まず一句献呈。
木蓮に妻の如添う野薔薇かな(もくれんに つまのごとそう のばらかな)
今日の夕方(主婦代行二日目)に庭の水撒きをしていたら、この句が浮かびました。
俳句って言うのかな?
俳句って凄いと思う。五七五で、季語を入れて自分の想いを詠むんだもんな。
今日NHKの「スタジオパークからこんにちは」に、古美術鑑定人の中島誠之助さんが出ていました。「良ーい仕事してますねえ~」のお宝鑑定団の粋な着物姿でお馴染みの方です。
この方は毎朝三句、俳句を詠む習慣だそうです。凄いなあ。
今日着ていらした夏用の羽織はなんと、レースのカーテンを染めて作られたオリジナルだそうです。発想が大胆な方なんですね。
「素敵だなあ~」と思いました。
そしてちなみに、俳号は「閑弟子」(かんていし)だとか・・・
ちょっと、親しみを感じ、嬉しくなっちゃいました。
ユーモアがある方は余裕がありますね。通人(つうじん=(フランス語で)ジレッタント)と言う言葉を思い出しました。粋な御仁であられます。
私も以前、紅いガーゼでワンピースを縫いました。
染めむらがあるのと、紅いという色だけで、格安の値段で、ミシン糸、肩のシャーリング用ゴム紐で全部で1000円で作りました。縫い時間は約三時間。ガーゼは涼しいし、洗ってもすぐ乾くので、夏お勧めの素材です。
で、父ちゃん

私がイエス様を呼ぶ時の呼称です。
「天にまします我らの父よ」とか「愛する天のお父様」って言う祈りも、勿論するんだけど、一人でイエス様、シズコの父ちゃんと喋る時は、父ちゃんが、断然しっくり馴染みます
父ちゃんと喋る(祈る)時は、勿論山形弁。
「父ちゃん、あのよ・・・・」って言う感じ。一番本音で喋れんだもん。
聖書に「アッバ、父よ」とイエス様を呼ぶ箇所がありますが、この、アッバとは、子供の言葉で「パパ」とか「父ちゃん」って意味なんだそうです。(・・・
確かんだよね?間違っていたらどなたか、教えてくださーい)
だから、私は「イエス父ちゃん」です。
別に自分の亡くなった父を「父ちゃん」って呼んでた訳ではないです。
お父さん子の私は「お父さん」と呼んでました。
でも、ケセン語訳聖書を翻訳された山村玄嗣氏の聖書を聞いてから、私のイエス様のイメージは「がっつらした大工で、がらがらと笑う、ユーモアたっぷりの父ちゃん」なんです。
今度は父ちゃんと、どんな話をしているか、書きたいです。
書いたんだげっどよ、ほんては(=本当は)。んだげっど、途中で消してしまってやんだぐなたのは。ごめんしてケロな(=だけれども、途中で消してしまって、書くの嫌になっちゃったんです。許してくださいね)
いつか、山形内陸弁の聖書、翻訳してみってなぁ~。
追伸:今日は午前中一杯自転車で乗りまわっていたら、午後に熱中症みたいになって、バテタ。
明日は夕ご飯メイン当番は私なんだ。
くたびったがら、寝るハー。
オヤスミナサイ
水分補給してケロな~
木蓮に妻の如添う野薔薇かな(もくれんに つまのごとそう のばらかな)
今日の夕方(主婦代行二日目)に庭の水撒きをしていたら、この句が浮かびました。
俳句って言うのかな?
俳句って凄いと思う。五七五で、季語を入れて自分の想いを詠むんだもんな。
今日NHKの「スタジオパークからこんにちは」に、古美術鑑定人の中島誠之助さんが出ていました。「良ーい仕事してますねえ~」のお宝鑑定団の粋な着物姿でお馴染みの方です。
この方は毎朝三句、俳句を詠む習慣だそうです。凄いなあ。
今日着ていらした夏用の羽織はなんと、レースのカーテンを染めて作られたオリジナルだそうです。発想が大胆な方なんですね。

「素敵だなあ~」と思いました。
そしてちなみに、俳号は「閑弟子」(かんていし)だとか・・・

ちょっと、親しみを感じ、嬉しくなっちゃいました。

ユーモアがある方は余裕がありますね。通人(つうじん=(フランス語で)ジレッタント)と言う言葉を思い出しました。粋な御仁であられます。
私も以前、紅いガーゼでワンピースを縫いました。

染めむらがあるのと、紅いという色だけで、格安の値段で、ミシン糸、肩のシャーリング用ゴム紐で全部で1000円で作りました。縫い時間は約三時間。ガーゼは涼しいし、洗ってもすぐ乾くので、夏お勧めの素材です。

で、父ちゃん

私がイエス様を呼ぶ時の呼称です。

「天にまします我らの父よ」とか「愛する天のお父様」って言う祈りも、勿論するんだけど、一人でイエス様、シズコの父ちゃんと喋る時は、父ちゃんが、断然しっくり馴染みます
父ちゃんと喋る(祈る)時は、勿論山形弁。

「父ちゃん、あのよ・・・・」って言う感じ。一番本音で喋れんだもん。

聖書に「アッバ、父よ」とイエス様を呼ぶ箇所がありますが、この、アッバとは、子供の言葉で「パパ」とか「父ちゃん」って意味なんだそうです。(・・・

だから、私は「イエス父ちゃん」です。
別に自分の亡くなった父を「父ちゃん」って呼んでた訳ではないです。
お父さん子の私は「お父さん」と呼んでました。
でも、ケセン語訳聖書を翻訳された山村玄嗣氏の聖書を聞いてから、私のイエス様のイメージは「がっつらした大工で、がらがらと笑う、ユーモアたっぷりの父ちゃん」なんです。
今度は父ちゃんと、どんな話をしているか、書きたいです。
書いたんだげっどよ、ほんては(=本当は)。んだげっど、途中で消してしまってやんだぐなたのは。ごめんしてケロな(=だけれども、途中で消してしまって、書くの嫌になっちゃったんです。許してくださいね)
いつか、山形内陸弁の聖書、翻訳してみってなぁ~。

追伸:今日は午前中一杯自転車で乗りまわっていたら、午後に熱中症みたいになって、バテタ。

明日は夕ご飯メイン当番は私なんだ。
くたびったがら、寝るハー。
オヤスミナサイ

水分補給してケロな~
