第8回ラテンビート映画祭にて観賞。
今年のLBFF上映作品で最も短い87分の上映時間。
いや、けっしてそんな理由で選んだわけではありませんからね・・・たぶん。
映画祭で観る作品の選択って、基本的には個人的趣味が最優先されるけど、
そこにはスケジュールの都合とか、前評判とか、いろいろな要素が入り乱れ、
観たい作品が観られなかったり、「ついで」で観た作品が望外にハマったり。
本作は「2011年ベルリン国際映画祭テディ賞」受賞らしく、
権威に弱い私としては、そうした多少なりとも「お墨付き」のある作品に食指が反応。
ただ、ずっと仄かに疑問だったんだけど、「テディ賞」ってベルリン出品作のなかで
同性愛がテーマの作品群から選出される賞らしいから、もし対象作品が1作とかでも
送られたりするのかなぁ・・・などという素朴な疑問。というか、毎年全体で何本くらいの
対象になる作品があるのかなぁ・・・とか。例えば、日本でそういった「賞」があったとして、
対象となる作品ってどのくらいあるのかなぁ、などと考えてみたりすると、
そもそも「土壌」が違うんだろうね。海外の映画賞とかみてると、同性愛関連は勿論、
黒人系の賞やらフェミニズム関連の賞なんかもあるし、私の知らないところでもきっと
さまざまなコミュニティが独自の基準、独自の感性で評価を試みたりしてるんだろうな。
そういうところに垣間見られる風俗や文化的背景っていうのは、なかなか興味深い。
島国で「他者」に疎い日本とは、随分と異なる風土なんだろうと改めて思ってみたり。
さて、公式サイトやチラシで見かける本作のキーヴィジュアルでは、
邦題(プールサイド)の通り、水も滴るボーイズ・ラブが展開されそうな気配が漂いながら、
そうした予想は冒頭から見事に裏切られる。耽美に微塵も執着しない、
現実の「どぎつさ」を静かに凝視する覚悟がみなぎる。
主演の二人は至って「どこにでもいる」生徒と教師。
冒頭で執拗にクローズアップされる生徒の身体部位には、
演出を排した生々しい体毛。一方教師の額は禿げ上がり始めてる。
愛嬌はあっても二枚目などではない二人のキャスティング。
だからこそ観客に生まれる加点方式な視線。
映画は高校教師セバスティアンと男子生徒マルティンのあいだに流れる空気の「匂い」を
じっくりとサスペンスフルに観察してゆく。背後には過剰なまでの演出スコアが絶え間なく。
それを「あざとい」「下品」とみるか、「興味深い」とみるかでも、本作への反応は分かれそう。
私は、独特な不穏を堪能し、「答え合わせ」を期待する悪い癖に沈黙の笑みを浮かべられ、
感慨の行き場を失うも、こうして述懐してみると、どこか普遍を感じる物語に思えもしてくる。
というのも、そもそも「こころ」など不可解極まりないもので、
それを最も把握できない者こそ、その持ち主たる「自分」であったりする矛盾。
「所有」するとは、常に「対象化」できる安堵や余裕を伴う特権であるはずなのに、
自己に関してはむしろ逆。所有してるのに対象化できぬジレンマこそが、
焦りや不安を煽りに煽り、了解の捏造や理解の忌避すら起こしうる。
ラストに滲む悔恨は、誰もが日々味わい生きる類の感傷。
相手の気持はわかっても、自分の気持はわからない。
いや、わかろうとしない。わかりたくない。
わかると、こわい。
本作の原題は『AUSENTE』。
英題だと「absent」。つまり、「欠席」の意。
作中でも、教師であるセバスティアンが出欠をとる場面がある。
主客が相互に理解を図れば、当然相手の「在」が前提となり、
相手が自分をどう見るか、自分が相手をどう見るか、それが問題だ。
しかし、そうした相手の「在」こそが、
対象への逃避による自己の空洞化を促しはしないだろうか?
だからこそ、相手の「不在」が突如「自己への回帰」をもたらしもする。
「失って気づく」的な精神構造の噴出だろう。
目の前にいる間は、相手をどう見るかを自ら操作し管理する。
都合の悪い要素をみんな、相手におしつけ逃避もできる。
そうした対象を失えば、自らに巣食った想いを感じる自己は、
はけ口を失い、言い訳できず。
それでも、「在」の再来が頭をよぎれば、完全受容に至りはしない。
それでは、「不在」が決定的になったとしたら?
◆終始「不穏」な空気を漂わせ続けるも、何箇所か明らかに「笑える」場面もある。
(客席からは全く笑いはこぼれなかったけど)
そうした緊張しながら弛緩をけしかける意地悪さは、ちょっと好きかも。
生真面目な人が放った不意のギャグ、みたいな。
まだ長篇二作の新人監督ながら、今後の展開によっては化けそうなMarco Berger。
◇ラテンビートで観るアルゼンチン映画には豊作が多く、昨年(『カランチョ』)、
一昨年(『檻の中』)と力作が連続で上映されたパブロ・トラペロ(Pablo Trapero)は、
個人的にかなりの注目監督。彼の次回作はなんと、有名監督競作によるオムニバス映画。
ハバナを舞台に、曜日ごとの7篇が一週間の出来事を描くらしい。
ローラン・カンテ(『パリ20区、僕たちのクラス』)やギャスパー・ノエといった
フランス映画の中堅どころから、ベニチオ・デル・トロ初監督という話題性、
エリア・スレイマンやフリオ・メデムといったマイ・フェイヴァリット作品のクリエイター。
日本でも『苺とチョコレート』の共同監督として知られるファン・カルロス・タビオも参加。
キャストにも、ダニエル・ブリュールやジョシュ・ハッチャーソンといった好青年のみならず、
なんとエミール・クストリッツァの名前まである!これはこれは、楽しみです。
それこそ、来年のラテンビートでのお披露目もあるかもね>『7 días en La Habana』
◇本作のラストシーンでは、幻想的な感傷にひたらせてくれるユニークなスコアが流れ、
暗転し、エンドロールがはじまると・・・驚愕の旋律が!
『世にも奇妙な物語』のテーマそっくりな音楽が流れ始めるではありませんか!?
これは日本人(しかもある世代限定?)を狙い打ちにした、悪戯演出かい!?
そう思えてしまうほど、感傷後の処理(笑)に困る不意打ちサプライズな幕切れでした。