散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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高冠陪輦 驅轂振纓 ~ 千字文 064

2014-05-14 08:20:26 | 日記
2014年5月14日(水)

◯ 高冠陪輦 驅轂振纓(コウカン・バイレン クコク・シンエイ)

 輦(レン)は、牛車に対して手で引く輿車(こしぐるま)のことで、中国ではもっぱら天子の乗るものなんだそうだ。
 轂(コク)はこしき、車輪の矢(リム)の集まるところ、つまりハブだ。琉球は東海の轂たるべしというところか。ここでは車輪そのものを指すのだと。
 纓(エイ)は冠の紐、これ知ってる!『漁父の辞』に「我が纓を洗うべし/我が足を洗うべし」とある、あの纓だ。

 重臣らは冠をそびやかして天子の車に同乗し、
 車を駆って冠の紐を揺らす。

 天子の冠は高さ7寸とある。首里城を回りながら、「王権の象徴としての冠は、中国にあって日本にない発想だね」とNさんと話した。琉球王室は言うまでもなく中国に自らを模している。
 振は車を駆ってアゴヒモが揺れるというのが普通の発想だが、天子と同乗の際にはきちんと結ぶのが礼というものなので、「振は整なり」と李注の御託宣である。

 教授会で居眠りするのは、学長先生に対して著しく礼を失しているかな。
 ゴメンナサイ・・・

両国で仕事/若者同士の本因坊戦

2014-05-14 06:54:14 | 日記
2014年5月13日(火)

 午前中、両国の某社でメンタルヘルス研修講義。日曜日に始まった夏場所の賑わいを背に感じながら、駅から南へ少々下る。関取衆の浴衣姿が小雨の歩道にちらほら混じる。
 土日、沖縄の面接授業は50名の受講者の9割が女性だったが、今日は30名ほどの出席者すべて男性。どっちがやりやすいかって?う~ん、どうかなあ。
 電気系の技術を身上とする企業らしく、本社会議室での講義を Web会議システムで主な支社に中継するという。開始早々、スピーカーから「すみません!」という大声が降ってきて話が中断された。「こちら浜松ですが、画面が全く見えません」という。なるほど、こういう具合か。
 「急ぎ対応します。画面に表示するのとまったく同じ内容を手許資料で配っていますので、とりあえずそちらを見てください」と本社担当者。
 あとはスムーズに進み、最後に2つほど当を得た質問も出て、気持ちよい90分だった。忙しいスケジュールの中で、メンタルヘルス研修を実施しようという姿勢そのものが、この会社の「予後良好」を示唆している。生産性の観点からもその方が有利なのは証明済みなのに、現実には「メンタル不良な社員など不要」という企業が少なくないものだ。
 終了後に懐かしそうにやってきた人の顔を見て、ハタと思い出した。6~7年も前に診療にあたり、「うつ」で半年ほど休んでもらった人だ。「8割運転」の助言を守ってその後は元気に過ごしているという。記憶の中の診察室の表情とは違い、日焼けして引き締まった様子が頼もしい。

 午後は大学で委員会。昨夜は沖縄から戻って今日の資料作りをしていたので、少々疲れが残っている。午後は雨が上がり、海浜幕張の宵の空に満願直前の月がくっきり浮かんだ。


2014年5月14日(水)

 1796年、ジェンナーが自分の息子に種痘を実施

 1971年、大鵬が引退を発表
 1991年、千代の富士が引退を発表

 1998年、フランク・シナトラ他界

・・・だそうだ。

 今年は今日から第69期本因坊戦挑戦手合いが始まる。若き第一人者・井山裕太に挑戦するのは、さらに若い満20歳の伊田篤志(いだ・あつし)、「気を吐いてほしい」と念願した中部総本部から疾風のように天狗が躍り出た。
 昨年あたり、一力遼(いちりき・りょう)が天才児と注目されたのをきっかけに、余正麒(よ・せいき)が本因坊戦に史上最年少でリーグ入り、同じ台湾出身の許家元(きょ・かげん)は入段以来36勝4敗の驚異的な成績を挙げ、今度は伊田である。どんな碁を打つのか、棋譜を見るのも初めてでわくわくする。
 対局地は上位者の地元中心と書いたが、緒戦は挑戦者の地元・三重県鈴鹿市である。以下、秋田(能代)・北海道(網走)・長崎(西海)・大阪(吹田)・三重(鳥羽)・静岡(河津町)と、現本因坊の地元は一局だけだ。番碁(タイトル戦)には広報的な意味もあるから全国展開は大いに結構だが、棋士は大変だ。タイトルを取るには体力や順応力も必要で、伊田篤志という棋士は井山裕太同様、こうした資質も備わっているらしい。事前インタビューでも気負う風がなく、これまで年長者相手にのびのび戦ってきた井山には、勝手の違う相手である。
 どっちも頑張れ!
 

面接授業@沖縄 ~ 移動日

2014-05-12 21:06:45 | 日記
2014年5月12日(月)

 帰京は午後の飛行機なので半日ある。どう使おうかと考えていたら、Nさんが半休とってつきあってくれることになった。まずは彼女の勤める県立S病院を訪問。250床前後、5病棟を擁する中規模の精神科病院で、昨今の建て替えラッシュに遅れて昔ながらのたたずまいを残している。医者になった頃の福島や大分の病院を思い出し、懐かしいものがあった。
 十数年前に昭島のクリニックで出会ったY先生と、思いがけない再会を果たした。あの時、沖縄以外ではめったにない苗字から直ちにある人物を連想し、不躾に尋ねてそれが正しかったことを知った。占領下の琉球行政府主席であり、復帰後初代知事を務めたY氏の御令孫だったのである。今も優しく穏やかな持ち味そのまま、患者さんたちのお世話をしていらっしゃるのが嬉しい。

 精神科病院の構造や雰囲気は、こうしてみると不思議なぐらい地域差のないものだ。ただ、藤棚のあるべきところにブーゲンビリアの棚があり、運動場の一角にケヤキやクスノキの代わりにガジュマルの大木がある、そんな違いがあるだけだ。この画一性が、たぶん何か大事なことを語っている。
 「Pが『余計なお世話』になるような、そんな時代になればいいんですけど。」
 昨夜、夕食の際のNさんの言葉を思い出し、あらためて共感する。Pとは精神科ソーシャル・ワーカーのことだが、精神科医に置き換えても同じことだ。精神科医が失業するような、そんな世の中になってほしい。

 
 屋良朝苗(1902-1997)

 病院から首里城へ。
 1977年に仲間二人と訪沖した際、守礼門までは確かに来たのに、なぜ内部を見なかったろうかと考えて思い出した。港を降りたところでタクシーの運転手に声をかけられ、一日いくらで手を打った。彼がたぶん、中に入ることを勧めなかったのである。那覇周辺だけでも見所は多い。一日で回ろうと思えば、ゆっくり一所に腰を据える時間がないと考えたのだろう。
 おかげで今日、世界遺産に登録された城の中を、教え子と巡ることになった。優美な城内で中国語や韓国語を聞きながらつくづく思うのは、沖縄が初めから当然に「日本」の一部であるなどと考えるなら、とんでもない「本土人」の思い上がりだということ。これは項を改めて書こう。
 絵はがきを1~2枚と思ったが、昨日感動したモノレール側からの全景を写したものがない。個々の建物ばかりなので買うのはやめた。世界遺産に指定されたのも城(ぐすく)群である通り、本当に素晴らしいのは空間的・時間的な全容なのである。

 安里駅の近くで軟骨ソーキそばを食べる。僕のはヨモギ入りの麺で、香り豊かで非常に美味しい。そこでNさんと別れて空港へ。
 東京に戻って、案の定げんなりした。言葉が汚いのを承知で書くが、電車の中も外もスマホバカとイヤホンバカで埋め尽くされている。この人らと一緒に地震に遭いたくないものだ。

 そろそろ限界かな。
  
 

面接授業@沖縄 ~ 第2日

2014-05-12 06:54:45 | 日記
2014年5月11日(日)

 沖縄は5月5日に入梅し、昨夜は大粒の雨がかなり激しく降った。今朝は強い陽ざしだが、雲は低くて速い。

 昨日センターで教わったように、「ゆいレール」を那覇空港とは反対の終点まで乗り、首里からタクシーを使うことにする。
 8時46分に旭橋で乗車して、県庁前・美栄橋・牧志・安里・おもろまち・古島・市立病院前・儀保を経て終点首里には9時5分。各駅に到着の際、それぞれ違った沖縄風のメロディーが車内放送で流れる。安里(あさと)駅だけ僕にも分かった、安里屋ユンタだ。あれは竹富島の古謡だよね、那覇に「安里」の地名のあるのは、どういう由来だろう?
 市立病院前から儀保(ぎぼ)にかかるあたりで、窓の向こうに首里の王城が姿を現し、一瞬息を呑んだ。えんじ色の優美な建物が丘の上で朝陽に輝き、足もとの平野を越えて大海に向けて挨拶を送る風情である。広い空のもと、層を重ねずゆったりと横に広がる建物が、和やかに美しい。実に美しい。

 駅前のタクシー乗り場で「琉大まで」と頼んでいると、旅行者が一人近づいてきた。「琉大へ行くんですか?」「そうです、御一緒しますか?」と話がすぐ決まる。明らかな関西訛り、こうして相乗りを気さくに申し入れてくるのも、東京人にはできない芸当である。大阪出身、現在は岡山の研究者で、この週末に琉球大学で工学関係の小学会があるのだそうだ。その間、奥さんと子どもさん達は沖縄観光とのこと。
 この人が先に降りるので、割り勘の都合上「放送大学までは、あといくらぐらい?」と訊くと、「ワンメーターかなあ」と運転手さん。工学部からとって返して放送大学のマークが見えてきたあたりで、いち早くメーターを止めた。「ワンメーターと言ったけど、少し上がりそうだからここで止めましょうね。」
 昨日も似たことがあった。「さっき2000円と言ったから、2000円で行きますよ」と言うのだ。実際は2420円、もちろんメーター通り取ってもらったが、こんなことは東京でも松山でもあり得ない。何と正直で温かな人たちだろう。

 面接授業は今日も食いつきよく、あっという間に一日を終えた。最後に自由討議の時間をとったら、どういうわけか「日本の男はなぜ最近、元気がないか」という話題になり、甲論乙駁おおいに盛りあがった。こんなの初めてだ。
 帰途は事務長さんが首里駅まで車で送ってくれる。
「本土、という言葉が適切かどうかわかりませんが」と後部座席から。
「本土の人間は、沖縄の人々に大きな借りがあると思っています。」
「ありがとうございます、そういう風に言ってくださる人は、あまりおられないので。」

 なぜだろう?
 おまえ口ばっかりだ、そう思うなら、それに見合ったどんな行動をとっているかと訊かれたら立ち往生する。そこが弱いところだけれど、言葉のレベルでは疑いも何もありようがない。明治時代の「琉球処分」からこっち、返すアテもないほど借りが積もっているではないか。
 事務長さんの言うには、最近では米軍の羽振りも往事には遠く及ばず、沖縄の経済に対する寄与は5%かそこらなのだそうだ。結構なことだ。
 沖縄は東南アジアに向けて素晴らしい位置取りにある。物流や観光にそれを生かせれば、ハブ(ヘビではない)拠点として大きな発展が期待できる。それだけに最近の中国には困ったものだと事務長さん。
「歴史的なこともありますから、私、中国は嫌いじゃなかったんですが、こんなふうだと・・・」
 と苦笑で言葉尻を濁した。平和が発展の前提条件なのである。

 首里からまた「ゆいレール」で移動、桜美林卒業生のNさんと牧志(まきし)駅で待ち合わせる。国際通り沿いの、大きなシーサーが睨みをきかす街角である。
 
(香港から来たという母娘と、お互いに写真を撮りっこした。)

面接授業@沖縄 ~ 第1日

2014-05-10 23:54:10 | 日記
2014年5月10日(土)

 問題というのは、バスの時刻表のことだ。
 モノレール駅近くのきれいなホテルで、フロントの若い男女二人が外国人観光客(中国語が多い)にソツなく対応している。
 これなら大丈夫と安心して、「明朝、琉大に行きたいのだけれど、最新の時刻表はありますか?」と訊いたら途端に会話が滞った。分厚い冊子を開けたり閉じたり、手元のPCからインターネット検索したり、見かねた女性の方が横から割って入った。
 「沖縄のバスの時刻表が非常にわかりにくいうえ、急な変更も多く、当てにならない状態なのです。たいへん申し訳ありませんが、ターミナルにお越しになって確認なさるのがいちばんかと思います」と、気の毒そうに言う。
 お越しになって、って、そうなの?う~ん・・・
 まあいいや、幸いホテルの目の前が那覇市のバスターミナルだ、少し早めにいけば大丈夫だろうとタカを括って寝た。「少し早めに」ターミナルに着いたのが8時22分、4番ホームからの97番線琉大行きは20分に出たばかり、次は8時55分である。やられた!
 それでも間には合うのだろうが、初日は何かと気忙しい。少考一決、表通りに出て客を降ろしたばかりのタクシーを呼び止めた。流大までは20分あまり、2000円ぐらいかなという、仕方ないやとそのまま乗り込む。
 この白髪の運転手さんがなかなか話し好きで、25分ほどの間に一代記を語ってくれた。後刻あらためて書き留めておこう。これならタクシー代は惜しくない、かえってトクした。

***

 面接授業は50名登録で45名ほどの出席、40名は女性だろうか。皆、食いつきよく熱心である。いかにも沖縄らしい姓を読み上げつつ、出席点呼が楽しい。
 休憩時間にお隣で面接授業をやっていらっしゃるO先生と歓談、「ニライ・カナイは他界ではなく、むしろ異界」と教わったのは苦い収穫、『死生学入門』の解説、調べ不足だったかも知れない。
 夜は所長のG先生がお宅経由で那覇までお連れくださり、八重山料理の店で振る舞ってくださった。「豊見城(とみぐすく)」問題、G先生のお住まいのこと、お店のこと、それぞれ後述する。

 ああ疲れた、いい疲れだけれど、かなり疲れた。