ビギナークリスチャン♪シズコの縁側

クリスチャン歴18年、うつ状態歴27年をむかえたけど未熟or発展途上?悩み満載!生かされて感謝♪クリスチャンブログ。

書きたくなったこと

2012年03月05日 | 日記
「今、わたしは心騒ぐ。」

新約聖書:ヨハネによる福音書12章27節(新共同訳)

「だが、今いったい、わたしはどうしたらいいのでしょうか・・・・・・。」

新約聖書:ヨハネの福音書12章27節(リビングバイブル訳)



今久しぶりにわたしの霊想書「リビングライフ」の冒頭の「人生のターニングポイント」と言うページに井土ヶ谷(=「いどがや」と読むらしいです)キリスト教会の工藤良一牧師の「病気を通して見えてきたもの」を読んでいたら、なんかブログに書いて読んでもらいたくなって起きて来ました。パソコン室は寒いし、風呂上りで半分冷めちゃってるけど、今書かないと書けなくなると思って来ました。

この工藤牧師先生は「脊椎小脳変性症(せきずいしょうのうへんせいしょう)」と言う病気らしい。国の特定疾患の16番目に認定されてて原題の医学では完治が不可能だと書いてある。工藤牧師は平成元年に「先生の医療費は全部教会が持つから一度病院で検査をしてほしい」と、この教会に転任されたばかりで言われ(これを読んだだけでわたしは「良い教会や~」と泣けそうになった。)検査したらこの病気がわかったんだそうだ。それで余命5~10年の命と言われたけれど、「今でも23年目を生かされてるので、まだ使命がある証拠です」と書いておられた。詳しくはリビングライフの3月号を読んで頂きたい。こうして書いてると一番書きたいことがかけなくなりそうで・・・先を急ぎます。

この文章に心が留まりました。

「自分を生きる」ように変えられました。健康な時には背伸びし、肩に力を入れて、強い自分を演じてやっていたので、疲れました。今は楽です。あるがままで、飾らないで、自然体で生きていればいいと知ったからです。ある選手がスランプで悩んでいたとき、先輩から「自分のプレイをせよ」といわれて立ち直ったそうです。「このままの姿で」という賛美があります。「バラはバラのように、すみれはすみれのように、わたしもこのままの姿でついていきます」病気を通して工藤は工藤のままでいいのだ、ありのままで生きればいいんだと学びました。病気は「自分を生きる」というメリットがあります。

私はここ一ヵ月半ほど、不安で一杯だったので、この一文を読んでちょっとほっとした気がしたんです。今は寒い寒いパソコン室で書いているので落ち着かないのですが、この工藤牧師が書かれた

「バラはバラのように、すみれはすみれのように、
わたしもこのままの姿でついていきます」

この賛美歌が私がとても好きなこともある。どちらかというとクラシック畑で育った私は、今風のワーシップソングって苦手なんだけど、この曲はとてもメロディも優しく歌詞も好き。

あと、この(工藤先生のいる教会でまかれたんだと思うんだけど)道に落ちていたトラクト(キリスト教会で、イエス様を伝えたり、その教会の催しものの案内などに用いられる冊子やチラシなど)を拾った障害者の方が、この工藤牧師の教会に来て洗礼を受けたんだそうだ。「この牧師も障害者なんだ」と思って来たんだそうだ。それって凄くいいなあと思った。 同時に私はクリスチャンなんだけど、このチラシ配りというのが大の苦手・・・・・。・・・でも、こんな風に道に落ちたチラシを拾って教会に来てくれる人もいるんだなあと思ったら、チラシ配りも無駄じゃないんだなあと思ってちょびっと反省した。(この文書くの凄く勇気要ったんだぞ~・・・ノンクリスチャンの方には申し訳ないが、私のようなこんなやさぐれ?クリスチャンもたまにいます。どうぞあたたかく見守ってください。(苦笑)



工藤牧師も書いておられたけど、同じ障害や病気を持っている者しかわからない気持ちってある。
私は欝状態で、今はほとんど布団の中だけど、2001年南部教会に来てからはずっと「欝です」といい続けて隠さなかったので、それからは他の人にもずっと「欝なんです」というのは正直抵抗が無い。勿論欝という病気がかなり公民権を得てきたこともあるけれど、自分から「私欝なんです」ということで、「え?実は私も」とか「私の子どもも」とか言う人が物凄い多いことに気づかされた。

買い物なんか行くとき、私は人ごみは未だに駄目だし、サイズも大きいので、疲れて探せなくなると、店員さんに探してもらうが、目当ての商品を買ってから「ありがとうございます。私実は欝なんで、こういうとこ苦手だからとても助かりました」というと、「あら~。そうだったの。そんな風にぜんぜん見えないけどね~。(←これもほぼ必ず言われるが、私はうつだし、結構この言葉傷付くのでやめて欲しいと実は思ってる)私の親戚の子もそうなのよ~。大丈夫よ、元気出してね。また買い物に来てね」とかいわれることが多い。買い物に関してうつがマイナスになったことは0だ。そういう意味では私はついてるのかもしれない。

今日久しぶりに冒頭に聖句を書いたが、ちょっとこの言葉を読んでびっくりした。イエス様でも「心騒ぐときがあるのかい?」と思った。でも、心騒ぐってどういう意味なんだろう?「恐れるなっていうことかい?」聖書の言葉って難しい。一番読みやすい「リビングバイブル」で読んだら「だが、今いったい、わたしはどうしたらいいのでしょうか・・・・・・。」と書いてあった。が正直私は、ぴんと来ない。


この頃聖書はほとんど読まなくなってしまったが、ここ数年時々聖書を原語で読めたらなあ~と思う。私の大好きな「ケセン語」聖書を訳された山浦玄嗣先生は全部アラム語とギリシア語を学ばれ、そこから訳された。自分で原語を訳して考えると全く違うと思う。どうしても翻訳は翻訳者の意向が入るからだ。特に私は聖書ってそのままでは物凄い難しいと思うので、ノンクリスチャンの方が読まれるなら、好きなところから読んでもいいんじゃないかと思ってる。(真面目なクリスチャンの方から怒られそうだけど)
実際私がノンクリスチャンのときもそうだったし、これが聖書の面白いというか不思議なところだと思うんだけど、ミョーに心に何十年も残っている聖句というのもある。
私にとってはそれは旧約聖書のハバクク書3章17~19節(口語訳)。南部教会の前に通っていた教会で20代の頃読んだ聖句。だけど、この聖句を読んだ時の雰囲気みたいなものが今でも体感として残ってる。

久しぶりに一杯書いたし、もう11時半なのでやめます。

明日も精神科なので、祈ってください。
また、仙台に修理発注したドレッサー、直りました。
来週の木曜日に運んでもらうように頼んでるのですが、是非その日まで布団をあげて、ドレッサーを運べるように祈ってくだされば嬉しいです。

今わたしが読んでいる本で、なぐさめられる本二冊。

・「あの世 この世」瀬戸内寂聴、玄侑宗久共著。新潮文庫。362円(税別)

・「仏教・キリスト教 死に方 生き方」玄侑宗久、鈴木秀子共著。講談社プラスアルファ新書。838円(税別)

↑この二冊はかなり前から読んでるんだけど、対談って私は好きで、読みやすくて、お勧めです。

アゲハさん、音声多重録音ファンさん、コメントありがとうございました。

返事はこの次までお待ち下さいね。

オヤスミナサイ。

久しぶりにPHSの待ち受けを泣いたバーバパパからこれに変えました。
人形のアキラさんが好きなの。




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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
崇徳グリーのCD (土井正裕)
2012-03-21 17:06:05
体調が優れないようですネ。音楽には癒やしの力があ有ると思います。崇徳グリーCDダビングしてお送りしますが……。昨日グリーの同級生に送りました。シズコさんにも崇徳の迫力有る合唱を聴いて頂ければと思いますが。
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土井正裕様 (シズコ)
2012-03-26 00:11:12
お見舞いのコメント、ありがとうございました。
一度もお目にかかったことのない私に、CDを送ってくださるなどの、土居様のあたたかいご配慮とお心遣いに心から感謝致します。
まだ心身ともに、病んでいる状態です。特に先週風邪をひき、9度の熱を出して、点滴を打ってやっと熱を下げたばかりです。
食事は未だにお粥の生活です。
なお、私の癒しのために祈って頂ければ幸いです。
崇徳グリーCD、是非お聴きしたいです。
もし、本当にお心に甘えてよろしいのでしたら、教会宛に送って頂けますでしょうか?

〒990-2493 山形県山形市美畑町4-20
山形南部教会 シズコ で届きます。


昨日、なんだか懐かしくなり合唱団時代の写真をめくりながら思ったのは「音楽に魅せられた者を、音楽は離さない。私のような病にある者を優しく包んでくれる」・・・・そんなことを思っていました。

すみません。限界です。休みます。
土井様の本当にお優しいお心遣いに、再び感謝申し上げると共に、今週の土井様の歩みを主がお守りくださいますようにお祈りしてお返事申し上げます。かしこ シズコ

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