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9月23日(日) 家族の在り方について、ふと考える。

2018年09月23日 23時38分19秒 | 2018年

 9時起床。今日も遅くなってしまった。起きた時に居間のほうから妻と娘の声がすると、今日はゆっくり寝たんだなということがすぐわかる。

 午前中は、部屋の掃除をした以外、テレビを観ながらだらだらと過ごす。

 午後、妻が娘を連れて岸根公園へ散歩に出掛ける。私は、ほぼ同じタイミングで新横浜プリンスペペに入っている無印良品へ、先日購入して裾直しをお願いしておいたパンツを受け取りに出向いてから、地下鉄で岸根公園へ合流した。家から徒歩15分ほどの距離にあるこの公園だが、来たのは今回が初めてだ。日曜日ということで、多くの家族連れで賑わっていた。しかし、敷地がかなり広いので、それでも十分に開放感がある。娘は草むらが怖いようで、顔や身体が草に触れそうになると泣いていた。私たちにとっては何の変哲もない草むらでも、確かに初見では得体の知れない怖いもののように見えるだろう。ただ、私たちが草むらに寝そべってその上に娘を置いてみると、段々と慣れてきて自分から草に手を伸ばすようになった。まだ直接寝ころべるほどの関係性は築けなかったようだが、少なくとも得体の知れない怖さはかなり払拭されたのではないかと思う。

 岸根公園から自宅に帰る途中では、あれこれと寄り道や回り道をした。新築の戸建があれば値段の相場はどのくらいなのだろうと見に行ってみたり、あえて細い路地に入ってみたり。この辺りはまだ散歩をしたことがないので、今度はもっとゆっくり歩いてみたい。

 今日の娘の入浴は私の担当だったのだが、やけに泣いた。多分、眠かったのだろう。元々身体を洗われることがあまり好きではなく、その間は泣いたりぐずったりしていて、最後に湯船に浸かってご機嫌になる、というパターンが多いのだが、今日は湯船でもなかなかご機嫌が直らなかった。お風呂から出て授乳を済ませるとすぐに眠ったことから考えても、やはり相当眠かったのだろうと思う。

 夕食はパスタ。妻がチャレンジで餃子の皮を入れたようだが、失敗だったと言っている。確かに、私も失敗だったと思う。別に入っていても構わないが、入っていることの利点は何もない。

 夕食を食べながら妻と話をしていて、彼女が育児において”貸し借り”という考え方を持っていることを知った。正確にいえば前々から気付いていたのだが、今日はっきりと確認したという感じだろうか。例えば、私が職場の飲み会に参加して夜に家を空けたり、先日の北海道旅行のように妻にワンオペ育児をしてもらった時に、彼女はそれを私への貸しだと認識している。逆に言えば、彼女が飲み会や趣味のライブ鑑賞などで家を空ける時は、私に借りを作ったことになるようだ。その考えでいくと、彼女にとっては私への貸しのほうが多いことから、「私への貸しがワンオペ○回分あって」という計算になり、つまり私は彼女への借りを抱えている状態であるらしい。

 私はそういう考え方をしてこなかったので、少し驚かされた。私としては、2人とも育児が出来る状態なのだから、お互い自分の時間を好きに持てるようにすればいいし、感謝したりされたりすることはあれど、それを貸し借りだとは思っていなかった。そもそも、ワンオペがそれほど大変だと感じていないこともあるかもしれない。いや、確かに大変は大変だけど、そのバタバタ感も結構楽しいと思っている。まあ、これは妻に比べて私が自身に求める育児のレベルが低いからなのかもしれないが。

 ただ、このことがわかったことで、前から疑問に思っていたことがひとつ解決した。彼女は「○○のライブに行きたいなー」などと言っていて、私が「いいじゃん、行ってきなよー」と言っていても、何だかんだ理由(時には私のワンオペ能力が足りないから…というような素直には受け入れがたい理由)をつけて実際の行動には移さないことが多かった。私は単純に「なんで行かないんだろう?」と思っていたのだが、今から考えれば当然だと思う。自分が出掛けることで借りを作ってしまう(と考える)なら、行きづらいだろう。反面、私がそんなことを気にもせず飲み会の予定を入れたりしていたことに対しては、色々と思う所があったに違いない。そうかといって、私が「貸し借りっていう考え方をしなくてもいいんじゃないか」と言ってみても(実際に言ってみたが)、なにぶん今の私は借りが溜まっている状態のようなので、説得力はない。まるで借金を踏み倒そうとしているように見えてしまう。

 考え方は人それぞれなので、夫婦で異なることも別に構わないと思う。ただ、今のままだと妻は私に貸しがあると思っているのに私は借りがあるとは思っていない、という噛み合わない状態が続いてしまい、妻にとってストレスになるだろう。だから、ここはひとつ、彼女の考え方に乗ってみようと思う。ただ、そうなると貸し借りの尺度をある程度数値化しないといけない。ワンオペで何をやったらどれくらいの貸しになるのか。時間計算なのか、タスク数なのか。もしかしたら、時間帯によっても計算は変わるかもしれない(深夜時間帯は1.25倍とか)。私も、住宅ローンを組んで家を買うことすらこれっぽっちも考えないくらい「借金をする」ことが嫌いなタイプなので、借りがあるならばすぐにでも返したい。だからこそ、現状どれくらいの借りがあって、何をどれだけやったら返せるのか、ということを明確にしたい。そこから返済プランを練っていくことになるだろう。当初は戸惑いもあったが、いざこの考え方を採用する気になったら、結構わくわくしてきた。今は借りが多いが、逆に貸しを溜めていけば、胸を張って1人で海外旅行にも行けるようになる、かもしれない。

 ちなみに、ここまでを読んで、妻やこの考え方を冷たいと感じる人がいるかもしれないが、それは違うと断言しておく。妻はとても優しく、温かみがあって、心の広い人である。家族想いで、私のことも尊重してくれるし、何より娘を「溺」が付くほど愛している。むしろ、私のほうが「根本的には家族も一時的な他人の集まり」という冷たい考えを持っている人間だ。今回の「貸し借り理論」(と勝手に呼ぶ)についても、確かに私自身にその発想はなかったが、それがおかしいとは思わない。むしろ、「無償の家族愛」などという幻想によって特定の誰かが多くの負担を負うことで家族が維持されるくらいなら、ある程度ビジネスライクな家族の在り方ほうがよっぽど健全だと思う。極端な話、育児に限らず全ての再生産労働をポイント化して、平等に分担、もしくは収入割合に反比例させて分担割合を決める、くらいのことをしてもいいと思っている(ポイント化の作業が大変そうだが…)。

 ただ、ひとつだけ懸念するのは、先述のように、「借りを作る」と考えることで、(広義の意味で)外へ出ることが阻害されるのではないか、という点である。私は、現状のツーオペ生活において、夫婦がそれぞれ育児から離れる時間は多ければ多いほどいいと考えている。むしろ、生活が育児一色にならないように、育児から距離を置く余裕を持てるようにと思って、私は育児休業を取得した。だから、この考え方を採用することで、必要以上に私たちの生活が育児に吸い寄せられることがないように気を付けたい。「借りを作らない」という考え方ではなく、「たくさん借りるしたくさん貸す」という発想で、貸し借りの総量を増やしていく方向に持っていきたい。まずは、その点について妻との合意を得ることから始めよう。


9月22日(土) 崩れる生活リズム。

2018年09月23日 21時41分25秒 | 2018年

 深夜、日付が変わった頃から娘が泣き始める。妻は疲れて眠っているようで、珍しく私が面倒を見た。ミルクを作って与えるとご機嫌になり、それから1時間ほどで眠りについた。私が布団に入ったのは2時過ぎ。さすがに眠い。しかし、妻は毎日のようにこれをやっているのかと思うと、頭が下がる。

 9時起床。妻は体調が良くないようで、娘のお世話をバトンタッチ。娘はすこぶる元気そうで、離乳食もばくばく食べている。離乳食とミルクを終え、娘がお昼寝に入ったところで私も朝食。

 朝食が遅かったので、昼食は誕生日ケーキの最後の1切れで済ませる。やっぱり美味しい。

 午後はだらだらとテレビを観て過ごす。気のせいかもしれないが、他の番組に比べて、競馬番組の時にはやけに娘が画面にかじりついているように思える。特に、レース中の映像がお気に入りのようで、かなり集中している。将来、「幼い頃に父の観ていた競馬中継を観て騎手を目指そうと思いました」なんて、藤田菜七子騎手のような感じでインタビューに答えていたりしてと妄想してしまう。現実になったら、騎手は危ないからやめてと言ってしまいそうだが。

 18時前になって眠気に襲われ、娘が布団で遊んでいるところで横になったところ、次に気付いたら22時だった。遅めの夕食をとり、お風呂に入り、洗濯機を回す。