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ウクライナ戦争は櫻井ジャーナルさまが詳細を述べています。2022/04/24

2022-04-24 21:53:14 | 日本人は支配者の「ヴァチカン悪魔教会」を知りません

ウクライナ戦争は櫻井ジャーナルさまが詳細を述べています。2022/04/24

 

 

イタリアでは

ウクライナ戦争はアメリカとロシアの戦争だと

普通に話されているみたいです。

⭕️#31 日本のメディアが意図的に話さない重大な事とは?
https://www.youtube.com/watch?v=0H9sr-MuxAg

 

 

 

 

コロナ禍は潮時で、

次はもっとすんごい‼️惨禍です。

 

 

 

ネットは2014年をマイダン革命として我々の頭の中を混乱させていますが、
オレンジ革命は2004年に始まりました。そして2014年までがオレンジ革命です。
なぜ?2004年をすっ飛ばすのかはこれから考えます。何か?隠したいんですね。
オトポール革命はシカゴの学者が百ページにも満たないマニュアル本にしています。
シカゴとゆーんでしょうからシカゴ学派なんでしょうね。
オトポール革命は最後の仕上げが武力で権力を奪い取ることです。◀︎これが2014年です。
マイダン革命はネットでは権力奪取のみを説明することに使われているようです。◀︎クーデターの意味ですね。
マイダン広場(ウクライナ・ナチス・アゾフ大隊兵の銃撃)で行われた狭い意味しかマイダン革命の名前は意味しないことがわかりました。

 

 

画像 オトポール革命(オレンジ革命)

私は此の時点(2014年)でアゾフだとはちぃ〜とも知りませんでした。

ウクライナナチス・アゾフです。ネットではアゾフだとは一言もありませんでした。

情報機関員は既に知っていたんです。

ネットでは此れをマイダン革命と言っています。ただの?クーデターだと我々に思い込ませています。これぞ❗️モッキンバードです。

 

 

 

 

 

 

 

 

↓↓↓マウリポリのロシア軍制圧記事(4月22日)も我々にそうなのか?と納得させます。

ネットでは2014年からの8年間でロシア系ウクライナ人1万5000人が虐殺されたと述べていますが、

かつてヒトラーが侵攻した際に、ユダヤ人90万人もそうしたことになっている‼️ことがわかりました。◀︎彼らが内部対立を惹起する為のものだと思われます。これは勉強が必要です。私もこれから勉強します。

長い文章で読み切るのに苦労しますが頑張って読んでください。


2022.04.24 XML
米英金融資本とナチスの緊密な関係  
 2013年11月から14年2月にかけてアメリカのバラク・オバマ政権はウクライナでクーデターを実行、ビクトル・ヤヌコビッチ大統領を排除することに成功した。ヤヌコビッチは選挙で選ばれた大統領であり、言うまでもなくクーデターは憲法を否定する行為である。このクーデターを否定しない人物が「護憲派」を名乗ることはできない。ヤヌコビッチは2004年から05年にかけての「オレンジ革命」でも排除されたが、この「革命」を仕掛けたのはアメリカのジョージ・W・ブッシュ政権だ。
 オバマ政権はクーデターを実行するため、ネオ・ナチを戦闘員の主力とする「右派セクター」を使った。この組織はドミトロ・ヤロシュとアンドリー・ビレツキーが2013年11月に組織している。
 そのヤロシュは2007年にNATOの秘密部隊ネットワークに参加したと言われている。その年の5月に欧州のネオ・ナチや中東の反ロシア・ジハード主義者を統合するための会議がウクライナのテルノポリで開かれたが、その議長をヤロシュが務めている。
 ウクライナのネオ・ナチはステパン・バンデラを信奉している。バンデラはOUN(ウクライナ民族主義者機構)のメンバーだったが、この組織は1938年5月に指導者のイェブヘーン・コノバーレツィがソ連の工作員に暗殺されると分裂、反ポーランド、反ロシア感情の強いメンバーはバンデラの周辺に集まった。
 ウクライナをドイツが占領していた時代、OUNはドイツと結びついて「汚い仕事」を引き受けた。当時、ウクライナでは90万人のユダヤ人が行方不明になったとされているが、それもOUNが行ったと言われている。
 1941年3月になるとOUNの内部対立は頂点に達し、OUN-M(メルニク派)とOUN-B(バンデラ派)に分裂、ドイツはOUN-Bへ資金を提供し、バンデラ派のミコラ・レベジはゲシュタポ(国家秘密警察)の訓練学校へ入っている。ドイツ軍がソ連へ攻め込んだバルバロッサ作戦が始まったのはこの年の6月。ドイツ軍はウクライナのリビウへ入った。
 リビウを制圧したドイツ軍とウクライナ人は6月30日から7月2日にかけてユダヤ人の虐殺を開始、犠牲者は4000名から8000名だと推測されている。対象地域をウクライナ西部に地域を広げると、7月に殺されたユダヤ人の数は3万8000名から3万9000名に達するという。(Grzegorz Rossolinski-Liebe, “Stepan Bandera,” ibidem-Verlag, 2014)
 8月になるとゲシュタポは暴走を始めたOUN-MとOUN-Bなどウクライナの「ナショナリスト」を摘発し始め、12月にOUN-Bは1500名のメンバーがナチスに逮捕されたと発表している。メルニクを含めて約2000人が逮捕されたともいう。(前掲書)
 ドイツ軍は1941年6月にソ連への軍事侵攻を開始している。「バルバロッサ作戦」だ。西側には約90万人だけを残し、310万人を投入するという非常識なものだったが、これはアドルフ・ヒトラーの命令。西側から攻めてこないことを知っていたかのようだ。
 ドイツ軍は7月にレニングラードを包囲、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点に到達した。10月の段階でドイツだけでなくイギリスもモスクワの陥落は近いと考えていたのだが、12月にソ連軍が反撃を開始、年明け直後にドイツ軍はモスクワで敗北してしまう。ドイツ軍は1942年8月にスターリングラード市内へ突入するが、ここでもソ連軍に敗北、1943年1月に降伏。この段階でドイツの敗北は決定的になった。
 1943年春になるとOUN-Bの戦闘員はUPA(ウクライナ反乱軍)として活動し始め、その年の11月には「反ボルシェビキ戦線」を設立した。ゲシュタポから摘発されていたはずのOUNやUPAの幹部だが、その半数近くはウクライナの地方警察やナチスの親衛隊、あるいはドイツを後ろ盾とする機関に雇われていたと考えられている。(前掲書)
 ドイツ軍の敗北を見てアメリカとイギリスは慌てて動き出し、この年の7月に軍隊をシチリア島へ上陸させた。シチリア島を含むイタリアで支持されていたコミュニストへの対策ということもあり、アメリカの情報機関はこの時にマフィアからの協力を得ている。
 アメリカやイギリスの支配層、つまりウォール街やシティの住人はナチスを手先と考えていた。ナチスの戦争犯罪を研究しているアメリカン大学のクリストファー・シンプソンによると、1920年代後半にアメリカからドイツへ融資、あるいは投資という形で多額の資金が流れている。ヨーロッパ大陸全域でアメリカの投資額が激減している中、1929年から40年の間に約48.5%増えているのだ。(Christopher Simpson, “The Splendid Blond Beast”, Common Courage, 1995)
 アメリカからドイツへの投資は限られた金融機関を通して行われていた。その中心になっていたのがディロン・リードとブラウン・ブラザーズ・ハリマンだ。
 ドイツへ資金を流すため、1924年にユニオン・バンキングが設立されるが、その重役にはプレスコット・ブッシュやW・アベレル・ハリマンが含まれている。ブッシュとハリマンはいずれもエール大学でスカル・アンド・ボーンズという学生の秘密結社に所属したいた。
 プレスコットが結婚したドロシーの父親はウォール街の大物、ジョージ・ハーバート・ウォーカー。プレスコットは1924年、ウォーカーが社長を務める投資銀行A・ハリマンの副社長に就任、ウォール街でも名の知られた存在になる。そうしたことからウォール街の弁護士だったアレン・ダレスと親しくなる。プレスコットの息子、ジョージ・H・W・ブッシュがCIA長官に就任するのは必然だった。
 こうしたウォール街人脈にとって、1932年のアメリカ大統領選挙の結果は衝撃だった。ニューディール派のフランクリン・ルーズベルトが当選したのだ。そこでJPモルガンをはじめとするウォール街の住人たちはクーデターでニューディール派を排除し、ファシズム体制を樹立しようとした。
 クーデターの司令官を誰にするかについてウォール街の住人たちはパリで協議、選ばれたのはスメドリー・バトラー退役少将だった。軍の内部で圧倒的な人望があり、この人物を抱き込まないと計画を成功させられないと判断したからのようだ。
 しかし、JPモルガンはバトラーがラディカルすぎると考えて嫌っていたという。この金融機関が考えていた人物は陸軍参謀長だったダグラス・マッカーサー。この軍人が結婚したルイス・クロムウェル・ブルックスの母、エバ・ロバーツ・クロムウェルが再婚したエドワード・ストーテスベリーはJPモルガンの共同経営者だった。
 ウォール街の住人はドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスの「クロワ・ド・フ(火の十字軍)」の戦術を参考にしていた。フランスの「クロワ・ド・フ(火の十字軍)」のような50万名規模の組織を編成して政府を威圧、「スーパー長官」のようなものを新たに設置して大統領の重責を引き継ぐとしていた。こうした計画を聞き出した上でバトラーはカウンタークーデターを宣言、議会で告発している。(Public Hearings before the Special Committee on Un-American Activities, House of Representatives, 73rd Congress, 2nd Session)
 バトラーはその一方、信頼していたフィラデルフィア・レコードの編集者トム・オニールに相談、オニールはポール・コムリー・フレンチを確認のために派遣する。フレンチは1934年9月にウォール街のメンバーを取材、コミュニストから国を守るためにファシスト政権をアメリカに樹立させる必要があるという話を引き出した。(Jules Archer, “The Plot to Seize the White House,” Skyhorse, 2007)
 その後、ルーズベルトは1936年、40年、そしてドイツや日本の敗北が間近に迫っていることが明らかだった44年の選挙でも勝利する。戦争が終われば、ウォール街とナチスとの関係が調べられ、責任を問われることも予想されたが、45年4月12日に急死してしまった。そして始まるのが「赤狩り」、つまり「反ファシスト派狩り」だ。
 第2時世界大戦の終盤、ドイツの敗北が決定的になるとアレン・ダレスたちはナチスの幹部と接触し始める。サンライズ作戦だ。その後、アメリカの軍や情報機関はナチスの幹部や協力者を逃走させ、保護、そして雇用する。つまりラットライン、ブラッドストーン作戦、ペーパークリップ作戦などだ。
 ドイツでナチスが権力を握る頃からウォール街はファシストと緊密な関係にあった。その関係は大戦後も続き、ウクライナでもその人脈が生きている。
 そうした実態を新聞、出版、放送、映画、最近ではインターネットを支配するハイテク企業が封印、事実と違うイメージを広めている。ナチスは人びとの抱くイメージをコントローするすため、啓蒙宣伝省を設立していた。その機関を動かしていたのがヨーゼフ・ゲッベルスだ。啓蒙宣伝省を「民営化」すると西側の有力メディアになると言えるだろう。

 

 

 

2022.04.22
反クーデター派の住民が多いマリウポリをロシア軍が制圧
カテゴリ:カテゴリ未分類
 ウクライナ東部にあるドネツク州のマリウポリをロシア軍が制圧したようだ。ドネツク州とルガンスク州を合わせてドンバスと呼ぶが、この地域を含むウクライナの東部と南部は歴史的な経緯からロシア語を話す住民が多く、ロシアに親近感を抱いている。そのドンバスを支配していた親衛隊の主力、アゾフ大隊(アゾフ特殊作戦分遣隊)はネオ・ナチによって編成された。
 本ブログでも繰り返し書いてきたように、ウクライナの内戦は2013年11月から14年2月にかけてアメリカのバラク・オバマ政権が実行したクーデターから始まる。その際、ホワイトハウスで指揮していたのが副大統領だったジョー・バイデン、現場で指揮していたのが国務次官補を務めていたビクトリア・ヌランド。戦闘員の主力はネオ・ナチで組織された「右派セクター」だ。
 右派セクターは2013年11月、ドミトロ・ヤロシュとアンドリー・ビレツキーによって編成された。ウクライナはNATO加盟国でないが、ヤロシュは2007年にNATOの秘密部隊ネットワークに参加。その年の5月に欧州のネオ・ナチや中東の反ロシア・ジハード主義者を統合するための会議がウクライナのテルノポリで開かれたが、その議長をヤロシュが務めている。その当時、アメリカのNATO大使を務めていた人物がヌランドだ。
 クーデターで倒されたビクトル・ヤヌコビッチ大統領は東部と南部を地盤とする政治家。2004年から05年にかけての「オレンジ革命」でもアメリカのジョージ・W・ブッシュ政権はヤヌコビッチを大統領の座から引きずり降ろしている。
 クーデターでヤヌコビッチは排除されたものの、東部や南部の住民はクーデターを認めず、抵抗を始める。それに対し、​オバマ政権はCIAやFBIの専門家数十名を顧問として送り込み​、​傭兵会社「アカデミー(旧社名はブラックウォーター)」の戦闘員約400名をウクライナ東部の制圧作戦に参加させた​とも伝えられた。
 クーデター派の攻撃に対抗するため、クリミアの住民はロシアと統合する道を選ぶ。3月16日にはロシアとの統合を求める住民投票が実施され、80%以上の住民が参加、95%以上が加盟に賛成している。この迅速な動きのおかげでクリミアの住民は平穏な生活を送れた。
 4月12日にCIA長官だったジョン・ブレナンがキエフを極秘訪問、その2日後にクーデター政権は東部や南部の制圧作戦を承認する。22日にはジョー・バイデン米副大統領がキエフを訪問、その直後から軍事力の行使へ急速に傾斜していった。
 そして5月2日、オデッサでは反クーデター派の住民が虐殺される。住民を殺したグループの中心は右派セクターだった。サッカーのフーリガンを挑発して住民が集まっていた広場へ誘導、住民を労働組合会館へと「避難」させ、その中で住民を虐殺したのだ。このとき50名近くの住民が殺されたと伝えられているが、これは地上階で確認された死体の数にすぎな図、地下室で惨殺された人を加えると120名から130名になると現地では言われていた。
 一方、ドンバスではクーデター政権と反クーデター派との戦闘が始まる。旧ソ連圏ではドイツとの戦争に勝利した記念日である5月9日を人びとは祝っていた。その日を狙い、クーデター政権はマリウポリに戦車を突入させ、住民を殺しはじめたのだ。6月2日にキエフ政権はルガンスクの住宅街を空爆、住民を殺しているが、その日、デレク・チョレット米国防次官補がキエフ入りしていた。OSCE(欧州安保協力機構)も空爆があったことを認めている。
 クーデター後、ネオ・ナチと戦ったベルクト(警官隊)は解散させられ、隊員は命を狙われている。相当数のメンバーがロシアに保護を求めたり、ドンバスの反クーデター派に参加したと見られている。軍や情報機関の内部にも離反者は少なくないだろう。
 クーデター直後にSBU(ウクライナ保安庁)の長官に就任したバレンティン・ナリバイチェンコは以前からCIAに協力していた人物で、前任者のアレクサンドル・ヤキメンコによると、第1副長官時代に隊員の個人ファイルをCIAに渡していたという。
 今回、ロシア軍が制圧したマリウポリは反クーデター派が多い地域であり、2014年以降、ネオ・ナチに占領されていたのである。ロシア軍に救出された住民は異口同音に、アゾフをはじめとする親衛隊が住民を人質にするだけでなく拷問し、虐殺してきたと証言している。
 ロシア軍のマリウポリ制圧は戦略上、重要な意味があるが、それ以上にバイデン政権が恐れているのは住民の証言だろう。配下の有力メディアを使って流してきた作り話がバレてしまう。こうした証言を無視すると同時に新たな大きな嘘をつかざるをえなくなるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自国民を虐殺するナチス=アゾフ隊 ◀︎女性二人の画像
https://twitter.com/akahiguma/status/1513716535772151811

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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4 コメント

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Unknown (宇宙人)
2022-04-24 15:20:55
2+2=5 @XsgThgnQyBsNmee 15時間

国の対応が遅いな。救援要請から2時間の猶予はあったということ。国はタイタニックを見たことがないのか?


朝日新聞(asahi shimbun) @asahi 15時間

知床の観光船、最後の連絡は午後3時 「浸水」通報から約2時間後

https://www.asahi.com/articles/ASQ4R7SDYQ4RUTIL02P.html?ref=tw_asahi


2+2=5 @XsgThgnQyBsNmee 14時間

知床半島の地域ってロシアスキー議員のところらしい。こんな時期に沈没事故が起きるのって、いろいろ間違っているからではないかな?


2+2=5 @XsgThgnQyBsNmee 14時間

知床半島って、自民のソ連のスパイ議員のところらしい。なおさら怪しいな。


2+2=5 @XsgThgnQyBsNmee 8時間

韓国で沈没事故が起きて、政権転覆のために韓国に上陸して活動していた国土交通系企業の連中は、今回の知床半島の沈没事故でも同じことをするのかね?ブーメランだな。


2+2=5 @XsgThgnQyBsNmee 7時間

助けられない空白地域があるのなら、なんで観光船なんて認可しているのかね?観光利権の闇を感じるな。


2+2=5 @XsgThgnQyBsNmee 7時間

なんか自民って被害者の一番嫌がることを率先してやるよな。傷口に塩を塗りつけるようなことを平然とやる。知床半島で犠牲者が出ているのに。


2+2=5 @XsgThgnQyBsNmee 8時間

貨物を暴走させていた国土交通系ってもうダメだろ?今回の転覆事故でもわかる通り。安全なんかよりも金だからこいつら。それが票につながると思っているらしい。デジタル庁などと、意味不明の昭和の感覚で偉そうにやってきた長州勢はもういらない。韓国の沈没船のことも馬鹿にしていた連中だろ?


2+2=5 @XsgThgnQyBsNmee 7時間

維新系上級国民が海のど真ん中で遭難しても自衛隊が助けに来るというのに。


2+2=5 @XsgThgnQyBsNmee 7時間

観光利権って闇を感じるんだよ。そういう闇が自民の本質っぽいし。
返信する
Unknown (宇宙人)
2022-04-24 15:30:13
摩訶安房 @MakaAnbo 19時間

知床半島の観光船、ロシアの機雷とか魚雷は普通に木っ端微塵で浸水どころじゃないだろうからありえんとしても、拿捕・拉致されて浸水と虚偽報告させられてるとかならどうだろう?まあ、暴論ではあるが……


楽楽 @yukiyuta69 14時間

知床の観光船
船体も発見出来ない

そこに何故か
岸田が官邸に熊本から戻る

何か裏がある?
沈没していなくて
ロシア軍による拉致かも知れない

船体も何も無いのは不自然

北海道が狙われている
ロシア軍に・・・?

ロシアは日本が沈没させ
26人を殺したから
日本人を守る為に攻撃すると
言うぞ


加藤清隆(文化人放送局MC) @jda1BekUDve1ccx 6時間

小野寺まさる氏が「アイヌは真の先住民ではない。加えてマオリのように迫害も惨殺もされておらず、逆に手厚く保護された。北海道庁の間抜けな暴走ぶりには呆れ果てる」。最近ではロシアが「アイヌはロシアの先住民族」などと訳の分からないことを言い始めた。「アイヌ保護」を理由に北海道への侵攻も。


Papo @HA43824652 4時間

アイヌは、北方4島のほか、北方各地にも住んでいるということを、わざわざ調査したんだとさ。
鈴木宗男が関わるアイヌ関連団体が、プーチンに「アイヌが云々」とい余計な手紙を送ったからだそうだ。
洞察力のない爺政治家たちが、余計なことに邁進した結果日本人が被ったとんでもない災厄だといえる。
返信する
Unknown (宇宙人)
2022-04-24 15:41:44
佐 @dhTBzMl96Kq1Def 2021年12月15日

アメリカのインディアンも、加害者になるか被害者になるかみたいな状況に追い込まれて殺し合いさせられたんだろ
苦しくて白人に泣きついたら集スト仕込まれて「あの部族を殺してこい」とか命令されてたんだべ
間違いないっしょ。

キチガイ遊牧民犯罪者死すべしだな マジに。


佐 @dhTBzMl96Kq1Def 2021年11月30日

アメリカ大陸の原住民大虐殺といえば、銃火器によるものだと思っている人は多いだろうが
実態はおそらく集団ストーカーによるものだろう。

インディアンの中で白人に媚びてきた部族に集団ストーカーをやらせ、媚びなかった部族を殺させた。
アフリカでもそうだろう 
江戸時代の九州 島原辺りもだ


佐 @dhTBzMl96Kq1Def 2021年11月30日

そして集団ストーカーの教習所兼詰め所はキリスト教の教会であったことは容易に推定できる。

「白人が他国に侵略するにあたって、媚びてきた原住民に集団ストーカーをやらす」っつのは世界共通の現象。

これがキリスト教のやる「改宗か滅亡か」の実態だろう
銃火器ではない。集団ストーカーだ。


佐 @dhTBzMl96Kq1Def 2021年11月30日

だから簡単に言うと、キリスト教っつのは「我々白人に媚びてこない奴は悪であり犯罪者」という了見の団体だって事

普通の感覚では、媚びない程度では攻撃される理由にはならないだろと思うだろうが
向こうは違ってて、媚びない時点で犯罪者扱いしてるという事。


佐 @dhTBzMl96Kq1Def 4月8日

北米のインディアンでカジノの運営とかやらされてる部族は、いち早くキリスト教に入って白人の側に付き同胞のインディアンを集団ストーカーで殺しまくった部族の子孫なわけ。
日本のキリシタン大名みたいなもんだな

日本もああなるのだろうか
返信する
Unknown (宇宙人)
2022-04-24 15:41:54
フクchannel @0g0ZDjlTJpzKbcc 2時間

#シャクシャインの戦い
要は血みどろで漁猟権=ナワバリ争いを繰り返してきた暴力団2組の仲裁をしていた行政(松前藩)に対し、誤解からのとばっちりで非武装のかたぎ衆(和人の民間人)を虐殺した事件と言う事ですな🤔
松前藩は「暴徒鎮圧」をしたまでにすぎず、ジェノサイドとは違いますね。


Naka2jp @Naka2jp1 4時間

ふむ、たしかにジェノサイドであったようですな

シャクシャインの戦い - Wikipedia
----
突然の蜂起に和人は対応できず東蝦夷地では213人、西蝦夷地では143人の和人が殺された(大半が老人婦女子の非戦闘員で士卒は5名であった。犠牲者の総数は355人に上る)


シャクシャインの戦い wikiペディア

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

シャクシャインの戦い(シャクシャインのたたかい)は、1669年6月にアイヌでシブチャリの首長シャクシャインを中心として起きた蜂起。アイヌ2部族の抗争、報復の最中に松前藩に対する武器貸与要請の使者に関する誤報から、松前藩への大規模な蜂起に発展した。日本の元号の「寛文」年間に発生したことから、寛文蝦夷蜂起とも呼ばれている。



ルサ🎏
@Rusa_HBR
·
2月26日
【ヘブバン考察】マリア・デ・アンジェリス

名前の由来は、安土桃山時代に日本に渡ったイエズス会宣教師、"ジロラモ・デ・アンジェリス" から。

江戸に入り弾圧が強まる中、決死の覚悟で当時未開であった蝦夷(アイヌ)へ布教。死後に福者を授与。

暴言宣教師だったのかは不明です。🤔(笑)
#ヘブバン

https://pbs.twimg.com/media/FMgqEmPaQAQY-bk?format=jpg&name=large


ジロラモ・デ・アンゼリス wikiペディア

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%AD%E3%83%A9%E3%83%A2%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%BC%E3%83%AA%E3%82%B9

ジロラモ・デ・アンゼリス(Girolamo de Angelis、1568年 - 1623年12月4日(元和9年10月13日))は、江戸時代初期のイエズス会宣教師である。1618年(元和4年)初めて、蝦夷地を訪問した欧州人でもある。


ジロラモ・デ・アンジェリスと松前公広「松前は日本ではない」

http://kodaisihakasekawakatu.blog.jp/archives/16253695.html


◆◆ジロラモ・デ・アンジェリス(1568-1623)
アイヌ語を世界で初めて文字記録に残した人
世界初、北海道地図を作った人
イエスズ会宣教師

1585年 イタリア・シシリー島エンナ出身
1595年 10歳で一家がリスボンを出航して西インド諸島へ向う途中、海賊に捕らわれ英国へ連行される。
1599年 再度アジアへ
1602年 日本へ来訪 駿府や江戸で父親の布教活動の手助けを始める
1603年 18歳でイエスズ会正式入会
1613年 徳川幕府のキリシタン弾圧が始まる
1614年 (慶長十九年)キリシタン禁教令出て宣教師の追放が始まると、アンジェリスは追放されるところを逃れ長崎に隠棲
1616年 (元和二年)禁教令で捕らえられた信徒たちが東北に流され窮乏していると聞き、救援物資を携えて東北へ慰問渡航。そのまま定住し、津軽の後藤寿庵のいた水沢を基地として密かに秋田や津軽で布教活動を続けた。険しい奥羽山脈を越える布教活動である。
1618年 (元和六年)北海道に蝦夷(えぞ=アイヌ)がいることを知り、彼等に布教可能かどうかの実験のため松前に渡り(欧州人初の渡道)、一回目の蝦夷報告書を書いた。その内容は旅行記のよ     うなものであった。松前に10日間滞在。 信者15人に福音を与え、新たな信者もえた。
 
●渡道の目的の第一は、
1 蝦夷の霊魂救済に適するかどうかを確めるため
2 松前キリシタンたちの救済と告解を聞くため
蝦夷とは直接対話し、記録や地図を製作。この資料は蝦夷から直接聞いた情報で、その後のアイヌ・北海道の研究に非常に役に立つことになる。
四度目の東北伝道旅行に出て青森深浦から松前行きの船に乗り松前に渡った。
このときたまたま松前藩主の甥が乗り合わせ、藩主の知るところとなり、藩主は神父に手をさしのべた。
     
このとき幕府はキリシタン宣教師を差し出すように全国諸藩に命令していたが、ときの松前藩主・松前公広(きんひろ)は幕府に黄金を献上していたりして、一目置かれており、強気にこう言ったとアンジェリスは記録している。

●「天下(将軍)は日本から神父たちを追い払ったが、松前は日本(ヤマト)ではないのだから、神父が松前に来ることは大事もない」

そして村役人にアンジェリスを饗応させたばかたりか、希望があれば本人と自分の対面をも許した。当時、幕府に力があった伊達藩でさえ布教活動を慎ませていた時代である。
 
この松前藩主公広の発言は、日本というものの、近世における範囲を知る上で、重要な資料とな    る。
         
1621年 再び松前に渡り、二回目の蝦夷報告書を書いてローマの管区長に蝦夷島図贈る(現存 する最古の北海道地図)。第二報告書の方は14章から成るもので、内容は北海道が島であることの論証・アイヌ人の風俗・松前にもたらされる交易品などの詳しい報告などである。その第10章にアイヌ語の数詞34語、名詞16語、複合表現2例を記載している。それが、今日世界初のアイヌ語語彙集と呼ばれているものである。
アンジェリスは自分をかくまった家主が拷問を受けていることを知り、自ら奉行所に名乗り出る

1622年 同僚宣教師カルワルホ相次いで松前渡航
1623年 元和九年)江戸で火刑
1624年 アンジェリスの第二報告書は、イエズス会年報の付録として発表された。但し、これはイタリア語版であった。アンジェリス自身はポルトガル語で書いており、生前イエズス会の上司であるフランシスコ・パシェコ神父に送付したものが、ローマに渡っている。イタリア語の訳者は不明である。
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