goo blog サービス終了のお知らせ 

散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

12歳の少年

2014-12-21 09:24:24 | 日記

2014年12月21日(日)

 「日本人は12歳の少年のようなものだ」

 ダグラス・マッカーサーが帰米後に言ったとされる言葉だが、たぶんアメリカ人はおおかた誰も知らず、日本では何かと言えば引き合いに出される。昨20日の「オピニオン」でも『永続敗戦論』の著者が劈頭に引用した。

 『永続敗戦論』は鋭いところを衝いた好著で、自分がぼんやり感じていたところを明晰に言語化してくれたことへの感謝と悔しさがあったりする。ただ、この言挙げの仕方はいただけない。そもそもマッカーサーの言い条が何としても気に入らない。

 立場を換えてみたらいい。数百万の犠牲者を出して完敗し、ワシントンDCもニューヨークも焼け野が原になり、サンフランシスコとサンディエゴに原爆を投下され、将軍たちは処刑され、国は主権を失い、国民は餓死の危険にさらされている、そんな状況に始まる数年間に、アメリカ人なら成熟した大人の態度を示せたと言うのか?

 まあ、そんなものだ。戦勝者の驕りと復讐心 ~ かつてフィリピンから撤退を余儀なくされ、"I shall return." (I will ではない!)とのたもうた、自己神格化傾向ありありの最高司令官、その人物が上空から見下したような(上からメセンというんですか、「目線」という言葉、断じて認めないので)侮蔑の言葉が「12歳少年」説である。これも勝者の余得で致し方ないが、それを日本人が嬉しそうに引用するのはどうなんでしょうね。

***

 とはいえ、まったく違った視点からこの屈辱的な評を活用することは、可能だし有意義なのだ。

 負けたにしても、もっと違った振る舞い方はできなかったか。勝者をして、侮るべからずと畏怖せしめるような敗者の道はなかったか。あるいは米さんなんぞに指摘されるまでもなく、明治維新以来自身が悩んできた近代国家/近代市民としての成熟の課題を、これを転機に解決する道があったのではないか。

 それができなかった。その意味で僕らは「12歳の少年」であった、あるいはそのように退行してしまった、そういう反省は可能だと思う。『永続敗戦論』が問うものも、そのような線上にあったのではないかと考えるし、「戦後69年を迎えたいまの日本人は、いったい何歳か」と問う論者の説には、確かにインパクトを感じるのだ。

 だからこそ、マッカーサーの言葉をそのまま自分の問として掲げる、劈頭の引用がいただけない。ちょっと「残念」である。

 


天元戦!

2014-12-21 08:26:22 | 日記

2014年12月20日(土)

 エラいことだ。

 

 11月25日の時点で六冠王井山は、王座戦で村川を、天元戦で高尾を、それぞれ2勝1敗と追いこんでいた。同一棋戦で井山が連敗するなど考えられず、六冠キープで今年を終えること間違いなしと、少なくとも僕は思った。

 ところが、

 12月 8日 王座戦第4局、村川 中押し勝ち (井山白番)

 12月11日 天元戦第4局、高尾 中押し勝ち (井山黒番)

 12月16日 王座戦第5局、村川 1目半勝ち (井山黒番)

 12月19日 天元戦第5局、高尾 中押し勝ち (井山黒番)

 黒星が4つ続き、2週間のうちに二冠を明け渡してしまった。年の暮れのちょっとした椿事である。まったく予想しなかったな・・・

 

 そうは言っても井山は強い。依然、史上二人目の大三冠を維持している。ただ、この流れは「井山には勝てない」という固定観念の縛りから、皆を自由にしただろう。「一強」が崩れるときはこういうもので、いつも菊池寛の『形』を思い出す。(名作だ!)

 もっとも、井山が「鎧」を替えたわけではなかったから、真っ向勝負で競り勝った二人がエラいのである。高尾は「重戦車」の異名通りの重厚な打ち回し、村川は2局続けて気合のコウ争いと、持ち味を活かして四つに組んだ好勝負の連続だった。

 相手が年長の高尾十段と、一年違いだが年少の村川七段であったのも意味深長で、ベテランにも後続にもチャンスがあることを示している。個人的には四天王の復帰を望みたいかな。

 井山: 棋聖・名人・本因坊・碁聖

 高尾: 十段・天元

 村川: 王座

 

 これにて越年、来年はますます面白いぞ~!!