今朝の北陸中日さんの記事からご紹介致します。
江戸時代は前田藩によって奥能登(珠洲・輪島地方)で揚げ浜式塩田で塩を造ることが奨励され
守られておりましたが、明治時代になって奨励保護が無くなり、塩田業が出来なくなりました。
その時上戸村で医師をしていた藻寄行蔵が時の七尾県に掛け合い、明治政府から資金を借りて
塩田業者に貸し、塩田業が続けられる様に指導育成致しました。もし藻寄行蔵がいながったら
今日の揚げ浜塩田はどうなっていたか?
江戸時代は前田藩によって奥能登(珠洲・輪島地方)で揚げ浜式塩田で塩を造ることが奨励され
守られておりましたが、明治時代になって奨励保護が無くなり、塩田業が出来なくなりました。
その時上戸村で医師をしていた藻寄行蔵が時の七尾県に掛け合い、明治政府から資金を借りて
塩田業者に貸し、塩田業が続けられる様に指導育成致しました。もし藻寄行蔵がいながったら
今日の揚げ浜塩田はどうなっていたか?