アンスティチュ・フランセ東京[旧東京日仏学院]にて開催中の特集「映画とシャンソン」。
今回の企画協力者でもあり、
フランスの人気カルチャー・マガジン「レ・ザンロキュプティーブル」編集長で
(元カイエ・デュ・シネマ編集長でも)あるジャン=マルク・ラランヌ氏の講演を聴いた。
内容は、フランス映画においてミュージカル的要素がどのように取り入れられ、
どのような役割を果たしてきたかの変遷を、映画の抜粋を観ながら解説するというもの。
これが、実に簡明ながらも多様な示唆に富んだ切り口語り口。
備忘録的に、(かなりダイジェスト的ではあるが)採録しておこうと思う。
ハリウッドでは古くからミュージカル映画という確たるジャンルがあり、
インドやエジプトなどでも産業的後ろ盾の下に生産されてきたが、
フランスにはそうした形では存在して来なかった。
(ひとつのジャンルとして確立させていない)
歌いはじめたのは、まさに「トーキーの始まり」と符合(意味)する。
例えば、次の作品を観てみると。
ル・ミリオン(1931/ルネ・クレール) Le million
サイレント映画の美学を歌が継承していることがわかる。
追跡やドタバタ、そして集団で歌うことによる意思表明。
サイレント映画の伝統と、トーキーの可能性がハイブリッドな状態にある過渡期。
フランス映画におけてミュージカル要素を見事に昇華させたのは、
ヌーヴェルヴァーグの作家たち。
ハリウッド映画への評価や共感と共に、ミュージカル的要素も受容されてゆく。
そんなハリウッド製ミュージカルにも比肩する作家といえば、ジャック・ドゥミ。
ローラ(1961/ジャック・ドゥミ) Lola
ここでは、女優が歌い出すと「オーケストラ」が鳴り始める。
スクリーンに映っている世界とは別次元の音が聞こえてくる。
『嘆きの天使』のマレーネ・ディートリヒを思わせる衣裳を身にまとい、
その動きまでオマージュが捧げられている。
ジャック・ドゥミはミュージカル映画を夢見てた。
他のヌーヴェル・ヴァーグの作家たちとはそこが異なるが、
なかでもアニエス・ヴァルダ(彼の妻でもある)とは近さを感じるところもある。
5時から7時までのクレオ(1961/アニエス・ヴァルダ) Cléo de 5 à 7
これは、映画で進行する時間と実際の時間が全く同じハイパー・レアリズムな作品。
しかし、一方でこの場面では「幻」のオーケストラが聞こえてくる。
ヌーヴェルヴァーグは、スタジオから飛び出して写実性を追求する一方で、
写実的世界から切り離された様式的な要素も追究していった側面がある。
そして、この場面のように、映画の中で抑圧され続けてきた現実(ヒロインの病)から、
歌が解き放ってくれるという効果をもたらしてくれている。
やがて映画における「歌」は、
ミュージカル映画におけるそれとは無関係なものとして現れてくる。
ゴダールの『女は女である』では、入れ子的挿入によるウォーホル的手法がとられるし、
次の作品のように、歌っている人ではなく聴いている人の存在が意味をなすことも。
女と男のいる舗道(1962/ジャン=リュック・ゴダール)
Vivre sa vie: Film en douze tableaux
ここでは、場面に流れる音楽を「聴く」人間が、それをどう受け止めているか。
その情動こそをとらえようとしている。
そして、ジュークボックスから流れる歌を歌うべき人がそこにいるのに、
それは歌われずに、聴かれるものとして登場している。
シェルブールの雨傘(1964/ジャック・ドゥミ)は、
冒頭から常に台詞が歌にのせられる。
自動車修理工場やそのロッカールームなど、
およそミュージカル映画には似つかわしくない空間にまで歌が入りこむ新鮮さ。
更には、歌のなかに別の歌(例えば、ビゼーの「カルメン」)が入りこむことも。
こういった手法は、20年後の『都会の一部屋』にも継承されてゆく。
『ジェルブールの雨傘』と実に対照的な例を見てみることにする。
ワン・プラス・ワン(1968/ジャン=リュック・ゴダール) Sympathy for the Devil
これは「歌」が生まれる瞬間に立ち会う体験だ。
「歌をつくる」事それ自体が、映画の母体となっている。
80年代までゴダールの映像は音楽から生まれていることがしばしばだ。
『勝手にしやがれ』が公開された年に生まれたレオス・カラックスは、
ヌーヴェルヴァーグ的アプローチを継承しつつも、自ら模索した作家の一人。
汚れた血(1986/レオス・カラックス) Mauvais sang
ここで流れる二曲は、カラックスの二面性を象徴しているように思える。
ヌーヴェルヴァーグも持っていた一面でもある古典が持つ様式への憧憬と、
自らの同時代性(ミュージッククリップ的要素)の標榜だ。
そうした傾向が更に顕著に現れているのが、次の作品だ。
ポンヌフの恋人(1991/レオス・カラックス) Les amants du Pont-Neuf
カラックスは、「完全な映画」を夢見ていたのだろう。
それはもはや、映画という一つのカテゴリーを超越し、
あらゆる芸術との間にある壁を壊そうとしていたに違いない。
すべての芸術の混交として生まれる映画を夢見ていた。
しかし、それに対する産業からは返答はNOであった。
90年代のフランス映画におけるヌーヴェルヴァーグの継承は、
文学的であったり自然主義的な側面において顕著にみられた。
アルノー・デプレシャン、グザヴィエ・ボーヴォア、セドリック・カーン、パスカル・フェラン等。
しかし、2000年代に入ると、それとは異なる流れで継承する作家が出てくる。
その先駆的存在が、クリストフ・オノレだろう。
パリの中で(2006/クリストフ・オノレ) Dans Paris
美しいひと(2008/クリストフ・オノレ) La belle personne
この場面は、ゴダールの『女と男のいる舗道』への明らかなオマージュ。
レア・セドゥがアンナ・カリーナの如く、髪を黒に染めているのもそのためだ。
更に、もう一つの入れ子が存在する。ここで登場するキアラ・マストロヤンニは、
本作の基となった小説『クレーヴの奥方』のオリヴェイラによる映画版の主演女優。
こうしてヌーヴェルヴァーグのボキャブラリーを駆使しようとしたオノレに続くように、
ヴァレリー・ドンゼッリやグザヴィエ・ドランなどによる新たなミュージカル的映画が生まれた。
フランス(2007/セルジュ・ボゾン) La France
本作は、録音済の音源に合わせて演じるのではなく、
ライブ録音的に録られているドキュメンタリー的な側面を併せ持つ。
使われている「楽器」も撮影現場に実際にあるものを用いている。
しかしその一方で、用いられる音楽には
物語の背景となる第一次世界大戦時にはなかった要素がふんだんに。
そうした傾向は、昨今の映画と音楽の関係に顕著となってきている。
『ムーランルージュ』では唱われる歌もそのアレンジも、その時代を「無視」した現代だ。
ソフィア・コッポラの『マリー・アントワネット』では、庭園にニュー・オーダーが響いてる。
そうした潮流のなかで傑出した名場面は、次のものだろう。
メゾン 娼館の記憶(2011/ベルトラン・ボネロ)
L'Apollonide (Souvenirs de la maison close)
20世紀初頭の娼館を舞台にした本作で、
彼女たちは50年後にうまれる1960年代のソウル・ミュージックに「悲しみ」を託す。
以上のように、歌とは、
その瞬間のあらゆる感情を吸い込んだカタルシスを生むのだ。
(以下、本特集に寄せたジャン=マルク・ラランヌ氏の言葉をチラシより引用。)
アメリカ映画のミュージカル・コメディに比較できるジャンルはフランス映画にはない。
専門家(プロの歌手、ダンサー、美術監督など)を育成するシステムが
スタジオの中につくられることもなかった。
しかし、トーキーの発明以来、フランス映画は歌い続けてきた。
フランス映画では、歌は素人の持つ瑞々しさをともなって、突然侵入してくる。
ジャック・ドゥミの作品はまさに他に例を見ない
「歌われた(魅惑の)[アンションテ]」映画の原型と言える。
ゴダールからカラックスまで、ヌーヴェルヴァーグとその後継者たちは
シャンソンという「間」を戦略的に表現方法の中に位置づけてきた。
セルジュ・ボゾン、ヴァレリー・ドンゼッリ、ラリユー兄弟、ティエリー・ジュス、
クリストフ・オノレ、その他、現代のフランス映画の作家たちは
この風変わりなフランス映画の遺産を自らの作品に取り入れている。
不意の出現、予期せぬ出来事、急激な変化として、
シャンソンを突如出現させる方法は、こうしてフランス映画の重要な部分を占めている。
※私の不十分な知識と拙い表現により、
ラランヌ氏の意図の誤った解釈もあるかもしれませんが、
私が解せた範囲内での記録ということで、お許しください。
それにしても、駆け足ながらコンパクトに明晰に、
それでいて物語性を浮かび上がらせる講演内容は実に面白かった。
実際に映像と向き合わせてくれた上で考えさせてくれるというのは親切なだけでなく、
記号的都合好さによる記憶の脱構築にも繋がると再認識。
確認のための参照ではなく、再発見のための再邂逅。
これから映画で出会う「歌」たちが更に楽しみになってきた。