「知識の共有」「教えあう」「学びあう」ということについて,学校の中だけでなく広く社会の視点で,議論している.非常に興味深い内容である.

 教育だけでなく,広い意味での,学び,知識社会に興味のある方にオススメの一冊.



考えあう技術

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コメント (1)
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