2019年11月21日(木)
物心ついて以来、半世紀以上も相撲中継を見てきたが、令和元年11月場所12日目結びの一番、白鵬と遠藤の取組は記憶にある限り最悪かつ最凶のものだった。顔張り、肘打ち、また顔張り、相手の首から上をこづきまわし、血まみれで土俵に這わすのが横綱の流儀というものか。強いのはよくわかった、早々に相撲など卒業して異種格闘技にでも転じたが良かろう。
プロスポーツは見るものの心を励まし楽します使命を負っている。勝つために品位も美学も顧みない凶暴の徒が最高位に君臨する凄惨の図など、誰が喜んで見たいものか。これをいっかな制することのできない相撲協会も重症である。
この力士が映される限り、もう相撲中継は見ないと決めた。僕はそれでかまわないが、全国の幼い子どもたちがこれを相撲と思って育つなら災厄である。
街中では年寄りに席を譲らぬスマホ・イヤホンの青年壮年、内外からは有為の人々の訃報 ー 木内みどりを惜しむこと人後に落ちないが、フォン・ヴァイツゼッカー元ドイツ大統領の子息が講演中に刺殺された事実を、も少しちゃんと報じてほしかった ー 苦い一日の終わりに清々しさを国技に求めた自分の愚かさを笑う。そんな時代ではないのである。
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