答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

下向きのコップ

2019年05月17日 | ちょっと考えたこと(仕事編)

打合せに内容をプリントアウトした紙を持っていく。それを参加者に配って互いがその紙を確認しながら進行する。

近ごろとみに思う。

アレはどうなのだろう? と。

アレはコミュニケーションを放棄している行為に等しいのではないだろうか、と。

相手の出方をうかがいながら、また相手の感情を推しはかりながら、はたまたその場の空気を読みながら、臨機応変に内容や順番を変えつつ進めていく。これが対話であり、打ち合せというものもそうあったほうがより濃いものになるのではないだろうか。そんなとき、印刷物を介するという行為を自ら選択する。必然的に参加者の目は伏し目がちになる傾向が生まれる。そのチョイスは、コミュニケーションをとれなくてもよいですよ、と宣言しているのに等しいのではないか。

先日も、ある教育関係者たちとの会合で3枚ほどの紙が事前に配られた。

「土木」にかかわることならば、そんなものは半ば無視しても、相手の話を耳で聴いて相手の顔を見て話を進めるのだが、いかんせんそこはわたしのフィールドではない。いきおい、目はプリントアウトした文字を追いがちになってしまう。イカンイカン、顔を上げなければ、話者の目を見なければと、再三自分に言い聞かすのだが、ついつい目を落としてしまう。

わたしが内気だから?

いやいやそれもなくはなかろうが(笑)、たぶん根本原因はそこにはない。

やはりアレは、会議や打ち合わせをスムーズに進行させるために存在するものとして使われているようで、そのじつは、逆効果になってしまっている場合が多いのではないか。


セミナーの講師を務めることがある。

たいがいの主催者は、テキストと称した印刷物を配布する。聴く方もしゃべるほうも、それにもとづいて進行する。ところがどっこいわたしのソレは、基本的な流れとポイントが抜粋されているだけのようなもので、肝心要の部分はテキストを見ているだけではまったくわからないようにできている。聴者は、必然的に顔が上る。そこがスタートだ。

いわばそれは、コップを上向きにするようなものである。

下向きになっているコップには、注ごうとしても水が入らない。

水を入れるための必要最低条件は、コップを上向きにすることだ。

テキストを目で追いながら話を聞く、という行為は、コップを下向きにしたまま水が注がれるのを待っているに等しい。残念ながら、それに気づいている人は驚くほど少ないようだ。


打ち合わせにおける印刷物も同様だ。

簡単なレジュメがあればそれでいい。

近ごろとみにそう思う。


 

 

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