京の話題

12000年以上続いた「平安京」の文化・寺社仏閣・お祭り等を紹介します。

京の話題(平安京その203)誤解していた・島原の続編

2012-04-18 13:40:59 | 京の話題

二日間にわたり、京都島原を記載しましたが。ものすごく誤解していたところが、多々ある為詳細に、訂正します。すみません。もう少しお付き合いを。

ここ島原は、日本で三大遊郭と紹介しました。しかし、「島原」は「花街」で決して「廓」では無いと言う事です。

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「島原」は正確には「花街」と呼ばれ(廓とは絶対に言いません)、江戸時代でも女性のお客を伴っても、比較的自由に楽しまさせてくれる所でした。(お金は持ってなあかんけど)

江戸の「吉原」は大門」が閉じると、出入りはできませんでしたが、ここ「島原」は門が「大門」や「西門」等が有り、自由に出入りの出来る、至ってオープンな所でした。

今、現存しているのは、「置屋」の「輪違屋」と「揚屋」の「角屋」だけです。

前記でも、記載しましたが「置屋」は文字通り、「太夫」や「芸妓」等を抱えて、「揚屋」に来た客の求めに応じて派遣する所です。しかし、他の「吉原」と完全に違うところは「揚屋」は料亭と言う事です。ですから、現在の、祇園町・先斗町・宮川町・上七軒等のお茶屋さんと完全に違うところは、「揚屋」は厨房が有り自前で料理を作り、もてなすところです。(祇園等の、色街のお茶屋さん等は仕出し屋さんから出前を頼みます)

唯一、文化財として残っている、「揚屋の角屋」です。(国指定重要文化財)

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私も勉強不足で、なんとこの「角屋」は国指定重要文化財です。

ここが入口の帳場です。(右にいつも帳場が座ってんのかな)

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ここが、料理を作る、台所。

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そして、昔は、優雅に昼からゆっくりお酒や料理を頂き、なじみの「太夫」や「芸妓」を「置屋」から呼び、彼女たちの、様々な教養のある遊芸や和歌・お茶・歌舞音曲を楽しみます。

しかし「花街」の決定的な違いは、宿泊は出来なかったと言う事です。

この、「松の間」の座敷にまず、通されるとしますか。(予算の有るかたは)

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ここで有名な「臥龍松」がある庭を見ながら、「太夫」や「芸妓」の気品に満ちた、又、教養のある芸や、短歌・歌舞・音曲にいそしみ楽しみます。(ライトアップてなものが無い時代ですから、当然、明るいうちからのお楽しみです)

これが、松の間から眺める「臥龍松」が有る、庭です。

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なんと、驚くなかれ、この庭には日本で唯一、一つの庭に、重要文化財の茶室が三席も有ります。 「曲木亭」(表千家宗匠覚々斎好)・「清隠斎茶席」(藪内竹心門の安富通清隠斎が作軒)・「囲の間」(表千家宗匠了々斎好)の三席です。全ての茶室が重要文化財です。

ちなみに、新撰組の前身である「浪士隊・芹沢鴨」が死の最後に眺め楽しんだのも、ここの庭と言う事です。長くなりますので次回に。


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