散日拾遺

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あることないこと/散らす/均霑化 ~ 最近のコトバ体験から

2017-09-22 07:56:04 | 日記

2017年9月22日(金)

 「さわり」だの「知恵熱」だの、本来は誤った日本語の用例が多数派になりつつあることが新聞・TVのネタになっていたが、これだけ報道されること自体が修正圧力になるのではないかと面白く見ている。「情けは人のためならず」は歴史的に有名な例のように記憶するが、今調査したら正答率はどのぐらいになるだろうか。チョー若い読者のために解説すれば、「情けをかければ、いずれ自分も報われる時がある」という本来の意味が、「甘やかすと相手のためにならない」という意味に誤解されているとの報告があって、ある年の話題になったのである。同情や親切に消極的な「最近の」世相を反映するものとしてずいぶん引き合いに出されたものだ。ぐるっと回って今は案外知られている、なんてこともないのだろうか。以上は前振りで。

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 「保育に欠ける」という言葉を恥ずかしながら僕はまったく知らず、M保健師が怒りをこめて教えてくれた。児童福祉法39条で使われた文言で、保育士試験のための情報サイトにこんなふうにまとめてある。

旧: 保育所は、「日日保護者の委託を受けて、保育に欠けるその乳児または幼児を保育することを目的とする施設」であり、「特に必要があるときは、日日保護者の委託を受けて、保育に欠けるその他の児童を保育することができる」

新: 保育所は、「保育を必要とする乳児・幼児を日々保護者の下から通わせて保育を行うことを目的とする施設(利用定員が20人以上であるものに限り、幼保連携型認定こども園を除く。)であり、「特に必要があるときは、保育を必要とするその他の児童を日々保護者の下から通わせて保育することができる」

 児童福祉法が改正され2015年4月1日から新法が施行されたというのがポイントで、M保健師は旧法の下で二人のお子さんを保育所に通わせた経験から語ったのだ。「保育に欠ける」という要件をめぐり、役所と押し問答もしたらしい。気にならない人には「ん?」ぐらいの話からもしれないが、普通に読めばずいぶんな表現である。「配慮に欠ける」「思いやりに欠ける」「良識に欠ける」「保育に欠ける」・・・ん?

 どんな沿革があってこういう表現になったのか知らないが、おおかた児童福祉法制定時の社会通念を反映したものではあるのだろう。昭和22年といえば戦後の混乱期で、夥しい数の戦災孤児が存在した時代である。当時とは保育をとりまく環境も違えば、日本語のあり方も変わったが、法律の文言は据え置かれてここまで来た。法律用語はそんなものさと言ってすましていいものか、インターネット上には一部の不心得なユーザーに対する非難の文脈で、「保育に欠けるという自覚がない」といった表現も見られている。こうした投稿者はある意味で言葉を適切に使っており、言葉の威力が敵対的な構図をいっそう尖鋭にする。

 「保育を必要とする」が現行法の表現である。

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 先日のこと、ある患者さんのことで職場の人事担当者と電話で連絡をとり、本人の了解を得てかなり詳しく情報提供した。「事情が事情なので、あることないことすっかりお伝えしました」と口走り、あれ?と思うより早く電話の向こうが笑い出した。

 「先生、そら困ります、あることあることでしょ?」

 相手はコテコテの大阪弁で、間髪入れず突っ込むのも彼の地の流儀である。僕はこれ、嫌いじゃないのね。御賢察通り、「あらいざらい」というつもりが「あることないこと」に化けたのだ。それとも無意識の錯誤で、「ないこと」も盛っちゃったのかな・・・

 ついでに、ここ一、二ヶ月のコトバ体験から。

【教唆】

 職場で回ってきた文書の末尾に、「追加の御説明などありましたら、よろしく御教唆ください」とあってギョッとした。

 教唆とは「おだててそそのかすこと」で、法律用語なら「犯罪を行おうと思うように他人に仕向けること」を意味する。(岩波国語辞典)「教唆扇動」などと使うわけだ。

 書いた人は単純に指が間違えたか、「教示」と「示唆」から何となく造語してしまったか、どちらかであろう。「指摘しないと御本人の恥になりますが」「いやいや、大人の対応でお願いします」と温厚な先輩に諭され、見なかったことにした。

【散らす】

 「書は若い頃にずいぶんやったので、80の手習いで再開してみたいのですが、教えてくださる方が近所にはなくて」

 「きちんと教わるのでなくとも、まずは御自身で楽しみに筆をおとりになってみたら?」

 「はあ、それでは少し、和歌でも散らしてみましょうかしら」

 何と雅なこと、和歌を「散らす」という言葉に目を見張った。書道で一般に使われる表現かどうか分からないが、「あたくしの先生は、こういう時には『散らす』という言葉を使っていらしたのです。決して『書く』とはおっしゃいませんでした。」

 掃き清められた石庭に、紅葉がはらはらと散って散らばる風景が目に浮かぶ。書き散らすのと散らすのと、喚起されるイメージがまるで違う不思議がある。

【均てん化】

 院生さんが報告の中でしきりに「均てん化」の語を使うので、どういう意味か、漢字はどういう字を当てるのかと訊ねると、「ネタ元は役所の文書なんですが、そこにこう書いてありましたので」と頭をかいている。ダメでしょ、自分で調べないと。

 そういう僕も知らなかったのでさっそく引いてみると・・・

 均霑化

 霑は「うるおう、うるおす」の意、従って均霑とは慈雨が万民を潤すごとく、平等に利益を得る/与えることとある。素晴らしい言葉ではないか。しかし霑を平仮名表記してしまったら、この素晴らしさは伝わらない。「キンテン化」と「均霑化」は同じではない。役所ももったいないことをするもので、少々難しい言葉でも役所が使っているとなれば、すぐ皆が意味を知るだろうに。

 漢字で書けるものは、できるだけ漢字で書くのが後生への親切というものである。韓国の苦い経験に学ばざるべからず。

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