散日拾遺

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アドリア海とハドリアヌス/少々早い聖霊降臨

2014-05-06 15:35:48 | 日記
2014年5月6日(火)

 一昨日の日曜日のこと:

 聖書朗読を聞いていてふとひっかかった。

 「14日目の夜になったとき、わたしたちはアドリア海を漂流していた。」
 使徒言行録も大詰め27章27節で、ローマに護送されるパウロ一行が粒々辛苦の末、目ざすイタリアに近づきつつあるところ。何がひっかかったかというと、

 「アドリア海」(Mar Adriatico)の名は「ハドリアヌスの海」という意味をもっていなかったっけ?
 ローマ帝国14代皇帝(在位117-138)ハドリアヌス(Publius Aelius Trajanus Hadrianus)は五賢帝の3人目、先代のトラヤヌスがローマ帝国の最大版図を実現したのに対し、これを引き締めて守りを固めたことで知られる。ハドリアヌスの長城はその一象徴で、万里の長城のヨーロッパ版だが、ただし後者に比べればまるでオモチャのようなものである。ともかく、彼の治世においてイベリア半島とバルカン半島に囲まれた水域が帝国の内海として定着したことから、これをハドリアヌスの海(Mare Hadriaticum)と呼ぶようになったと思っていた。
 ルカの時代に既に「アドリア海」の名称があったのか、というところに耳が反応して目が覚めたのだ。

 調べてみれば、僕の理解不足というか思い込みだったらしい。「アドリア海」の名称の由来は皇帝ハドリアヌスより数百年も古く、エトルリアの植民活動に由来する。英語版の Wiki に以下のようにある。

 The origins of the name Adriatic are linked to the Etruscan settlement of Adria, which probably derives its name from the Illyrian adur meaning water or sea. In classical antiquity, the sea was known as Mare Adriaticum (Mare Hadriaticum, also sometimes simplified to Adria) or, less frequently, as Mare Superum, "[the] upper sea".

 そうなると逆に「ハドリアヌス」という皇帝の名の由来のほうが問題だ。この皇帝が文中にある Adria の出身なら話が早いが、そういうことでもないらしく、ローマもしくはイタリカ(セビーリャ近くのイスパニアの町)の生まれとされている。Adria(Hadria)は現在のイタリア地図でペスカラ(Pescara)という町のあたりに存在したとされ、ハドリアヌスとこの地域の関連を示唆する材料は特にない。とりあえず、「分からない」としておくほかない。

 分かっているのは、出自においてでなく事蹟において、この皇帝がこの海とつながってくるということだ。海は昔から、アドリア海(ハドリア海)と呼ばれていた。奇しくも名を共有する皇帝ハドリアヌスが現われ、その治世にこの海がローマに属することが確実になり、二重の意味で「ハドリアヌスの海」になったのである。

 時にハドリアヌスは、『テルマエ・ロマエ』にも登場しているね。五賢帝の中では、最もスキャンダラスな一面があったようだ。それから、現在はトルコのエディルネとなっているアドリアノープルは、正真正銘ハドリアヌスの町 Hadrianopolis だった。

  

*****

 話が前後するが、この日曜の朝はJCと保護者科をハシゴで担当した。JCは少々前倒しで、五旬祭(ペンテコステ)聖霊降臨の物語、暦の上では今年6月8日に充てられるできごとである。

☆ 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。(使徒言行録 2章1~4節)

 何度読んでも不可思議な場面で、わくわくしてくる。さて、どう話そうかなと土曜の晩に思案しながら、ちょっとズルをして教案誌を見ると、どこかの先生の中高生向けの説教案に、こんなふうに書かれている。

 「一つ忠告をしますと、この体験談を頭の中でビジュアル化するのは禁物です。」

 は・・・?

 「せっかく言葉で描かれていることを、あえて皆、見えるものに置き換えるのは賢いやり方ではありません。」

 ・・・

 「言葉には映像で表せないことを伝えられる醍醐味があります。風が神の息吹であり、炎が灼熱の清めであり、舌が言葉を紡ぐための器官であることに気づくならば、一体何が起こったのかは、自ずと知れてくるのではないでしょうか。」

 ・・・
 
 せっかくのご忠告ではあるけれど、僕にはてんで分からない。
 映像(=イメージ)を捨象して「神の息吹」とか「灼熱の清め」とか「言葉を紡ぐ器官」とか威勢のいい言葉を羅列されても、まるで理解できないし「自ずと知れて」きたりもしない。がらんどうの割れ鐘のようなものだ。そもそもこれらの言葉は、いずれも高度にイメージ的なもので、五感を総動員しなければ animate できないではないか。

 この先生は、たぶん今日の過剰な「ビジュアル化」の中で、特に若い人々がじっくり言葉と取り組むことをせず、意味を問うこともしなくなっている風潮を憂慮しておられるのだろう。だからといって「映像化」一般を禁じ、視覚的なイメージをそぎ落とした骨と皮ばかりの「言葉」で理解せよとは、無茶というものだ。

 僕らはイメージで考える。言葉もまたイメージの象徴として、あるいはイメージを喚起するきっかけとして働くのである。ギリシア語の λογος ~ 初めにあったもの(ヨハネ福音書) ~ はそうした喚起力を豊かに備えた「イメージのイメージ the image of images」であって、禁欲によってやせ細った文字面のことではない。

***

 話が逆だ。思い切りビジュアライズしてみたら良いのである。
 そうすれば、それ(視覚化)が不可能であることが「自ずと知れ」る。
 ペンテコステの出来事をビジュアル化することなど、できはしない。できないことを禁じる必要はない。なぜできないかといえば、そもそもこのくだりではルカのテキスト自体が言葉の限界を露呈しているからである。
「炎のような舌 γλωσσαι ωσει πυρος」って、何だろう?
「舌の形をした炎」なら分かるんだがと、いつも思っていた。しかしテクストが記すのは「炎のような舌」だ。単純な倒置が、端的に理解を拒絶する。
「炎のような舌」って、絵に描けますか?
 描けはしない。そこがミソなのである。
 使徒言行録の筆者が、強い歴史的関心と医者らしい観察眼を身上とする、理知的な美文家ルカであることも考え合わせたい。そのルカが、「炎のような舌」という不完全で「舌足らずな」言葉に事態の核心を託している。この表現は視覚化不能・解釈不能だ。それは弟子たちが体験し、ルカの受けとった事件/体験が、日常言語の射程をはるかに超えるものだったからだ。
 読んでもわけが分からないのは、わけが分からないことを彼らが体験したからで、わけも分からず立ち尽くすことが、ここでの正しい読み方なのである。そのはずだ。「聖霊」という神が地上に顕現したのだ。整然と書けたらそのほうがおかしい。
 くどいようだが、ビジュアライズしようとしてみれば、そのことは簡単に分かる。何が不安で、ことさら視覚化の試みそのものを目の敵にするのだろう?

***

 ルカの言葉の舌足らずであることは、統合失調症の急性期の混乱について患者自身の「記録」が書かれ得ない事情と通底している。整然とした言語で言い表すことが到底できない、そういう体験は、ヒロシマ・ナガサキからツナミに至るまで、実は数多く起きている。それを僕らは極限状況と呼ぶ。
 もうひとつ、生まれつき全盲の人々もちゃんと視覚的イメージをもっていて、夜眠れば夢を見るということを思いたい。考えるとはイメージすることであり、イメージする作業に視覚的なアナロジーは必須である。それは肉体の視力をもたず、生来もったことのない人々にも共有される、ヒトの本質的な力なのだ。アニメ世代に限られた話ではない。
 そのイメージの作業がどう頑張っても通用しない、とてつもないできごとが起きた、そのことをルカは正しくも伝えている。

***

 同種の混乱の箇所を、聖書からもうひとつ拾っておく。
 こちらも謎めいており、そこに描かれた人々ばかりでなく、報告し記録する者、従って証言する者も、同様に混乱している。彼らが体験したのは、すべての鍵である「復活」についての証言だった。これまた神の顕現という超日常に関わることである。

☆ 婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。(マルコ福音書 16:8)