ここ「島原」に訪れたからには、立ち去り難くもう少し。うんちくを。
その時代は、この「大門が」唯一の出入り口、周りは塀で過囲まれていました。
昔は、置屋や揚屋が70軒以上も有り、ものすごい賑やかな活気にあふて、まるでパラダイスのようでした(但し、男にとっては)
揚屋は今の料亭の様なもので、置屋は芸妓や太夫を常に置き(ここから来たのかなこの名前)呼ばれた揚屋に行き宴席で客をもてなしました。
今は、二軒だけのこっています。この「輪違屋」だけ唯一営業しています(勿論、昔の様なのは無ですよ)聞くところと、太夫さんも数名おり、なんと現役の女子大学生がいるらしいです。(文化の研究に)この「輪違屋」に招かれたり、又、この亡びかかった文化を全国に公演したりしていると言う事です。
もう一軒は「角屋」で今は資料館になっています。
以前はここ「島原」は「朱雀野」と呼ばれていたらしいです。では何故「島原」とう言う名前になったかです。
寛永14年(1637年)に九州の島原で、圧政に苦しんだ農民たちが「天草四郎」を頂いて、3700人余りが「原城」に籠城しました。しかし、あえなく落城しその女性たちが、ここの遊女の身になりました。よってここは「島原」と呼ばれるようになったと言う事です。何とも切ない・悲しい話です。
(たわごと)
原石東京都知事が、アメリカ(ワシントン)での講演で、「尖閣諸島」の日本人(地権者・栗原氏)から「尖閣諸島」を東京都が購入すると、大大的に発表しました。(サプライズです)現在、「尖閣諸島」は個人の所有物で、国が年間2500万円で賃借しています。しかし、個人の所有では中国から「尖閣諸島」を一民間人がは守るには難しい為、又、今の頼りない政権ではこの諸島領有権を固守するには、石原東京都知事が立ちあがりました。中山石垣市長も、個人で所有するよりも、国か地方自治体が所有する方が大賛成とのこと。これでまたまた、中国との摩擦が大きくなるかも?
北朝鮮のバッタモンのロケットで、自衛隊が石垣島に堂々と駐屯し、諸島周辺を警戒出来ることになります。中国の、これからの出方が注目です。あの、北朝鮮で金正恩氏が、演説の後の、パレードで何度も側近に唇を完全に見せて話していました。(側近は口を手で押さえて分からないようにしているのに)韓国側は読唇術で、内容は「あのミサイルは発射したことが有るのか?」等を話している旨確認。もうこれで若い経験の無いおバカさんかげんが露呈しました。
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