散日拾遺

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チェーホフの描く愛すべき人々

2017-09-24 22:28:06 | 日記

2017年9月24日(日)

 「お前の神、おれの神、やかましく言うの、金持ちだけね、貧乏人そんなことどうでもいいよ」

 「このおかみさんは「どの学生さんにもおっかさんがある」からと言って学生たちをたいそう可愛がってくれた。」

 こんな気もちが人々の間に浸透したら、どんなに暮らしやすい世の中になるだろう!

 いずれもチェーホフの短編に現れるフレーズで、折にふれて思い出しては温かい気もちになる。チェーホフの描く人物にはひとりひとり存在感があり、繰り返し思い出すうちに実在の知人・友人のように思われる対象が幾人もある。

 以前にも(何度か)触れた新潮文庫中の一冊、『退屈な話』『グーセフ』『決闘』『黒衣の僧』の4篇を集めた小笠原豊樹訳の逸品。残念ながら現在は絶版である。

***

 一同が場所のまわりをうろうろしたり乗りこんだりしている間、ケルバライは道ばたに立ち、両手を胸にあてて深々とお辞儀をしては、白い歯を見せるのだった。旦那方は風景を楽しみ、お茶を飲むために来たと思っていたので、なぜみんなが馬車に乗りこむのか、わけが分からなかったのである。一同の沈黙のうちに馬車の列は動き出し、居酒屋のそばには補祭一人だけが残った。

 「店に入るね、お茶飲むね」と、補祭はケルバライに言った。「私たべたいね」

 ケルバライはロシア語を上手に喋るのだが、補祭は、片言のロシア語のほうがダッタン人には通じやすいだろうと思ったのだった。

 「卵焼くね、チーズくれるね・・・」

 「どうぞ、どうぞ、お坊さま」と、ケルバライはお辞儀をしながら言った。「なんでも差し上げるね、チーズあるよ、葡萄酒あるよ、好きなもの食べるよろしね」

 「ダッタン語で、神さまは?」と、店に入りながら補祭は尋ねた。

 「あんたの神様、私の神様、同じね」と、質問の意味が分からずにケルバライは言った。「だれの神様も同じ、人間違うだけね。ある人ロシア人、ある人トルコ人、ある人イギリス人、いろんな人いるが、神様一つね」

 「なるほど、もしすべての民族が唯一の神を拝むのなら、きみたち回教徒がキリスト教徒を永遠の敵と見るのはなぜだ」

 「なぜ見るか」と、ケルバライは両手を胸にあてて言った。「あんた坊さま、私回教徒、あんた食べたい言うね、私差し上げるね・・・お前の神、おれの神、やかましく言うの、金持ちだけね、貧乏人そんなことどうでもいいよ、どうぞ、食べなさい」

『決闘』P.268-9

***

 十時十五分前になると、講義をするために愛すべき悪童どもの所へ行かなければならない。私は着替えをすませ、もう三十年も前からよく知っている街路、私には思い出の深い街路を歩いて行く。まず薬局のある灰色の大きな建物。ここは昔小さな建物が立っていて、その中にビヤホールがあった。そのビヤホールで私は学位論文の構想を練り、ワーリャに最初の恋文を書いたのだった。≪Historia morbi≫(病歴)という文字の刷り込んである紙に鉛筆で書いたのである。次に食料品店。昔ここの主人はユダヤ人で、つけで私に煙草を売ってくれたが、その後、太ったおかみさんが店番をするようになり、このおかみさんは「どの学生さんにもおっかさんがある」からと言って学生たちをたいそう可愛がってくれた。現在は赤毛の商人が座っているが、これは何事にも無関心な男で、銅の湯沸(サモワール)からじかに茶を飲んでいる。

『退屈な話』 P.15-6

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