散日拾遺

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しまなみ一望/心の視力 in 『百年の孤独』

2014-06-22 08:43:15 | 日記
2014年6月21日(土)

 日中のフライト、梅雨の雲海をかき分けていくので眺めは期待していなかったが、切れ切れの雲が遅く速く飛び過ぎていくのを見上げ見おろすのは、実は飽きないものだ。
 上がりきったと思う間もなく降下が始まり、雲の下に出たところで眼下に「しまなみ海道」が開けた。いきなり多々羅大橋である。海道中、最も長く、最も美しく、大三島と生口島を結んで愛媛・広島の県境にもなっている。中央径間長890mは完成当時、斜張橋として世界最長だった。現在では中国江蘇省の蘇通長江公路大橋(1,088m)に次いで二番目だという。
 斜張橋は何しろ美しいのである。遠見に綱の幾何学的な配列が優雅であり、走る車の中から見上げるとSF的な眩暈を催すようだ。堅牢で信頼性の高い工法だが、精密な計算に基づく高度の技術を要するという。古来、白砂青松というところ、青い海の中の白い橋が新たなコントラストになっている。
 

 大三島の手前が伯方島、さらに大島へ、道はこんなふうに伸びているのか。
 日頃自分のやっていることを、こうして頭上数kmから随時に俯瞰できたらいいのにな。
 
 前にも書いたが、芸予諸島は海の中に島々が浮かんでいると言うより、もともと本四を太く結んでいた陸地に無数の水路が開けたようなもので、水面より地面の占める面積のほうが大きい。そのことが手に取るようによく分かる。

 15分遅れて到着。警官がひとり、ピックアップゾーンで目を光らせていて、拾ってもらうのに少し手間取った。
 夕方さっそく庭の草刈り、2日前に注文しておいた回転刃の電動草刈り機がまずまず使えて安心する。何で10年前にこれを考えなかったと、後悔しきり。
 まもなく本降りになってきたので、中へ移ってリビング掃除。土間の上がり口を雑巾がけしていたら、手にビリッと来た。ネズミが電気のコードを囓って被覆がところどころ破れている。囓るネズミもビリッと来たはずだが、平気なのかな・・・

***

 出てくる前にMさんと「バックドロッパー」の件でやりとりあり。
 移動中は『百年の孤独』を読みながら来た。単行本、細かい活字で300ページほどの大作だが、珍しく飽きるということがない。240ページあたりまで来て、残り少なくなっていくのが惜しいぐらいだ。
 ある一族の百年史のようなもので、誰が主人公とは特定しにくい作りになっているが、ウルスラという名の女性は全体を貫く生き証人というか太母というか、不可欠の人物である。
 このウルスラが超高齢に及んで「そこひ」のために視力を失っていく。老いの宿命だが、そのパフォーマンスは落ちるどころか研ぎ澄まされていく。衰える視力を補うために、嗅覚が非常に役に立つことを彼女は学ぶ。記憶力も頼りになる。そして何より、目が見えなくなるにつれて彼女の洞察はいよいよ鋭くなる。
 そのようにしてこの超・老女は、家族のなくした物を誰よりも早く見つけ、孫娘の秘め事に誰よりも早く気づく。目からウロコというのか、痛快というのか、これだから小説読むのはやめられない。
 僕も実は左眼に「そこひ」があるが、これは遠近両用の眼内レンズを入れてもらい、おかげでかえって老眼鏡要らずになった。以来、老眼をかこつ人には「白内障になるといいですよ」と勧めたりする。しかしこれは、事の半面でしかない。
 肉体の視力が時の容赦ない力によって衰えていくとき、これに逞しく適応していく中で、心の目と魂の視力を養うということがあったのだ。そうすれば少しずつ、Mさんの境地に近づいていくことができるかもしれない。