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散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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わが名の誇り

2014-12-11 07:06:25 | 日記

2014年12月4日(木)

 ネットで情報を追っているうちに、妙なサイトに入りこんでしまった。中韓に対する読むに耐えない罵詈雑言が氾濫している。早々に退散しようと思ったとき、ふと目に止まった一行。

 「最近は、○原とか松○とかいう姓を見ると、在日かと疑うようになった。」

 へえ、そうなんだ。それよりもですね、

 「ついでに、名に昌の字が入ってれば確実。」

 ほほう、そうなんですか、これはなかなか興味深い。

 

 わが家の姓が石丸でなくて石原だったら、僕なんか「確実」ってわけだ。これからそういう筆名にしようかな。それでもって、「ヘイトスピーチは差別」との司法判断が最高裁で確定したのは喜ばしい、とか書いたりしてると、確実も太鼓判てことになるんだろう。石丸姓を名乗ってから僕で14代目だそうだけれど、「15代前に半島から来た隠れ在日」とか難癖つけられたら、証拠もないけど反論もできない。

 まあ、どっちだっていいよ。というか、まったく違う意味でどっちだって良くないんだが。

 

***

 

 昌の字については思い出がある。

 

 セントルイスでの3年間、ちょうど2年過ぎたところで最後の一年は変化を求め、タウンハウス(西洋長屋)から個宅に移った。アメリカでは不動産探しは概して楽だし、不動産屋もそこそこフレンドリーである。油断がならないのは自動車のセールスで、このあたり日米の違いが面白い。

 ちょうど日本に帰る留学生の家族があり、入れ替わりに入ることになって日も決まった。アメリカの家具はむやみに重いので業者も頼むとして、仲良しの手を借りて皆でやっちゃう楽しみは、学生時代には普通だったよね。今は学生でも業者を頼むんだろう。

 で、集まってくれたメンバーの中に、僕とほぼ同年輩の台湾人と韓国人が一人ずつ。台湾人は眼科医のドクター何(ホウ)、いつもにこにこ、おっとりした温顔の好青年で、僕と同じくワシントン大学に留学中。韓国人は商社に勤めるミスター韓(ハン)、これは教会で知り合って、「マサヒコ」「チャンスー」で呼び合っている。以前にちょっと書いたスンヒョンとはソウルの高校の同窓だそうだが、およそ争いごとを好まない自然人のスンヒョンと対照的に、勝ち気で上昇志向の強いコリアン・ビジネスマンである。それぞれの母国語に合わせて訛った英語で、楽しく作業が進んで昼休み。

 

 ドクター・ホウの岳父、林(リン)氏が娘一家のもとに滞在中で、立ち寄ってくださった。植民地時代を知る人で、少し昔の奥ゆかしい日本語を完璧に話される。リン氏を交えて歓談中、それぞれの名前は漢字でどう書くかが話題になった。

 ドクター・ホウのフルネームは何子昌、「か・ししょう」と読めるが台湾語では「ホウ・ツーツァン」といった発音になる。何しろ「昌」の字が共通である。

 「ほう!」とリン氏が相好を崩した。

 「あなたと子昌は、御縁があるねえ。」

 ツーツァンとは言わず、シショウと発音してくださったのが、いかにも優しい。

 いっぽう、チャンスーの方は漢字がすぐには分からない。これには驚いた。韓国人が公的な場面から漢字を排除してハングル一辺倒にしてから何年だろうか。ほぼ二千年におよぶ漢字文化をタテマエ上一掃したばかりでなく、ほんとうに頭の中から消してしまったのである。

 

 ここでのテーマではないけれど、僕はこの件、韓国人への親愛ゆえに心から憂慮している。たとえばの話、子どもの命名にあたって韓国にはかなり厳格なルールがあり、使える字に一定の制限があったはずだ。こうしたルールや制限は漢字ベースで規定されていたから、漢字を一掃するならば、この種のルールを廃止するか、さもなくば自分には読めない字の規則に従ってルールを維持しなければならない。どちらにしても大変な不便あるいは喪失である。今ならまだ戻れる。戻った方がいいよ、絶対に。

 ここで面白いというのは、僕の交際範囲の数家族で見る限り、夫達よりも妻達の方がはるかによく漢字を知っていたことだ。「保存している」といった方がいいかもしれない。公的イデオロギーに易々と取り込まれる男達に比べ、女達のほうがはるかに柔軟で腰が強い、その証拠を見る気がする。

 同時に、本朝の平安時代に女性達の手によって「かな」が大きく育まれたことを思うのだ。当初は「仮名」として裏の価値しかもたされたいなかった表音文字達が、やがて僕らの血肉になったのは女の力の功績である。その鏡像のように韓国では、短慮にも捨て去られようとするかつての表(おもて)文化を、女達が非公式に保存している、そんなふうに僕には見えた。

 

 本題に戻って、エリートビジネスマンのチャンスーは、驚くべきことに自分の名を漢字でどう書くのか知らない。知らないので、奥さんに訊くのである。「おい、僕の名前は漢字でどう書くんだったかな・・・」

 返ってきた答えが、「昌*」というのだった。スーの部分がどういう漢字だったか、20年近くを経て僕の方が忘れている。ともかく「チャン」は「昌」である。こうして三人並んだ。

 台湾人の昌(ツァン)

 韓国人の昌(チャン)

 日本人の昌(マサ)

 「ほう、ほう」とリン氏があらためて笑顔である。同文同種という言葉を思い出した。僕はこの字がいつでも気に入っていたけれど、名づけてくれた親にあらためて感謝を深めたものだ。

 ついでながらマサヒコは、台湾ならツァンイェン、韓国ではチャンオンと読まれることになる。何というか、面白いな。

 

***

 

 「どっちだってよくない」と書いたことについて、簡単に付記。

 何度も繰り返してきたように、「日本」「日本人」というのは他のあらゆる民族概念と同じく共同幻想による一種の虚構で、客観不変の実態ではなく、絶えず作り出され作り直されるものである。その絶えざる作り直しにおいて、渡来人たちはいつでも貴重な役割を果たしてきた。「純粋な日本人」など存在しない。ただ日本の良さを受け継ぎ発展させていこうとする真摯な姿勢こそが、そこに「純粋な日本人」を作り出す。

 万葉において日本人らしさの一原型を作り出している山上憶良が半島系であったことは、僕には何よりの励ましになる。横綱たちがモンゴル出身であることは少しも構わない。相撲道を正しく継承する者が本当の日本人なのだ。支えるDNAは流入し、混合され、それでこそ健やかさが保たれる。同系交配はスズムシでさえ3代が限界であること、忘年会でF先生に教わった。

 だから、けっして「どっちだってよくはない」のである。

 

 ついでながら、郷里の瀬戸内は古来、大陸や南方からの文化流入にさらされてきた。僕自身の祖先に大陸人・半島人・南方人があっても何の不思議もないし、皆無であったことの方が考えにくいかもしれない。医学生時代にマレーシアへ旅行したとき、僕は行く先々で中国人と間違えられた。しまいにはこちらから、「何人に見えるか?」と訊いてみたりしたが、そんな質問をすること自体、「日本人」という選択肢を排除する効果があったようである。何となくだけれど、先祖の中に中国南部から渡ってきた人々が混じっているような気がしてならないし、そう考えると楽しくなるのだ。

 配偶者の方は少し違っていて、彼女はセントルイス時代、韓国人の女性達からいきなり韓国語で話しかけられることが珍しくなかった。こちらも確認できる限り、代々「生粋の日本人」である。彼女の名前もそれを表している。