京の話題

12000年以上続いた「平安京」の文化・寺社仏閣・お祭り等を紹介します。

京の話題(平安京その206)もう一度京都御苑蛤御門を確認

2012-04-21 00:25:44 | 京の話題

ここ「蛤御門」は幕末の有名な「禁門の変」でお馴染みです。http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20111230

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前記の記事で今でも弾痕跡が有ると言いました。

この門は焼けませんでしたが、この変で戦火は京都の町を襲い、三日余りにかけて燃え続けました。この大火は、鉄砲や大砲の火で発生したために「鉄砲焼け」「どんどん焼け」ともよんでいます。

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この「蛤御門」は正式には「新在家御門」(しんざいけごもん)と呼ばれ、常に閉じていることで知られていました。しかし、天明8年(1788年)の「天明の大火」で初めて開けられました。

そこで「焼けて口開く蛤御門」と言う文句が生まれ、「蛤御門」と言う名になったと言う事です。

本記事は、写真が少なくて申し訳ありません。(うんちくばっかりで)

天明の大火は、京の二大大火で、宝永の大火(宝永5年・1708年)と供に有名です。この一つの、宝永の大火は油小路・姉小路通あたりから出火して、火は西南風に煽られて、北は今出川の南、南は四条迄が類焼し、町数415町・家数10130軒・寺数50ヶ所・神社18ヶ所・西道場12ヶ所・東道場23ヶ所・土蔵に火入670余と記録されています。「宝永五年炎上記」より。

そして、約80年後のに発生したのが、桁違いの、大大惨事「天明の大火」です。この大火は応仁の乱以来の大惨事で北は、鞍馬口通や大徳寺、南は東本願寺、東は鴨川まで、西は千本通までと言うと、ほとんどの京都の九割の市街地が火の海になりました。もちろん、京都御所や二条城も炎上しました。(皆さん火の元は充分に気をつけましょう)これは「京都大火記録」「天明炎上記」などの記録にシッカリと残されています、焼失町1424・家屋36797・世帯65340・寺院201・神社37ということです。この火元は「団栗」あたりの民家の火始末からという事です。(火に元はしっかりと)

この御門を見て、心を引き締め「京都御苑」にお邪魔します。

(たわごと)

昨日の二大臣の問責決議可決。他国からどう見られているのでしょうか。別に、強制力は有りませんが(総理が罷免しない限り)私でしたら、あの顔出して、よう道歩けません(私が、大臣になるわけ無いけど)。国会の多くの議案は完全に停止。原発や震災の問題もそっちのけ。今の、国会議員は国を憂いてなく、自分の事だけ憂いているのかな?アホみたい。

速報:新座市(埼玉県)の美人タレント市会議員が、選挙管理委員から当選無効とのこと。立候補者や投票権は3ヶ月以上その地区に居住していなければならないのは、皆さんご存じと思います。しかし、美人タレントでの立川あすか市議は、居住していた形跡は一切無、ガス・水道等を使用した形跡が無く、東京都内で居住していたと言う事です。地元に密着して、地元の住民に奉仕する市議の本分が全く分かっていないアホ女。ちなみに、ヨーロッパやアメリカの市議はほとんど無給のボランティア。昼間は自分の仕事をして、夜や休日に議会に出席。これがホントの地方自治の大切な所と思います。税金も無駄に議員に払う事はないし。今の、県議や市議は何を考えてるのかな?(この事安で、また、橋下大阪市長の人気UP)

速報:神社が破産宣告。青森県の弘前東照宮(国指定重要文化財)が裁判所の自己破産宣告決定。先々代の宮司が本殿を担保にし、結婚披露宴会場の経営に失敗し、自己破産。元和3年(1617年)創建の由緒正しい神社が破産、売却され競売に。法人・個人への売却は可能との事。このニュースを聞いたらhttp://itodoya.blog.ocn.ne.jp/blog/2012/04/post_c308.html#commentsで言われていた、方のぼやきが、ますます納得します。但し、国宝や外国人は購買出来ませんが。と、言っても海外人(特に中国人)が裏で日本人をかえして購買すればどうなるのかな?あとは、ご想像に。


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3 コメント

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おはようございます。 (Yomogi)
2012-04-21 10:30:12
この門はなぜに焼けなかったのでしょう?
神のちから。。。かな?本当に不思議。
リンク先を読みつつ、ノートとりたくなりました!(笑)
学生時代、こんな先生だったら歴史頑張ったのにな~

↓甲冑~~すごいです!
できれば笑六さんのお顔をフォトショップ等で切り出し、
合成して頂きたいわ♪

あんちゃん心配ですね。でも絶対大丈夫!!!
笑六さん一家は守られていますから!
信じて待ちましょう。

なんてタイムリーな、あのボヤッキー(苦笑)
神社が競売だなんて悲しすぎます。
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Ymogiさんへ (京都の笑六です)
2012-04-21 11:47:19
そうなんです、不思議です。どういう訳かあの「島原」の大門も残っています。大正時代までの消火は、水で火で消すと言うより(もっとも消防車てなものは有りませんでした)、周りに類焼しないように、手荒に建物をぶち壊す方法でした。ので「島原」(天明の大火はそこまで類焼しなかったようですです)も当然、何度か火災に合いました。あの「松の間」も火災に合い、手荒にぶち壊されたと言う事です。また、大正時代にも「松の間」が類焼して、これまた、ぶち壊し。よって「松の間」は大正時代に復元されたもので、重要文化財にはなりません。(重要文化財に指定されるには最低で200年以上の歴史が必要とされているようです)門が焼け無いように多分、大名火消しや町火消しはその周辺の物をぶち壊し守ったのでしょう。昔は、門は建物の象徴で大切にしたのでしょう。この「蛤御門の変」でも周辺の多くの建物が火災に合っていますが、不思議にこの門は焼失しなく、完全な形で現存していますから。

それと、とんでもない、私、学生の頃、歴史が一番嫌いでした(文科系は)それで、大学は、理工系に進みました。しかし、ある本を読んだのをきっかけに、戦国史や幕末史・維新史・から明治史まで、ものすごく興味を持ち、むさぼるように本を読破しました。(若い時に読んだ本て、今でも頭にこびりついてますネ)ですから、今の若者はスマホなんかばっかりしてないで、どんなジャンルの物でも良いから、を読め、と言っています。年とってから読んだ本は、右から左にすぐ忘れてしまいます。(やはり鉄は熱いうちに打てですか)いまどき、電車に、乗っても、若者が本を読んでいるのを見かけたこと無いです。右も左もスマホに夢中、情けない事です。年寄りの私は、本を出し電車で堂々と読んでいます。
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まるで池上彰さんの授業を受けているみたいです。 (Dumbo mama)
2012-04-21 20:34:56
柔らかく噛み砕いていつの間にか頭に入ります。京都の大火は聞いた事ありますがどの時代だったのか知りませんでした。笑六さん凄いっ!!
娘が幼稚園の時京都御所を天皇さんのお家だと言ったらよそのお家に黙って入ってはいけないと言い丸太町通りを歩いた事がありました(笑)
あんずちゃんお大事になさって下さい。早く退院出来ると良いですね。
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