~心をひとつに がんばろうNIPPON~
以下はJAFSのHP掲載のレポートです。
11日地震発生直後から60名近くの個人や会社などから多くの救援物資(電池、ガスボンベ、レトルト食品、カイロ、衣類、タオルなど)をいただきました。
これらのご支援に心より感謝いたします。皆さまからの心温まる気持ちを大切にし、現地に届けてまいります。
今回の支援では、堺南運輸商社株式会社様のご提供によりそれらの支援物資を4tトラックにて現地まで運んでくださることになりました。
19日(土)の午後に4tトラック(堺南運輸商社株式会社)に全ての物資を積み込み終わり、同日深夜に、4tトラックとスタッフ4名を乗せた車で大阪を出発しました。
【2011年3月20日】
現地入りの前に、新潟でイオン新潟東店様の倉庫にて追加物資を積み込み、また(株)東洋精米機製作所様のご協力で無洗米1000kg(約15000人分)と炊き出し用の大釜2台をご提供、皆さんからの提供頂いた物資と合わせて、
6トン分3台の車に満載して宮城県仙台市に向かいました。
【2011年3月21日】
朝に仙台市内を出発し、北上、登米市にある石森ふれあいセンター(市役所総合支所)を拠点とさせて頂くことになりました。
そこから東へ車で約1時間の南三陸町に入りました。
現場は、言葉を失うほどの惨状です。何もかもがなくなっています。30mを超える波が、川沿いに内陸に入り、辺り一体が建物も車も並木も何もかもが、ミキサーで掻き混ぜられたかのような状況です。地震より、圧倒的に津波の影響が大きかったことは、同じ地区でも避難所となっている山手が比較的無事なことからわかります。
想像を絶する数の方が、津波にのまれています。
志津川の方は、支援の手が伸びつつあるようですので、我々はさらに奥の南三陸町歌津地区を目指しました。炊き出しを22日朝から南三陸町歌津地区の「港親義会館」でスタートさせます。避難所のスペースは限りあるため、35人がそこに滞在しておられ、あと約360人が周辺の家々に分かれて、住居として、避難場所として滞在しておられます。
ガソリン無し、食糧無し、水無し、電気無しの状態です。地震から10日目で家の備蓄も底を尽ききかけている状態です。
物資が少しづつ入ってきているものの、温かいものがまだ食べられていません。
明日からの炊き出しには地元の方にも協力得て行っていきます。
【2011年3月22日】
今日は、朝から炊き出しを3回 シフト制にして行いました。
避難所におられるお母さんたちの手を借りて、おにぎりも350個ほどにぎり、夜もカレーなどをふるまい、喜んで食べていただきました。明日以降も、様々なメニューで、炊き出しを続けていきます。
避難所は今晩からとても冷えてきて、明日には雪の予報もたっています。
そのような中でも、協力しあいながら日々の生活を必死で不便さや悲しさ、やりばのない気持ちを、なんとか気をしっかりもって、前に進んでいこうという気持ちをひしひしと感じます。
現地の状況が明らかになるにつれ、避難所のキャパを超えた人々は、
周囲の比較的被害の少なかった家が受け入れを行っている状況がわかります。
ある家庭では、5人、またある家庭では11人と、被災した人を抱えています。
南三陸町の歌津地区は、入り江がいくつもあり、その入り江に沿って津波が押しよせてきています。
被害状況は、到底写真だけでは伝えきれません。
明日より、詳細の被災している方のより細かな情報とニーズを把握するために、リストを作成して、きめ細やかな、顔の見える活動をやっていきたいと思います。
ガソリンに関しては、地元の方の一番の苦労で、本当に手に入れるのが難しい状態です。
昨晩夜中の2時にガソリンがスタンドに入ると聞いて、私たちが現場を通った朝6時ごろは、すでに200台ほどの車が列をなしていました。電気がないので、手で発電してくみ上げ、並んだ方によると、8時間待ちとなったとのことです。
あ、今もまた大きな地震です。震度3くらいでしょうか。このような状況が日に数回続いています。
家、土地、職、すべてをいっぺんに失った方への支援は、息の長いものが、絶対に必要だと感じています。食糧(米、野菜、肉、魚肉ソーセージ、カップラーメンなどなど)、タオル、肌着等様々な物資が役に立っています。
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