散日拾遺

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朝のクイズ: 問題篇

2017-09-12 08:54:45 | 日記

2017年9月12日(火)

 「利己的」で思い出した小ネタ。

 男の子が池に落ちた。ちょうど三人の大人が通りかかり、一人はバンドマン、一人は魚屋さん、一人は宇宙飛行士で、このうち二人がすぐ駆けつけて子どもを助け上げたが、一人は知らん顔して立ち去ってしまった。

 その一人は誰?

Ω


皇帝を滅ぼすわけにはいかない理由

2017-09-12 06:49:53 | 日記

2017年9月11日(月)

 「ニケタス殿、注意していただきたいのですが、ここがじつに微妙な点でして、おそらくこれを理解できるほどビザンツ人は繊細ではないかもしれないが、よろしいですか、皇帝に包囲されたときに身を守ることと、自ら率先して皇帝に戦いを挑むことは、別のことがらなのです。つまり、あなたのお父上があなたをベルトで叩いたら、あなたにはそれをお父上の手からとりあげる権利がありますが ~ それは自己防衛です ~ もしあなたが先にお父上に手を上げたら、それは父親殺しになります。神聖ローマ皇帝にたいして決定的に礼を失することになれば、イタリア諸都市を結びつけるすべがなくなるのです。おわかりですか、ニケタス殿、フリードリヒの軍を粉砕したばかりの彼らですが、依然として皇帝を唯一の君主として認めていたのです。別の言い方をすれば、皇帝を身近に置いておきたくはないが、かといって、彼がいなければ困るわけです。」

 「皇帝がいなければ、都市どうしが殺し合うことになり、しかもそれが正しいのか悪いのか、もはや判断がつかなくなるでしょう。なぜなら、善悪の基準とは、つまるところ、皇帝だからです」

『バウドリーノ』(上) P.321-2

***

 文中に出てくるフリードリヒは神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世、フリードリヒ・バルバロッサ(赤髭のフリードリヒ)と言った方が通りが良い。その治世は1152~90年、本朝の頼朝とちょうど重なる頃だ。この時代から、こうしたタフな国際政治を延々繰り返して地球上に広がったのがヨーロッパという奇態な集団で、僕らには「繊細を欠くビザンツ人」のほうがよほど分かりやすいかもしれない。こちらはこちらで、皇帝が倒されて代わるたびに先の皇帝は(少なくとも)目をえぐられるという、すさまじい世界だけれども。

 マキャベッリ(Niccolò Machiavelli, 1469-1527)がヨーロッパ人の政治思惟を理論化するのはほぼ300年後のことであるが、その中核となる体験は12世紀に既に出そろっている。高校世界史以来、訳が分からないばかりだった中世のイタリア/ヨーロッパ史が、いくらか身近になったように感じられる。

  Umberto Eco, 1932-2016

Ω