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鉄道写真とコンパクトデジタルカメラ・一眼レフデジカメ・ミラーレス一眼の「勝手に鉄道写真館」

主にコンパクトデジカメ(コンデジ)でデジカメ鉄道写真研究家の板井岳太が撮影(一眼も使用)した鉄道写真等を掲載しています。

京阪3000系

2006年03月05日 10時26分49秒 | 京阪

撮影日:1997/12/25
撮影場所:八幡市駅 ※地図を表示

昭和47年に登場した特急専用車両です。登場時、基本的には6両または7両編成で運転されていたのですが、3両と3両または3両と4両に分割可能であったので、先頭車両は電気連結器を備えていました。8000系の登場と前後して、6両編成の3000系には8000系の付随車を1両連結して7両編成にして運転していました。その後、カード式電話を備え、電気連結器を廃止して7両固定編成になった3000系も登場しました。

しかし、8000系の増備とともに徐々に姿を消し、現在は1編成しか残っていません。この1編成は改造が施され、ダブルデッカー車が連結されています。現在は8000系と同じ編成構成になっています。

写真は7両のダブルデッカー連結時のものです。



撮影日:1998/05/04
撮影場所:樟葉-牧野 ※地図を表示

現在はダブルデッカー付編成に一般車両を一両増結して8両編成になっています。これにより8000系も含めて特急用車両は全て8両編成になり、8両編成の正面に表示されていた「8」のマークが特急用車両には表示されなくなりました。



撮影日:1998/05/04
撮影場所:牧野-樟葉 ※地図を表示

3000系のダブルデッカー車の座席配置やシートの転換が8000系のものと異なります。



撮影日:1996/03/21
撮影場所:淀-八幡市 ※地図を表示

写真はダブルデッカー連結7両編成時のものです。

現在は8両編成となったため、車両運用上は8000系と区別がありません。そのため、朝のラッシュ時や深夜は普通や急行でも使用されことがあります。特急以外での運用時は、京阪特急のシンボルである正面の鳩マークの部分には、種別と行き先が表示されます。しかし、3000系が特急以外に使用される確率はかなり低いので、正面に種別と行き先が表示されている姿を目撃することはめったにありません。回送の表示であれば結構見かけることがあります。

ちなみにこの写真を撮影した場所には、現在では高速道路が上部を交差していて、このような構成の写真は撮影できなくなっています。



撮影日:1990/03/30
撮影場所:牧野-樟葉 ※地図を表示

写真はダブルデッカー連結前のもので、7両固定編成になったときのものです。まだこのときは、3両目と4両目の間には運転席が残っていましたが、その一部の機器は撤去され、カード式電話ボックスになっていました。

この後のダブルデッカー連結編成では、テレビカーの位置を8000系に合わせたため、7両編成に2両あったテレビカーが1両に減りました。

この頃8000系が増備されていましたが、不必要になった3000系はほとんどが廃車になりました。一部の車両(ほとんどが先頭車両)は富山地方鉄道や大井川鉄道へと移っていきました。その写真も撮ってありますので、今後掲載していく予定です。

京阪2400系

2006年03月04日 23時49分07秒 | 京阪

撮影日:1998/05/04
撮影場所:樟葉-牧野 ※地図を表示

2400系は昭和44年11月、関西初の冷房通勤車としてデビューしました。2400系の屋根上の冷房機器は、他の形式のものに比べると数が多く高さも高いので、良く目立ちます。その後、正面や内装に改造が加えられましたが、屋根上の冷房機器はそのままでした。



撮影日:1989/10/12
撮影場所:牧野-樟葉 ※地図を表示

現在は、全て7両で運転されています。

京阪2200系

2006年03月04日 23時33分16秒 | 京阪

撮影日:1990/03/30
撮影場所:樟葉-牧野 ※地図を表示

2200系は、淀屋橋延長による旅客増に対応して、昭和39年に登場しました。京阪で最初にスカートをはいた車両です。当初は冷房装置がありませんでしたが、1500V昇圧準備工事とともに取り付けられました。その後さらに改造が加えられ、正面に種別・行き先表示器が付けられましたが、内装はほとんど変わりませんでした。



撮影日:1990/03/30
撮影場所:樟葉-牧野 ※地図を表示

昭和60年には京阪最初の8両編成も登場し、その後は8両または7両で運転されていました。しかし、昼間の急行廃止伴い結局は全て7両編成になってしまいました。

なお、鶴見緑地で花博(EXPO'90「国際花と緑の博覧会」)が開催されていたころ、1編成だけ特別な塗装が施されました。

京阪1900系

2006年03月04日 16時12分27秒 | 京阪

撮影日:1997/11/16
撮影場所:淀-八幡市 ※地図を表示

昭和38年に登場した車両です。登場した当時は特急専用車両で、2つ扉のクロスシートでした。3000系の登場により、3つ扉でロングシートの通勤車両に改造されました。この2つ扉から3つ扉への改造のとき、一部の車両では両開き扉が取り付けられました。そのために、車両中央の扉だけが両開き扉になっていものが存在します。さらにその後、改造が施され現在に至っています。現在、特急車両以外では、この形式以外に片開き扉の車両はありません。

1900系には、昭和38年に新造された車両と1810系を改番して1900系になった車両とがあります。このうち、昭和38年に新造された先頭車両は、貫通扉の両側に自動車のようなバンパーを付けているのが特徴で、現在は先頭車両としてはこのタイプしか残っていません。なお、ヘッドライトが四角になっていて、他のものと違うものもあります。

現在は全て5両編成になっています。そのため、ほとんどが各駅停車として運転されますが、京阪本線では、朝夕のラッシュ時以外あまり見かけることがありません。昼間は宇治線や交野線でよく見かけられた時期もありましたが、原則4両編成となったため、ここでも使用頻度が少なくなり、10000系の登場により一部が廃車になりました。

京阪1000系

2006年03月03日 23時38分56秒 | 京阪

撮影日:1997/12/25

1000系は、700系を、1500V昇圧工事に際し台車・機器を新製、車体を活用して昭和52年から昭和53年にかけて川崎重工で若返らせた車両です。このときに冷房装置も付けられました。その後さらに改造が行われ、車内の配色や正面のイメージが変わりました。

他の3扉車に比べて車端寄りの扉の配置が若干異なります。



撮影日:1997/12/25
撮影場所:八幡市駅 ※地図を表示

1000系のドアの窓枠は、他の形式と比べて細くなっています。また側窓の配置も他の形式にはないものになっています。



撮影日:1997/12/25
撮影場所:牧野-樟葉 ※地図を表示

現在は全て7両編成で運転されています。



撮影日:1989/10/11
撮影場所:牧野-樟葉 ※地図を表示

鶴見緑地で花博(EXPO'90「国際花と緑の博覧会」)が開催されていたころ、1編成だけ特別な塗装が施されました(「はな号」)。

なお、これは最近流行の「ラッピング」ではなく、完全に塗り替えられていました。