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ニュースなはなし

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成田空港第2ターミナルのモールです>円安は進みますが、インバウンドもショボいです

2024年08月16日 18時05分31秒 | 日々の出来事

国際線出発前の、成田空港第2ビルのショッピングモールです。搭乗まちのお客のほとんどは外国人で、しかも、この閑散とした状況です。

これでは1ドル144円超の円安ですが、インバウンドの効果も望み薄ですね!



8・1・2023
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マムシの子供?

2024年08月16日 15時05分02秒 | いろいろな出来事


こんなに小さい蛇は初めてです

画像の中央のミミズのようなものです。右側が頭でした。
頭の形が、マムシ型でしたね。





11・24・2020
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終戦直前、日本海軍は船 震洋 で体当たりする特攻艇部隊を作った。

2024年08月16日 10時05分52秒 | 歴史的なできごと
終戦直前、日本海軍は船で体当たりする特攻艇部隊を作った。 

人間兵器とも呼ばれた船「震洋」の基地跡が宮城県東松島市宮戸島にあった。 【画像】突貫工事で作られたトンネルを進むと…
「こんなもので戦えるのか」とがく然



宮城・東松島市に住み、地元の歴史を研究している石垣好春さん 67歳。 長年、小学校の教師として勤めてきた石垣さん。 宮戸小学校で教えたあと、地域にある戦争遺跡に興味を持ち、研究を続けてきた。 


石垣好春さん(67): 戦争の末期といいますかね。1944年の6月ころから海軍の特攻兵器として作られたモーターボート。基本的にベニヤ板で作ってある 

石垣好春さん(67): 片道切符ですから、帰って来られない。途中で海に逃げ出すとか、飛び込むことはできない。モーターボートなので、相手にぶつかるためには最後まで操縦しないといけないように作られていた モーターボートの資料も残されている。

 宮戸島に基地があった特攻艇「震洋」は、人間兵器とも呼ばれていた。 資材が不足した日本軍が、ベニヤ板や自動車から転用したガソリンエンジンで作った即席の兵器。 船の先端に250kgの爆弾を積んで、敵軍に突撃する。非常に簡素な造りだった。

 石垣好春さん(67): 宮戸に展開した(部隊の)宮澤隊長が、初めてこの震洋を見た時に「こんなもので戦えるのか」と、がく然としたと話している。幼稚な特攻兵器だったと言えると思う 太平洋戦争末期、全国各地に配備された震洋の部隊。 宮戸島には、その中でも最後の146番目の部隊が置かれた。


今も残る「震洋の基地跡」
石垣さんに、震洋の基地跡へ案内してもらった。向かうのは宮戸島にある旧鮫ケ浦漁港。 室浜漁港の北西側、潜ケ浦に車を止め、ここからは歩いて向かう。 歩き出すとすぐに、基地を作るために掘られたトンネルが見えてくる。中へと進むと… 

石垣好春さん(67): 壁を見てわかると思うが、ツルハシで掘っています。重機がないので突貫工事でやったんですよね 突貫工事で作られたトンネルだが、幾度の地震にも耐え、今も当時のまま残されている。その長さは60メートル。 

石垣好春さん(67): 地震で崩れている所が全国的にはありますから。危険なので封鎖しているところもある。こういう風に私たちが自由に動けるという意味では貴重な場所だと思う このトンネルを抜け、100メートルほど歩くといよいよ基地跡が見えてくる。

 石垣好春さん(67): ここが震洋の格納壕です。ここに震洋を隠しておく。右側に8本、向かい側に3本で11本。いざという時に、ここから浜を通して海に出撃していくという態勢になっていた 当時のままの姿で残る、格納壕。 6メートルほどのモーターボートを出し入れできる広さがある。 


しかし、ここに震洋が格納されることはなかった。 基地が整備され、部隊も結成されたが、震洋が配備される直前に終戦を迎えた。 結果、搭乗員49人は助かった。 一方で、終戦直前に奪われた命もある。 1945年8月9日。宮戸島で3人の子どもとその母親が空襲の犠牲となった。 その日には、同じく海軍の特攻部隊が置かれた女川町などでも空襲があり、多くの命が失われた。


戦争遺跡を守って歴史を伝えていく
石垣好春さん(67): 本土決戦に向


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幸子7歳、熊谷の空襲で命を奪われたのは終戦前日の夜でした

2024年08月16日 00時05分39秒 | 歴史的なできごと
8月15日終戦の前夜に熊谷市は、激しい空襲に見舞われました。


8・15・2021


幸子は、東京の空襲で母と弟を亡くして、叔母の家族にひきとられました。その翌晩、空襲で小さい命を落とすことになるとは。戦争の悲惨差を物語るアニメーションの秀作です。


あらすじ

1945年8月13日、7歳のさっちゃんは、東京大空襲で両親を失い、一人、熊谷駅に降り、叔父夫婦のもとに。年の近い従兄弟の良雄と正雄が、さっちゃんを出迎え、楽しいひと時を過ごす。




わんぱくな男の子たちが、突然現れた異性に心ときめく姿が初々しい。シーンの合間合間に、テニアン島の基地を飛び立ったB29が唸りを上げて日本本島に向かう。刻々と近づく破壊の時。その不安な予感の中で、無垢にはしゃぐさっちゃんの、時に悲しげな目が切ない。

そして翌日の14日夜に大空襲。叔父一家とはぐれたさっちゃんは、火の海の中、用水路の水につかり、泣きながら隠れる。翌朝、叔父が、そこで死んでいた彼女を引き上げて慟哭。空襲で助かった良雄も、河原で不発弾を見つけ、笑顔で戯れるうち、爆発させて死ぬ。残酷なラストに唖然。圧倒的な暴力で、有無を言わさず子供を殺す、この世そのものがおぞましく思える。

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