散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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映し出す ~ project/reflect

2014-06-02 23:40:46 | 日記
2014年6月2日(月)

 そうなんです、僕は精神分析学会の認定する精神療法家の資格を、結局取らなかったのだ。
 理屈上はこれからでも取れるんだが、別に要らないし欲しくもない。
 某所で5年間のプログラムを終え、学会発表もしたから、あとは論文をひとつ投稿するだけだったのだけれど、そこまできて何だかバカバカしくなってしまった。
 何がバカバカしいか、さしあたり言葉にしないでおく。そのうちにね。
 精神分析とか心理力動とかいうのは実に面白いもので、これが人の心や行動の機微を説明する力には驚くべきものがあるが、そのようにこじれた現実を修正する方向になかなか作用しないことが問題だ。そこまで書いたらもう、上の話にオチをつけたも同然だけれど。
 
 最近の難しい理論は、理解する能力もないし興味も湧かない。『自我と防衛』(アンナ・フロイト)のレベルで、単純なアタマには十分である。
「攻撃者との同一視(同一化) identification with the aggressor」あるいは単に「同一視(同一化) identification」などは、それが働いている気配を察知するだけでも、多くの不幸を回避できるはずだ。これはブログの中で何度か触れたかな。そう、その気なら確かに使える。
 そして僕がこれほど同一視を重視するのは、僕自身がこの機制にきわめて多くを負っているからだ。そうでない人間はいないだろうけれど。

 「投影 projection」も負けずに面白い。
 原語を生かして、いわゆるプロジェクターの働きになぞらえることが、いろんな場面で役立つようである。
 PC内部に格納されたイメージを外部のスクリーン上に映し出すことが投影だから、「投映」と書いてもあながち誤記ではなさそうだが、光と影のコントラストを含意して「投影」は意味深い訳語だ。
 あるいは影絵の連想も良いか。自分の内にある印や形はそれ自体見ることができないが、その影が大きく映し出されれば可視のものとなり、しかも自分の内にではなく外にあるもののように思われる。『ゲド戦記』の全体は、このカラクリをテーマとしていた。

 これは思弁的どころか、きわめて実践的な意義がある。
 半年ほど前からだろうか、ある統合失調症の患者さんに「人があなたを笑っているように感じられるのは、実際にはあなたの心の中にある『笑われたくない』という不安の投影なのだ」と伝えている。この人は、病勢が薬で抑えられてみればもともと知的水準の高い人でもあり、この助言を生活場面でよく活用して利益を得ている。統合失調症だから利いたというわけではないが、強いて言うなら統合失調症の患者さんにしばしば見られる、純粋なまでの素直さで助言を受け入れたことが、効果を高めているとは言えそうだ。

 その「投影」ということを、別の角度から考える機会が昨日あった。

 『わたしたちは神さまのもの ~ はじめてのカテキズム』
 問9 (わたしたち人間が)神さまにかたどって造られたとはどういうことですか。
 答え わたしたちは神さまの善さ、知恵、そして愛をうつしだすために造られたという意味です。

 この「うつしだす」を「投影」としてみたらどうだろう。神に内在する善きイメージの、外部への投影された映像が人の霊性であると考えたら・・・?
 残念ながら、ここの原語は project ではなく reflect だ。米国長老教会発行の原文は、ネット上で簡単に閲覧できる。

 "Belonging to God ~ A First Catechism"
Q9. What does it mean that we are made in God's image?
It means we are made to reflect God's goodness, wisdom and love.

 reflect は「反射、反映」であって、水に映った月の影がそれだから、「投影」のように内なるものを外に映し出すというよりは、超越的な光が外からわれわれを照らすという話である。教義上もそうでなくてはならないだろう、が・・・
 ここが信徒の気楽さで、公式教理を責任もって伝える立場でもなし、少々勝手に楽しませてもらっちゃおうか。(いつも、そんなんばっかりだが。)

 神が御自身の思いを詳らかに述べようとするとき、そのあまりの深さ複雑さゆえ、時として「投影」という操作が必要になる。そこで地球という惑星をスクリーンとして投影された神の思いが、すなわちわれわれ人間なのだとしたら?

 ちょっと嬉しくならないだろうか。

*****

 つくりぬしよ みすがた目にこそみえね
 つくられしものみなの うつしいだすみさかえに
 かしこみて ほめまつる
 (54年版讃美歌 71番)

聞き間違い/優勝請負人他界/本因坊戦が・・・

2014-06-02 12:11:46 | 日記
2014年6月2日(月)

 「尊い汗だ」
 「とうとうヤセた?」
・・・夕の聞き間違い

 「仲間がいたよ」
 「アタマが痛い?」
・・・朝の聞き間違い

***

 29日(木)、原貢(はら・みつぐ)氏が死去した。原辰徳氏の御父君である。
 僕の年代の野球ファンには有名な、「優勝請負人」の異名を取った高校・大学野球の名監督だった。

 1965(昭和40)年、三池工業を率いて初出場・初優勝、2年生エースの上田卓三は後に南海ホークスで活躍した。
 プロ通算で満塁ホームランを5本打たれたが、打たれた試合のチームの成績は4勝1分けの負け知らずで、「神がかりの珍記録」と称されたそうな。

 三池工業の快挙が僕の記憶にある最初の甲子園で、その後は年を追って思い出が増える。
 1966(昭和41)年、中京商が加藤・矢沢のバッテリーで春夏連覇を遂げるが、夏の決勝の相手は西本(西本三兄弟の長兄、巨人で活躍した西本聖は末弟)を擁する松山商だった。僕は無菌性髄膜炎で入院寸前というしんどい夏休みで、氷枕を抱えながらラジオ中継に涙した。
 1968(昭和43)年夏は50回記念大会、復帰前の沖縄から特別参加の興南高校が四強に残る活躍。決勝は興国(京都)対静岡商で、惜しくも敗れた静岡の一年生エース新浦は、後に高校中退して巨人に入った。彼が『巨人の星』のモデルかしらと、当時本気で思っていたものだ。
 1969(昭和44)年夏、御存じ三沢高校・松山商業の延長18回。剛腕の太田幸司から再試合でホームランを打ったのが、北条市出身の樋野(ひの)だった。
 
 で、話は原貢氏に戻り、1970(昭和45)年夏には東海大相模を全国優勝に導く。
 子息の辰則氏は74年に同校入学。息子を特別扱いしない、というよりも真っ先に鉄拳を飛ばすという意味で特別扱いする父親が監督で、息子も苦労があっただろう。僚友の強打者・津末(後に日本ハム)、左腕から大きなカーブが身上の村中(高校野球指導者・東海大甲府で夏四強)など、好選手をそろえた強いチームだったが、残念ながらこの時期には優勝がない。1975(昭和50)年春の準優勝が最高で決勝の相手は高知高校、原と同じ三塁には、後にヤクルトに入るスラッガー杉村がいた。
 74年夏、僕は高校三年だったが予備校の夏期講習には行かず、3人の級友と高校の教室を借りるなどして自主勉強に励んでいた。その最終日、夕方から友人宅で「打ち上げ」のさなかにテレビを点けたら、甲子園は照明に灯が入り、鹿児島実業の定岡正二投手(後に巨人)と東海大相模打線が死闘を演じていた。

 キリがないけれど、要するに辰則氏は僕らの同世代で、原貢氏はいわば拡張された「親父」のようなものである。そのことが言いたかったのだ。
 冥福を祈る。

***

 本因坊戦が始まり、2局終わったんだが・・・
 面白くない。

 立ち上がりからいきなり戦いが始まり、それが盤面全体へ波及して最後は一方がツブレて終わり。
 中韓勢の台頭以来これが多くなり、勝ち負けを競うゲームで結果を出しているんだから仕方がない。日本でも、若手の有望棋士は自ずと力戦の雄が多く、これから日本・台湾勢の巻き返しが始まるだろうと、それはそれでいいんですが。

 僕には面白くない。これだったら、碁は大して面白いゲームではない。
 ひどく大味、っていうことかな、うまく言えないが。

 で、どうするかというと、気に入った棋譜を引っ張り出して並べてみたりする。
 2006年の第31期名人戦は、高尾紳路挑戦者が4勝2敗で張栩(ちょう・う)からタイトルを奪取。
 翌07年の第32期名人戦は、逆に張栩挑戦者が4勝3敗でこれを取り戻した。

 これが、どの一局もすごいんだよ。
 古みがかってきた当時の切り抜きを、めくっては胸躍らせる。
 こうでなくっちゃ。