散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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これが相撲というものならば

2019-11-21 22:58:08 | 日記
2019年11月21日(木)
 物心ついて以来、半世紀以上も相撲中継を見てきたが、令和元年11月場所12日目結びの一番、白鵬と遠藤の取組は記憶にある限り最悪かつ最凶のものだった。顔張り、肘打ち、また顔張り、相手の首から上をこづきまわし、血まみれで土俵に這わすのが横綱の流儀というものか。強いのはよくわかった、早々に相撲など卒業して異種格闘技にでも転じたが良かろう。
 プロスポーツは見るものの心を励まし楽します使命を負っている。勝つために品位も美学も顧みない凶暴の徒が最高位に君臨する凄惨の図など、誰が喜んで見たいものか。これをいっかな制することのできない相撲協会も重症である。
 この力士が映される限り、もう相撲中継は見ないと決めた。僕はそれでかまわないが、全国の幼い子どもたちがこれを相撲と思って育つなら災厄である。
 街中では年寄りに席を譲らぬスマホ・イヤホンの青年壮年、内外からは有為の人々の訃報 ー 木内みどりを惜しむこと人後に落ちないが、フォン・ヴァイツゼッカー元ドイツ大統領の子息が講演中に刺殺された事実を、も少しちゃんと報じてほしかった ー 苦い一日の終わりに清々しさを国技に求めた自分の愚かさを笑う。そんな時代ではないのである。

Ω


 

リュウドウグモ

2019-11-20 15:06:27 | 日記
2019年11月20日(水)
 「じゃあ、あの雲は何というの?」
 「・・・あれはリュウドウグモ」
 「リュウドウグモは、どういう雲?」
 「冬が近づいて空がきれいに澄みわたると、龍は嬉しくて、じっとしていられなくて、空の端から端まで一目散に駆けるのね。龍の吐いた息が、駆け抜けた跡に尾を引いて、それでこんなふうに見えるの。龍の道の雲と書いて、龍道雲。」
 「空を駆けると、龍は疲れる?」
 「疲れるよ」
 「疲れてはぁはぁする?」
 「はぁはぁするよ、その息が木枯らしになって、びゅうびゅう吹くの」
 「それから、どうなるの?」
 「龍は疲れたからお休みするのね。そうすると、龍のいびきがごおっ、ごおって吹雪になって」
 「雪が降るんだ」
 「雪が降るのさ」
 「今は昔みたいに雪が降らないって、おじいちゃんが言ったよ」
 「龍がいびきをかかなくなったんだね、お休みできなくなったのかな」
 「なんで龍、お休みできないのかな、うるさいからかな、うるさいと寝られないって、おじいちゃん言ってた」
 「じゃあ夜は静かにしようか」
 「龍がお休みできるように?」
 「おじいちゃんがお休みできるように」
 「そしたら雪がいっぱい降るね」
 「うん、きっと降る」
 

Ω

ナチュラリスト便り ~ 野菊無残

2019-11-19 19:19:54 | 日記
引き続きO君より:

2019年11月17日(日)
 1か月余りぶりにいつもの観察コースを少しだけ歩いた。濁流に流された草木が干し草の束のように木の枝にからまっている。ぬかるみは消え、泥に塗り固められた道を進んだ。白、紫、黄などの花の姿がなくなっている。道をさえぎるほどに咲いていた白い野菊も壊滅に近い。枯れた草はらで、懸命に命をつなぐ花たち。離れた場所ではヨシ、オギの穂がふくらみ白くなっている。木々は色づき、渡り鳥の姿も徐々に。深まる秋。 




Ω

ああ幻のヤッキッキ

2019-11-19 06:26:54 | 日記
2019年11月18日(月)
 ラジオ教材2回分に続いて、女性アナさんの主導で広報用のやりとりを収録。これも無事に終わって訊けばアナさん、島根県は松江市の出身という。そらきた!
 「内中原小学校に通ってたんだよ」
 と言ったら、のけぞって目をまん丸くした。私の学区はウチナカバラのお隣りの某小学校でと御披露あり、そうそうそれが正しい、ウチナカハラと言ったらよそ者だと分かっちゃうのだ。
 写生会はいつも松江城、国宝指定されて島根県民は嬉し涙を溢しました等々、しばし歓談の後ふと思い出して
 「ジャンケンポンね」
 「はい、ジャンケンポン?」
 「ヤッキッキって、今でも言う?」
 「言いません、聞いたことないです。」
 何と、やっぱりそうなのか。
 先月、出雲市出身の人と会う機会があって、訊いたらこの人も知らないという。出雲と松江は近くて遠いお隣さん、ヤッキッキは松江限定ってこともあろうかと思ったが、松江のしかも至近の人が知らないとなると、ウーン…
 ジャンケンポンはヤッキッキ、あいこでしょはオーラーキ、休み時間や放課後は必ず口にした言葉だもの、記憶違いのはずがない。
 現にネット上にもこの通り。
https://dictionary.goo.ne.jp/leaf/dialect/2548/m0u/ 

 アナさんのお年頃が僕には分からないが、大きく見積もれば30年以上の違いがあると、要するにそういうことか。それにしてもあれほど日常的に使われた基本語彙が、たかだか30年で雲散霧消するものかと無常の思いを禁じ得ない。市内でも地域によるかもしれません、今度妹に聞いてみます、とフォローしてくれるが、とてもそうとは思われない。
 そういえば「ヤッキの〇〇〇〇が破裂した」なんていう進化形もあったはずだが、まさか僕の妄想的創作ではないよな。

 ああ懐かしのヤッキッキ、僕は君を忘れないからね〜

Ω
 

三日

2019-11-17 11:19:57 | 日記
2019年11月17日(日)
 ヒゼキヤの物語、中高生達を相手につい話が長くなってしまった。
 与えられたのは列王記20章1-11節で、「日時計の影を十度戻す」という平清盛まがいの箇所だが、10代の彼らを見ているうちに連想はグレタ・トゥンベリの国連演説に飛んだ。
 ヒゼキヤがバビロンからの使者に対して、短慮にも国情をすべて明かす愚を犯し、これを受けてイザヤが王国滅亡を予言した時、ヒゼキヤは何と言ったか。
 「あなたの告げる主の言葉はありがたいものです」 ー 彼は、自分の在世中は平和と安定が続くのではないかと思っていた。(列王記下 20:19)
 グレタさんが世界の指導者を告発するのは、目の前にいる中高生達がこの自分を糾弾するに等しい。それに対してヒゼキヤと同じく返す言葉がないというのは、胃の腑に鉛の塊を抱える気分である。

 とはいえ、ここに不思議がある。(列王記下 20:5-9)

 「見よ、わたしはあなたをいやし、三日目にあなたは主の神殿に上れるだろう。」
 「わたしが三日目に主の神殿に上れることを示すしるしは何でしょうか。」

 そこで日時計の影の話になるのだが、問題は「三日目」である。新約で「三日目」といえばキリストの復活にかかる枕詞のようなもので、それ自体が復活の希望を暗示するキーになっている。ヒゼキヤの物語はそこから7世紀あまり遡るものだが、既に三日目が奇跡の生還の標徴として用いられている。むろん、旧約の中で準備されてきたシンボルを、福音書記者が正しく活用したというのが歴史的な順序であろうが、それはこの不思議の意義を少しも減じない。
 ヒゼキヤは15年の余命を与えられたが、結局は寿命尽きて死んだ。ならばここで与えられたのは15年分限定の恵みかと問うなら、「否」というのが裏の(=真の)メッセージである。この15年は、永遠を指し示す手付けの15年であったはずだ。
 三日目を望んで忍耐すること。怯え怒る船員らに三日の猶予を請うたコロンブスは、一日半後に陸地の影を目にすることになった。
 三日、三日、たったの三日。

Ω