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eCycle

シルバー年齢のサイクリング記録です

Visa が発給されました

2011-01-27 18:52:18 | India


このビザは昨年夏に観光ビザでインドに行ったときのものですが、VOID のスタンプが押されて無効になっています。
既に期間が切れているので元々無効ですが事故防止の意味で押されたのでしょう。



新しいビザの Type の欄が E になつています。これは Employee つまり就労を意味しています。
観光ビザではインドを出国すると2ヶ月以内は再入国できませんが就労ビザは出入りは自由です。
観光ビザでインド経由でヒマラヤなどに行き、帰りもインド経由する場合は事前申請が必要です。

就労ビザには私が働く場所が記載されています。
Special endrosment 欄に For developing Operator Traiming Simulator ...... と書いてますね。
就労すると2週間以内にインドの関係役所に外国人登録の申請が必要ですが、私にはどこか分かりません。

ブレーキなし自転車、公道走行で罰金命令

2011-01-20 11:22:58 | Private Cycling
 ブレーキのない競技用自転車で公道を走ったとして、福岡区検が福岡市内の20歳代男性を道交法違反(制動装置不良)で略式起訴し、福岡簡裁が罰金6000円の略式命令を出していたことがわかった。


 県警によると、自転車の運転手に道交法違反を適用し、略式命令が出たのは県内初という。

 略式命令は12日付。県警の発表によると、男性は昨年11月、同市南区の市道で、ブレーキを取り外した自転車を運転したという。元々ブレーキはついていたが、昨年7月に壊れたため撤去。男性は「アルバイトに遅れそうになり、乗ってしまった」と話していたという。

 男性は同9月にも、同市中央区で同じ自転車を運転して県警に交通切符(赤切符)を切られ、福岡区検が「今後はブレーキのない自転車に乗らない」との誓約書を書かせた上で不起訴(起訴猶予)としていた。

(2011年1月20日09時46分 読売新聞)

自転車運転、頭守ろう

2011-01-17 17:47:44 | Private Cycling


 米系の大手自転車メーカーが、自転車用のヘルメットを無償で配り始めた。自転車の事故で亡くなる人の6割が頭部を打っているのに、乗車時にヘルメットをかぶる人は1割に満たないからだ。

 東京都目黒区にあるウェブサービス会社「はてな」東京本店。昨年12月、「自転車通勤をしている方々へ」と新品の自転車用ヘルメット5個が届いた。スポーツタイプの自転車や関連商品の製造販売で世界的に有名な米スペシャライズド社の日本法人からだ。馬場誠社長(55)は「頭は命にかかわる。しっかり守って安全な運転を」と話す。

 警察庁によると、2009年に自転車の関係する事故で亡くなった人は695人。数は減る傾向だが、自動車を含む交通事故全ての死者での割合は約14%で、年々高まっている。死者の63%が頭部に損傷を受けていることに注目した同社は、インターネットを使って約300人の自転車通勤者に調査した。すると、ヘルメット着用者は10%以下だった。

 調査では、5人に1人が「通勤中に事故にあった」と回答。一方で、自動車も運転する人の約4割からは、「ヘルメットをかぶっている自転車の利用者のほうが視認しやすい」との答えも得た。

 同社によると、欧米と比べて日本では自転車に乗るときにヘルメットをかぶる大人が少ない。理由を調査したところ、「面倒」「暑い」「髪形が崩れる」「格好悪い」が大半を占めた。日本で流通しているヘルメットの多くは欧米向けで、頭の横幅が広い日本人にフィットしにくい。このため大きいサイズを選ばざるを得す、結果として装着感が悪い――と同社はみる。

 そこで同社は日本人の頭にあうヘルメットを開発。「まずは無料で配って『食わず嫌い』を解消し、習慣づけてもらおう」と考えた。昨年9月下旬から自転車通勤に熱心な企業から希望を募り、3社に45個を贈ることにした。

 真っ先に応募したのが、はてな。01年の創業当初から環境活動に力を入れ、自転車通勤者に月2万円の手当を出している。十数人いる社員のほとんどが自転車通勤者だ。国土交通省などが自転車通勤を促すために創設した「エコ通勤優良事業所」にも認定された。

 ヘルメットを受け取ったはてなの田中慎樹執行役員(36)は「学生時代、転倒してヘルメットに救われた。社員にも使ってもらい、安全でエコな自転車通勤の輪を広げてゆきたい」と話す。

 スペシャライズド社は利用者からかぶり心地や安全への意識をアンケートし、今後の普及・販促に役立てる方針。一方、日本人向けのヘルメットを生産してきた「オージーケーカブト」(本社・大阪府)は、「ここ数年で利用者は増えている。周りの利用者を見て『意外に格好がいい』と考えて、ますます普及してくれれば」と期待する。(佐々木学)

下位カースト集団、優先採用枠求め鉄道占拠 インド西部

2010-12-28 05:46:46 | India

インド・ラジャスタン州で、公務員への優先採用を求めて線路に座り込むグジャールのデモ隊=AP


 【ニューデリー=武石英史郎】インド西部ラジャスタン州で、差別的身分制度カーストで下位に属する一部の集団が、公務員の優先採用枠の拡大を求めてデモを開始。幹線鉄道や道路を占拠し、首都ニューデリーと西部の商都ムンバイを結ぶ交通網が寸断されるなど混乱が広がっている。

 デモを始めたのは、「グジャール」と呼ばれるカースト集団。最低位の「指定カースト(旧不可触民)」の上に位置する「その他後進諸階級(OBC)」に属する。

 OBCに対しては、公務員採用や大学の入学枠などですでに21%の優先枠があるが、やや上位の別の有力カースト集団がOBCに編入され、OBC内の競争が激しくなると、07年以降、デモを活発化。OBCとは別に自分たちだけの専有枠5%を要求していた。

 ラジャスタン州政府は08年、グジャールの政治的圧力に押されて、新たに「特別後進諸階級」という区分を作り、優先枠を拡大する方針を決めた。しかし、見境のない優先枠の拡大に地元高裁が異議を唱えたため、新制度は完全には実行されず、怒ったグジャールが騒ぎ出した。

 占拠は26日で7日目に入り、その影響で、ニューデリー~ムンバイ間の主要鉄道が一部で運休。デモ隊の一部は両都市を結ぶ幹線道路を占拠しようと、各地で治安部隊と小競り合いを続けている。

 足止めを食った乗客の中には空路に切り替える動きがあるが、インド北部では濃霧による欠航が相次いでおり、どの便もほとんど満席状態。航空会社の中には、運賃を倍に引き上げるなど、便乗値上げの動きが出始めている。


チェーンの掃除をしましょう

2010-12-11 07:24:36 | mechanism



大府の自転車屋さん Konshin に面白いものを発見しました。
チェーンを掃除する機械です。
これまてはチェーンを切って灯油で洗うとか、灯油を染み込ましたウエスなどで洗っていましたが、この作業は大変。
この機械はこの面倒を一挙に解決する優れもので価格は4410円でした。

図のように器具を引っ掛けるレバーを動かすと蓋が開きます。
蓋の右の方がヒンジになっているので、この部分の爪でチェーンを挟み込みます。


写真のようにディレーラーに取り付けます。

この状態で洗浄液を注入します。
装置に添付されている洗浄液は下水に捨てても構わない材料です。
洗浄液を入れたならばペダルを逆回転するとチェーンがゴシゴシと磨かれます。

4千円が高いかは使う方の判断でしょう。

レールサイクル

2010-12-03 07:11:38 | Private Cycling
JAFの機関誌に次のような記事がありました。
春には乗りに行きましょう。

ムンバイの旅

2010-08-18 21:17:27 | India
***** お見送りをいただいて出発 *****



私どもの英語教室 aQlas の美人インストラクターとスタッフの皆さんです。
本来ならば皆でお茶して出発の予定でしたが、セントレアの午前は大変混雑するので写真だけ撮ってお別れでした。バンザイなし。


***** シャワートイレはインドが先輩だよ *****



トイレ事情はお国によって大変異なります。
インド人は排便の後、水を手ですくって洗います。
贅沢な紙で拭くのは日本だってずいぶん最近のことです。

会議中に昨日の水が悪かったのか、パニクってトイレに駆け込む。
用をたして安心したのは一瞬。トイレットペーパーがない。
近くにあるバケツに水を入れて手で洗うということを思い出した。
またパニック。水が出ない。誰かいるならば水を下さいと叫ぶと、親切な人が水を用意してくれたのでしゃがんだままドアを少し開けて水桶をもらう。ああ天国。
この国はドアがあるからまだいい。鳩山さんが卒業したスタンフォードで大学のそばの駅のトイレにはドアがなかった。

写真は泊まったホテルのバスルームだが、右のほうに散水用みたいなホースが見えます。
実は、これはシャワートイレの元祖。イナックス、威張るなってよ。
左手は不浄の手ですからこれを左手に持ってお尻の下にもっていき水を発射す。
照準が狂うとズボンがベチョベチョ。
インド人はすむとそのままズボンを上げるが、外国人用には粗末なロールペーパーが少しあります。ペーパーホルダーはありません。

***** インドの車はクラクションで走る *** インドは英語圏ではない *****



中国やフィリッピンでも同じですが、車はガソリンでなくクラクションで走っていますね。
どけ ビー
俺が先に行く ビー
ありがとう ビー これはないでしょう
前に大きな車が居てその先が見えないのに 早く行けー ビー
意味もなく ビー

とにかくうるさい。クラクションが壊れないのが不思議なくらい。
モータリゼーションという意味では日本もまだまだ後進国ですが、慢性的な渋滞が解決しなす限りインドは発展途上国でしょうね。

ところでクラクションをならすなというサインですが、これは古いもので英語が上段に書かれており、したがヒンジーです。
インドはもともとヒンズーであってそれを英国が植民地化しました。
だから韓国が日本に持つ感情とおなじものがあります。
エリザベス女王を敬うかと聞くと NON です。
国際社会でインドが生きていくには英語は必須ですが、スラムに住む人や教育レベルの低い人には関係ないことです。
ホテルのベルボーイやレストランのウェイターは殆ど英語ができません。
会社でも私が居なければすべてヒンジーです。

新しいサインは先にヒンジー、そして申し訳ないような英語がその後ろに掲示されています。
10年もたてばというのは暴言ですがやがてインドも日本並みの英語下手な国になるでしょう。


***** ヒンズーと英国文化の戦い *****



この写真は荷物につけられたタグです。
空港の名前はムンバイになったのに空港識別コードは BOM のままです。
ボンベイはヒンズー語でムンバイは英語です。
ムンバイに限らず都市の名前は指導者が変わるたびにヒンズーになったり英語になったりしているようです。
ここにも不安定な文化が垣間見られます。

***** 食事 *****



落ちを先に述べるならば、帰りの飛行機の機内食があんなに美味しいと思ったことがない。

食事に連れて行かれて何を食べるかと聞かれれば「典型的なインド料理を」とお願いすると、ナン、チャパティーや長粒米を炊いたものにスパイスの効いたカレーになる。

写真は会議が長引いて夜の接待も厭だからホテルでケータリングにチーズピツァを頼んだ。
ピツァなんてはイースト菌で醸した生地にトッピングを乗せてさらにチーズをたっぷりかけるのが普通。
ところが写真のピツァはナンの生地でチーズをサンドイッチしたようなもので、さらにカレーソースがつく。なんだこれは。

インドでは左手は不浄の手ですから食べ物を持ってはならない。
ナンを両手でちぎったならば皆さんは一瞬顔色が変化した。
中国人が肘をついて食事をするのを見て不快感を感じるのに似ている。
帰るころにはすべた右手で食べられるようになり、ほとんどインド人になったと誉めてもらったりした。喜んでいいのかわからないけど。

***** 自転車 *****



この写真がすぐにわかる人はかなりのお歳ですね。
自転車のハンドル部分ですが、ハンドルの前に細いバーがあります。
これはブレーキ用リンクです。
昔は今のようにワイヤーがなかったのでブレーキはリンクで操作していました。

ムンバイの街中はとても自転車に乗れるような環境ではありません。
経済的にも年収の100倍以上の自転車なんかに乗って遊んでいるような環境ではない。
それでも郊外に行けばサイクリングを楽しんでいる人を見かけることもあるようです。きっとお金持ちでしょう。

***** ホームレス *****



ホームレスの密集地はすさまじくとてもカメラを向けられません。
この写真は朝空港に向かう車内から撮影したものですが、塀から往来にかけてシートを張り雨露をしのいでいます。
今の季節はモンスーンですから朝晩にバケツをひっくり返したような雨が降ります。それに耐えているのか疑問です。

***** スラム *****



スラムは2階建てが多いようです。
どこから電気を引いてくるかわかりませんが夜はあかあかと電気がついています。
1階の家の前には七輪で肉らしきものを焼いて商売をしています。

レストランに行くと食事を運んだりするウェィターはほとんど裸足で、その数は客よりたくさんいます。
なぜこんなに沢山いるのかと聞いてみると、こんなものでは驚いてはいけない。順番待ちのウェィターが表にいっぱいいるよと言われました。
彼らは時間になると裸足で店に入り制服のTシャツを借りて働きます。
ワークシェアリングでしょう。1時間働いても10円にもならない世界です。
仕事が終わるとスラムやホームレスのテントに帰って行くのです。


***** 子供の仕事 *****



高速道路の入り口ではゲートに合わせて車は秩序正しく並びます。
そこを狙って子供が窓ふきに飛び回ります。でもいくらもふかしてもらえないようです。
もちろん靴や雪駄は履いていません。
ビンのかけらで足を切るのではという心配は無用。そんなものを落としておくほど経済は裕福ではありません。

***** 今夜はここで寝る *****



高速道路のしたで雨はしのげます。
ここは世界で最も大きいスラム街で、ここに実は国営の電力会社があり訪問した帰りのスナップです。
電力会社のビルはまるで掃き溜めの鶴でした。

しかし、不思議に思うのは中国のように物乞いする人がいなかったことです。
暗い顔はしていないし、口に糊するものは自分で一生懸命稼いでいるように見えました。
本当のところは長期に住んでみなければわかりませんけど・・・。

***** パートナー *****



Director Rajesh Bakahai さんで国際的にシミュレーションの神様と呼ばれている人。
彼が私のパートナーです。
後で紹介しますが、彼とともに30人ばかりの若いエンジニアと共にシミュレーターの開発をします。

***** よもやま話 *****



社長や先ほどのバカイ氏を交えてシミュレーションビジネスのよもやま話。
内容はどうやつて儲けようというはなしばかり。

***** エンジニア *****



全員独身のエンジニアたち。
毎日、半日くらいは開発の説明をしたが日本のコンピューターエンジニアと同じでマニュアルを全く読まない。
質問の答えはマニュアルを開いてここを読みなさいで終わってしまう。お先真っ暗だね。

***** トップ *****



私の左が社長、そして副社長。敬虔な仏教徒です。そして営業部長。
この4人と先ほどのバカイ部長でこの会社を盛り立てる。
わくわくするね。

これでとりあえず報告はおわり。


Mumbai

2010-08-09 08:04:39 | India
ムンバイは学生の頃の地理ではボンベイと習いました。
地図はインドの左半分ですが、海岸に近いところにあります。
左の海はアラビヤ海です。


Mumbai

2010-08-07 09:17:37 | India
8月16日からインドはムンバイへ出かけます。
お遊びではありません。プロモーションです。

FROMTOFLIGHTDATEDEPARRSTBGA
NAGOYASINGAPORESQ0671E16AUG11001640OK20K
SINGAPOREMUMBAISQ0424E16AUG20002305OK20K
MUMBAISINGAPORESQ0421E14SEP11501945OK20K
SINGAPORENAGOYASQ0672E15SEP01000845OK20K

帰りは1ヶ月オープンチケットですから9月15日までには帰国します。

挑戦には終わりはない

2010-05-17 09:13:24 | Private Cycling
お堅い雑誌 PHP に自転車ロードレーサー別府史之 Fumiyuki Beppu の記事がありましたので掲載します。







京都サイクリング

2010-05-07 05:02:51 | Private Cycling
京都まで友人の Albert Sussler とサイクリングしました。

5月1日Albert は常滑市坂井を7時半に出発、知多市朝倉で合流。
国道247号を北上、名古屋市氷室から東海通を西進、佐古木で国道1号に乗る。
GWのため白子にしか宿が取れず寄り道をする。
70km
5月2日鈴鹿サーキット横を通り国道1号に乗り関まで行く。
関の道の駅で多くのサイクリストと情報交換。
地元の方の助言で鈴鹿峠を迂回する柘植経由で水口を目指す。
106m 累計 176km
5月3日Albeert の友人カップルが我々に合流して市内サイクリングを楽しむ。
コースは鴨川を下り桂川を遡上、嵐山から御所まで帰る。
コースは良く整備された自転車専用道路で、沢山のサイクリストに驚く。
49km 累計 225km
5月4日京都からは国道1号線を使わずに脱出。
大津から近江大橋を経由して草津で1号線に乗る。
栗東で8号線に乗り換え、米原で21号線に乗り岐阜羽島まで走る。
120km 累計 345km
5月5日18号、22号、247号経由で昼頃に帰宅。
57km 累計 402km



道路プロファイル

最初のピークか柘植手前の峠ですが、鈴鹿峠を避けたものの峠の高さはほとんど同じです。
中ほどの二つのピークは京都手前の山科の峠です。
最後のピークは関が原ですがこれもたいしたことは無いですね。
日が長い夏場ならば京都は1日で行けると思います。


Albert は常滑に住む陶芸家で自転車大好きな変なガイジン。
いつも一緒に遊んでいますが、私の下手な英語を正すこともないので私の語学力は全く上がりません。
彼は、今年 Cona Sutra を買いました。私の新調したツーリング車 Trek Portland とほぼ同じ仕様です。


最初の宿は鈴鹿・白子です。本来であれば亀山に投宿したかったのですが宿が取れず白子にしました。
このホテルはとても親切で、高価な自転車をどこに保管してくれるかと相談すると部屋に持ち込むように案内されました。ただし、床にタイヤの跡がつくのは困るから持ち上げて運ぶようにと指示がありました。


朝ごはん
アメリカ人は本来は凄いケチです。
Albert は食パン、ピーナツバター、そしてアボガドを持参していて部屋でサンドイッチを作ります。
私のベーコン&エッグとトーストの典型的なアメリカン朝食とは程遠いが付き合いました。彼の半分くらいで十分ですね。理由は美味しくない。これがずっと続く。


自転車がかわいそう
今夜の宿は Uno House という外国人バックパッカーが良く利用するやどです。
ドミトリーという雑魚寝の宿泊代が2300円。絶対高い。
自転車は外に置きなさいということで電柱に鍵3個で縛り付ける。
Albert は心配で午前4時半に自転車の存在を確認したそうな。

夜になると食堂に宿泊者が集まって団欒です。写真のお姉さんは日本人ですが、中国人、韓国人が多いですね。
皆が英語を母国語としていないので会話が面白い。


宿のレンタル自転車は往来に置きっぱなし。
この場所は宿の所有地でなく京都市の歩道です。
誰も自転車を持っていかない安全な町ですね…きっと。


ピーナツバターとアボガドの朝ごはんはかなわないので喫茶店で朝食を摂った。
その店の前がお寺さんで、そこに写真のような例えが掲示されていました。
自分を戒めなくては。

昨夜タイ料理店が満員で入れなくて、今夜は早めに行きました。
この店にはタイで数年修行して開店したもので、従業員は厨房の中はタイ人、ウェイトレスはタイからの留学生で胸にはそのような名札がかかっていました。


帰り道は岐阜羽島で1泊。
このホテルは徹底的にコストを削減した宿です。
建物は「希望社」というコストを切り詰めた建設をする会社です。
チェックインは16~20時、その時間以外はスタッフ不在、日曜日も居ません。
地階に大きな風呂があり共用、トイレも部屋にはありません。
部屋にあるのは冷蔵庫とテレビだけ。共同の台所があるので自炊が出来ます。
料金は1泊1900円。我々は初めてでしたので1000円。
どうやら長期出張の方たちが利用しているようで、朝には作業服を着た人がぞろぞろと出かけて生きます。

以上で今回のサイクリング報告はおわりです。
5月5日は私の68歳の誕生日でした。良い記念になりました。

以下は Albert のエッセイです。
Purpose Sightseeing, Adventure and training for my Hokkaido trip.
Find markets for my ceramic ware.
May 1Leave Sakai 7:20 am > meet Shiro at Asakura ⇒ arrive at Suzuka Green Hotel at 2:30 p m
Distance: 97 kilos
HappeningsStopped at bike shop Wilson's Cycle: bought front bag for camera and wallet.
Met two other long distance Cyclist ( LDC ) going from Tokyo to Osaka, both two days out.
The hotel let us carry the bikes right into our rooms for security.
Night lights with intimidating Suzuka mountains on the horizon.
May 2Leave Suzuka 6:30 am ⇒ Kameyama Rt 25 ⇒ Iga Rt 4 ⇒ Rt 1 Konan ⇒ Kyoto 2:30 p m
Distance: 106 kilos
Happenings Met other LDC at Seki Juku. One 60 year old was riding from Tokyo to Yamaguchi.Taking the minor road to Kyoto, we escaped the traffic and Suzuka pass. We enjoyed a scenic road overlooking a mountain river much of the way. Arrived at Kyoto's Heian Jingu to see my favorite gardens.
I find it strange that each time I visit here I find the place shrinking.
When I first came some 25 years ago it took me 2 hours to see it all.
Now I could enjoy it in 20 minutes.
Let my favorite water crossing are the walking stones across the pond never seems to shrink in size or time.Stepping stones of Heian Jingu Garden.
We found the Hostel 'Uno House'. near by. For 2000 yen / night, one has a tatami space to sleep, storage space and a community room to meet fellow travelers.
Most were Japanese or from other Asian countries.
We headed for a sento to wash off the grim of travel and warm the muscles.
The price has gone up to 400 yen double of 25 years ago.
The owner told us, she didn't know how long she could stay open with fuel costs rising so fast.
Public Bath house near Marutamachi bridge
That night some of the travelers gathered around the table and exchanged stories of Kyoto.
Shiro brought out some Sake and the party got going.
Justine a doctor from Beijing told us about her life as a doctor.
During the Tiananmen Disturbances, the hospitals were jammed with wounded people, far more than the reported several thousand.
May 3Cycle around Kyoto via Kamo and Katsura river bike paths ⇒ Arashiyama ⇒ Imperial Palace
Distance: 49 kilos
One of my experimental breakfasts Peanut butter- seaweed - cucumber sandwich,
HappeningsWent to the Tourist information center in Kyoto station.
Myinquiries to ceramic shops turned up nothing.Ceramics except for Kiyomisu yaki, is not a focus of Kyoto.
Met my good friends of 20 years Masahumi and Mine.
We followed the cycling course down the Kamo and Katsura rivers.
I found future sites for spontaneous camping among the bushes along their banks. Our path took us to Arashiyama.
Where the crowds of tourist brought our ride to a walk. If I was to set up a shop, this would be the place. At Kinkakuji ( Gold Temple ), I helped an elderly Connecticut couple lost.
Their taxi driver had miss heard their request for Ginkakuji. (Silver Temple ) There must be thousands who have experienced the same trouble.
Mine watching the crowds passing Arashiyama shopsOur cycle ended at the Imperial Palace Gardens.
I and Shiro headed for a Thai restaurant for dinner.
Disappointed at the Jomon scene in Kyoto.
The archeological museum had just a handful of simple ware.The National museum is closed for construction for the next few years.
May 4Leave Kyoto 6:30 am ⇒ Rt, 1 ⇒ Rt 8 Hikone ⇒ Rt 21 ⇒ Sekigahara ⇒ Ogaki ⇒ arrive at Hishima 4:45 p.m.
Distance 120 kilos
HappeningsPassed a fight of taxi drivers, one smacked on the side of the head and then shouts of anger.
Passed a fallen private museum, full of the worse reproductions of famous sculptures.
The down sloop at Sekigahara had me rolling at 56 k.
Shot passed the site where once 100,000 samurai had battled to set the fate of Japan.
Arrived at the castle town of Ogaki.their motto 'The city of water'. Long moats of the former castle make a beautiful park.
In the north is their famous spring where people come to collect its waters. I drank my fill from the well and filled my bottle with its wonderful waters to take home to my family.Ogaki public well.
In the evening we arrived at Hishima-Gifu. A haphazard site of vacant lots and hotels next to the Shinkansen station.
Here Shiro had found a 1000 yen per night room. No staff but check in and the rest is up to yourself.
May 5thLeave Hishima at 7:20 ⇒ Nagoya ⇒ Chita ⇒ Tokoname 2:30
Distance 83 kilos.
HappeningsStopped at Tokaido ferry landing, where feudal lords once rested before crossing the waters to Kuwana and one to Kyoto.
Passed a man pushing a baby carriage, who three inhabitants were poodles.
Stopped for lunch in Chita to celebrate our return and Shiro's 68th birthday.
On the last leg of the trip I passed my friend Koie's bakery and picked up some sakura-mochi ( cherry leaf covered rice cakes ) the last in season.
This would support my gift of water, which might not be appreciated.All was quiet at home as my family lazed in the living room.
I opened my gifts and served the water in my treasured Bohemian goblets.
Somehow the delicious cool waters of Ogaki tasted a bit like plastic... like a water bottle. At least the 'Kyoto' sakura-mochi was much appreciated.
Lessons learnedThe best drink is 1/3 sports drink 2/3 water.
When waiting at signals remove both feet from the clip in pedals, to keep them from falling asleep.
Better the longer cycle friendly scenic route then the truck horn blasting main roads.
Don't hesitate to take a photo or the moment will pass.
Especially when one comes across poodles in a baby carriage.cheers to life. and thanks for finding the logistics for your first big adventure.
Albert still-spinning-heels

走りたい道 淡路島

2010-03-18 07:44:22 | Private Cycling



リカンベンド

2010-03-18 07:23:09 | Private Cycling


ACAにも一人、これに乗っている人がいました。
欲しいけど低すぎて怖いね。

中国の電動自転車

2010-03-18 07:16:57 | Private Cycling

JAFMate 2010-4 より引用

中国に優れた電動自転車の技術があるならば「電動バイク」として売ればいいのに…不思議な国です。

イタリアの城壁の街を走る

2010-03-15 10:48:54 | Walled cities
Cycling club に掲載されたものを掲載します。