第9回中岡慎太郎マラソン大会終了。
おかげさまで今回も約3時間ほぼ叩きっぱなしをどうにか乗り切ることができた。
とはいえその内実を9年前と比べれば月とスッポン泥と亀だ。
歳々年々人同じからず。
10年近くの時が流れれば変わったことは数多ある。まして辺境の村となればなおさらだ。
いやいや他人さまのことはともかくとしてではある。
「男子三日会わざれば刮目して見よ」、とは若い者は三日も会わないでいれば驚くほど成長しているものだ、という故事だが、その伝でいけば、「オヤジ10年近くも経てば目もあてられなくなるほど劣化する」とでも言おうか。このたびも、子どもたちの助けがなければ到底でき得なかった。
そんなヘタレの師匠かつリーダーにもかかわらず、しっかりとそれぞれの役目を果たしてサポートしてくれた子どもたちとその父兄、そして苦楽をともにしてきたチームメイトのおばさんたちに、なにはさておき感謝、そしてありがとう、なのである。
そうそうそういえば、わが孫5歳と2歳が晴れてメンバーの一員として参加(というにはまだまだおこがましいこと甚だしいが)、いつもに増してヤル気まんまんな爺さんだった。
そんな中岡慎太郎マラソン大会も来年で10年。ウソかホントかしらないが、「10年」という区切りの大会をもって終了、なんて話をまことしやかに語る人が複数いた。繰り返すが、わたしにはウソかホントかわからない。風評にすぎないかもしれない。その前提で言わせてもらえば、こういう類の催しは、やめたらそれでゲームセットだ。なにをさておいてもつづけなければならない。
来年また、3時間におよぶ長丁場を叩きつづけることができるかどうか判然としない太鼓屋風情がエラそうに言うことではないかもしれないが、そう思う。
アンタたしかそう言ったよね。だったらボロボロになるまでやれよ、と言質をとられるかもしれないが、そう思う。
子どもたちの助けがなければできないジイさんだが、いやだからこそ、そう思う。
そういうもののなかに、「今という時代」のこの村にとって大切な何かが包含されているのではないかと、そう思う。
なにはともあれ、
ランナーの皆さんおつかれさまでした。
そして、
スタッフの皆さんおつかれさまでした。
ということで、ではまた来年。