運命を変えた一本。
なんて大仰な形容による語りは好みじゃないし、
「そんなもん一本と言わずたくさんあるぜ」と言いたくなる質だけど・・・。
今では劇場未公開作とかまで観に行っては絶賛してみたりな生粋シネフィル気取りなのに。
いまの自分が映画にまみれた生活を送っている現実の根源にある体験が、
実は『タイタニック』を観たことだったなんて・・・。
恥ずかしすぎて、とてもじゃないが言えない(笑)
「きっかけ」というものが明瞭に自覚されることは少ないけれど、
自分が映画を観始めるそれは紛れもなく『タイタニック』だった。
それは極めて格好悪く聞こえる事実だが、実際そうだったんだからしょうがない。
大学に入ってしばらくした頃。
映画というものに漠然とした興味はありながらも、
家から歩いていける距離にシネコンがあろうとも、
映画一本観るくらいなら輸入盤1枚・・・そんな思考が絶対規格。
『タイタニック』のまえに観た映画は『もののけ姫』。
そのまえに観た映画は1年以上前だし、
高校時代に劇場で映画を観たことなんてほとんど記憶にない。
だから、自分の中でも一般的にも明らかに「後発」な習慣である映画観賞において、
「みる眼」に未だ自信がもてなかったり(え?いっつも偉そうに語ってるって?)、
結局は主観感想という言い訳のもとでの述懐に走ってしまうのも、
そうした体験フィルモの短さや浅薄さ(特に初期)があるのかもしれない。
でも。
久々に観た、どころか約14年ぶりに観た『タイタニック』が、
色褪せるどころか輝きを増してさえいるように迫って来た事実は、
気恥ずかしさと不信で回顧するしかない怪訝な過去を、
ちょっとは認めてやりたい余裕を生んだかも(笑)
今更ことわるまでもなく、 本作については評価も考察も不可能で、
あるのはひたすら氾濫する情緒と、十数年間の円環確認。
よく人生は《旅》に喩えられたりするけれど、
一本の映画もやっぱり 《旅》 の様で、
一本の映画をみることも 《旅》 の様だ。
そして勿論、映画を何本もみていくこともまた 《旅》 のよう。
僕の 《旅》 のはじまりは、船旅だったのか。
しかも、いきなり沈没の・・・。
あれから、時間旅行も宇宙旅行も数多の 《旅》 を重ねてきたが、
今こうして二度目の処女航海。
今回も当然、沈没で終わりを迎えたが、
実はそれが終わりじゃないからこそ、《旅》 が始まったのだと初めて気づく。
『タイタニック』のラストシーンは 《夢》 だった。
どんなに 《現実》 が沈没しようとも、《夢》 は必ず浮上する。
映画の《旅》は、はじまりを続ける。
Every night in my dreams
映画館に闇がおとずれる。すると必ず広がる 《夢》。
I see you. I feel you.
僕はスクリーンをじっと見つめ、心は映画の魔法にかかる。
That is how I know you go on.
それは、いつまでもいつまでも消えない《夢》だ。
場内に明かりが灯っても、明るい場外歩いても。
目を閉じ暗がり広がるも、そこに灯り続ける 《夢》 なんだ。
◇一週間ぶりに更新したかと思えば、何なんだ思い出自分語り垂れ流し・・・。
でも、なんか落とし前(?)つけとかないと前へ進めぬ気がして(意味不明)
正直、観る前はちょっと怖かった。
万が一、自分が映画観るようになる「きっかけ」の作品に
心が微動だにしなかったりでもしたら・・・などと邪推して。
結果、笑止千万、見事な杞憂。
なかなか痺れがおさまらぬマイ・ハート、ウィル・ゴー・オン。
勿論、その感動は原体験の反復に拠るところが大きいのかもしれないけれど、
それはそれは“諸先輩方”が「懐かしの名画を観る感覚」ってこういうものなのかぁ~
といった感慨につながったりもして、
映画を観るってことが《体験》であるってことを再確認、激痛感するに至ったりもした。
◇というわけで、「贔屓目」確実ながらも、それゆえに「厳しい目」でもあったはずなのに、
可視的側面に関しては驚異的な完璧さにひたすら酔いしれてしまった事実。
勿論、目に見えない部分の「何もなさ」は公開当初からのコモンセンスながら、
それでもあそこまで《世界》が構築されてしまっては、
映画内で何にも語られなかったとしても、
そこに没入した自己は饒舌にならざるを得ないだろう。
観客が思い思いの 《夢》 をみるという意味では、
もしかしたら極上の「行間(のなさ)」なのかもしれない。
とはいえ、場面の一つ一つや展開の一つ一つには本当に
「あるべき要素」が見事につまっていることを噛み締められたし、
手抜きが全くない集大成としての文化の最高峰を感じもした(大袈裟か)。
◇公開時に観た私が感銘を受けたのはVFXによる「世界」の構築であり、
そこに没入する感覚の唯一無二だったのだが
(本当に《時間》の観念を覆されるほどの体感だった・・・
観終わって3時間以上が経過していたという事実が「よくわからなかった」くらい)、
そうした陶酔は(当たり前のことながら)キャスティングや彼らの存在感も
当然重要だったのだと今更再確認。
そのときもつくづく思ったはずだが、
改めてその瑞々しさが驚異的だったレオナルド・ディカプリオのジャック。
もう奇跡的としか言い様がない。
あれほどまでの「夢の存在」を、
極めて現実的なゲームが司るアカデミー賞が完全スルーだったのも、
今となれば至極当然のように思えてしまう。
いまや大女優然としたケイト・ウィンスレットのその「片鱗」も、
ローズの危うさと見事に結実。
主演二人の《アイコン》ぶりのハンパなさ、奇跡的。
やはり魔術的な何かが働いてこその、「名作」なんだろうなと実感。
◇3D(変換)に関して巷では賛否が真っ二つの印象だが、わかる気がする。
『アバター』でもそうだったが、
キャメロンの3D構想は「飛び出し」や「動き」による立体感強調よりも、
画面全体に奥行きや広がりを感じさせるための3D駆使に本意がある気がするので、
瞬間最大立体感を期待する者にとって物足りないのは当然だろう。
しかし一方で、立体感の自然さにかけては、
彼が構築する映像はやはりずば抜けていると思う。
面的な遠近感ではなく、各面の表面に実在ラインとしての曲線が無数存在している。
3D撮影による『ヒューゴの不思議な発明』で感嘆した「顔」の存在感が、
2D撮影後の3D変換による本作でも同様に確認できたことにただただ驚愕。
ただ、やっぱり予告でも感じたことだが、
乗船前の車から降りるローズの帽子が異様に「飛び出す」設計は奇妙すぎ(笑)
◇後半は、ほとんど3D感を覚えずに観ていた気がするのだが
(沈没等のスペクタクル展開における船舶描写は除く)、
これは意図したことなのか、目が慣れただけなのか、
はたまた変換作業時間の限界か(笑)
このあたりを「物足りなさ」として指摘する声も聞かれるが、
私は(確かキャメロンも語っていた気がするが)
物語への没入感に最適な設計を鑑みてのことなのではないかと受け取った。
IMAXで観賞したこともあり、画面の暗さなどを余り感じずに観られたことも
奏功しているかもしれないが。
◇「不入り」な声も聞こえる今回のリバイバル(でもないよね、正確には)公開。
確かに、『タイタニック』は女性からの支持が強そうな作品ながら、
3Dの訴求力は女性にはあまり働きそうもない。
おまけに、「疲れる」という認識が定着化しつつある3D観賞において、
『タイタニック』の3時間超という上映時間はどう考えても不利。
しかし、実際に観てみれば、「結局、要は作品力」とでも言いたくなるよな
一瞬の出来事だった。目眩く。
私の個人的な印象に過ぎぬかもしれないが、
場内にあふれる映画愛ならぬ『タイタニック』愛。
あんなにまでも皆が皆、
緊張してスクリーンに「釘付け」になっていることが伝わってくる場内の空気は
最近味わったことがないかもしれない。
風邪ひきのくせして、フィルセンやアテネに惰性で通ってきては咳き込んで
観賞妨害のみならず病原菌まきちらしな似非シネフィルどもが醸し出す似非映画愛とは、
雲泥の差。
まぁ、そういう輩は「馬鹿にして」(こういうところが本当に厭だ)
絶対観に行ったりしなさそうだけどね、『タイタニック3D』なんか。
そうした愛の証明のごとく、
2時間足らずの映画でもトイレに立つ客がしばしば見受けられる昨今、
全然トイレに立つ客がいないことにびっくり。
年齢層だって結構高めだったのに。気合いが違うんだな、きっと。
エンドロールの最後までじーっと静かに観続けてたし、皆が皆。
◇しかし、そうした気合いとは正反対に、109シネマズ川崎の対応はちょっと不味い。
まず、3Dメガネの扱いが本当に酷い。
俺が渡されたメガネだって手垢ベトベト。指紋クッキリ認識級。
観賞後の回収だって、底の深いボックスに「放り込め」状態。
観客の方が、「え?このまま落としちゃっていいの?」って表情で
(実際に訊いてる人まで)、結局は皆が丁寧に底のほうにまで手を伸ばして入れている。
3Dメガネは新品配布の持ち帰りというパターンが増えている昨今、
「誰が使ったかわからない」メガネの装着には抵抗ある人増えそうなのに、
配布も回収もそんなんじゃ明らかにダメだろう。
おまけに、値引一切なしの特別料金なのに。
IMAXで観るに値する作品が減るなか(というか、観たい作品に限って上映がない)、
『アバター』特需なんてとっくに終わってもいるだろうに、
上映環境含め(川崎は相変わらず最前座席の背もたれがスクリーンにかかってる)
いろいろ見直して欲しい。
ちゃんとした劇場つくって、ちゃんとした運営をやれば、
日本におけるIMAX市場はまだまだ成長の余地もあるだろうし、
IMAX上映のもつ価値や可能性は劇場観賞における意義を伝道するにも
稀少かつ貴重だと思う。
毎年、4月は本当に余裕がなく
(昨年のブログ更新状況みたら、やっぱり3週間ほど空いていた)、
当然映画を観に行く習慣が途切れがち。
しかし、先週は義務感(笑)から足を運ばざるを得ない、
早稲田松竹でのロバート・アルトマン二本立てと『タイタニック3D』の存在によって、
映画を観ることが自分の生活にとっては最上の「レッドブル」だということを
忙しない4月において早くも認識。
3月末公開組の良作4本の観賞ミッションも何とか完遂し、
GW(=イタリア映画祭&イメージフォーラム・フェスティバル・・・何、この寂しい認識)
前までにも地道ながらも観賞を続けいきたいものです。
と言いつつ、グル・ダットやカウリスマキという伏兵との対峙で
間断なき戸惑いの日々が続きそうだけど。