本屋親父のつぶやき

珠洲の本屋親父が読んだ良書の紹介や近況報告

本屋親父のつぶやき 9月 2日 読書会の「誠」について考える

2012年09月02日 18時26分08秒 | Weblog
 「自分が道を開くのだ」というような一切の野心やはからいが消え去って、

わが身わが心の一切を、現在自分が当面しているつとめに向かって捧げ切る「誠」

によってのみ、開かれる。

精神がこもるとは、生命がこもるということであり、生命の全充実に至って、初めて

そこに、おのずからなる一道が開かれるというものです。

誠はまた綱渡りに喩えることも出来ます。そもそも綱渡りというものは、決して中途で

とどまることの出来ないものであります。つまり向こう側にたどり着くまでは、どう

しても常に進まねばならぬのです。同時に綱渡りで向こう側にたどり着いて「やれや

れ」とホッとするのは、これ現実の人生で申したら死ぬ時です。

 すなわちわれわれが、この肉体の束縛から解放された時、それが綱渡りの終了した

時です。すなわち生きている間は、一瞬の油断もなく進みに進まねばならぬのです。

これが真実の生活というものであり、すなわちまた誠に外ならぬわけであります。

実際、誠と言うことほど、言うはやすくして、その実行の困難なことはないでしょう。

読書「終身教授録 森 信三 著 致知出版 第36講 誠  より



最後まで読んでくださいまして誠にありがとうございます。

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