長岡育英センター・ブログ

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幸せは小さな夢の積み重ね【サマーキャンプ・レポ~その1】

2006-08-18 23:46:25 | 育英写真館
サマーキャンプのレポートです。

二日間の暑くも楽しい様子をご覧下さい。

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11日朝8時半に育英センターに続々と
みんなが集まります。

朝の気温は28.3度。みんなの気持ちが空に
通じたのでしょう。青空が広がりました。

三度目の正直で、今年度の行事「初」の晴れです。

9時15分、野口先生の運転するバスに乗せて頂き、
入徳館に向けて出発です。

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大河津分水からシーサイドラインを通る海側の
道を走り、長岡を出ておよそ1時間。

トンネルを抜けると角田山の麓、入徳館野外研修場に
到着です。

出迎えて下さった管理人さんと小島先生に挨拶を
して、荷物を置くと早速最初のスケジュール。
小島先生による史跡巡りがスタートです。



三根山藩が藩庁を置いたこの峰岡の土地は、
少し離れてみるとよくわかりますが、小高い
丘になっているのでした。つまり山です。
「三根山」も「峰岡」もこの地形を指している
言葉なのですね。おそらく。

水害に強い土地を選んで、何もなかった山を
長岡藩から来た牧野氏が開拓していきました。

「この研修場があるところは、学校でした。
みんながいる芝生の広場は前はグランドだったんだよ。
そして、ぐるりと桜の木が囲んでいますね。
春には新潟市長もお花見に来るんだよ。」

「60数年前の第2次大戦の時。先生がまだ
みんなくらい(=小学生)だった頃ね、学校にいると、
頭の上をアメリカの飛行機が飛んで来ました。
 するとみんな学校から出てきて、この桜の木の
下を走って行ってあの杉林に隠れました。
 そうするとね、1時間勉強をしなくていいから、
子ども達は嬉しかったんだよね。」


「長岡には空襲があったね。
 その夜は、この峰岡から長岡の街が赤く燃えているのが
見えたんだよ。空が真っ赤だった。こわかった。」




そんなお話を聞きながら、先人の石碑をたどって
歩きますが、小学生のみんなは、石碑よりも
……「虫」の方が気になります。

「この穴はなんの穴かわかるかな?」

「セミ!」
「セミだよ!」

こういう話には反応が良いです。



石碑を見て歩いたら、入徳館の体育館に入り
写真を見ながらお話を聞きます。

そして、ついに米百俵のお話に。

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「長岡の人達は、2年前大変な目に遭いました。
 ---そうだね。中越地震です。

 そして、その前、60年くらい前には何がありましたか。
 ---第2次大戦ですね。長岡は空襲を受けましたね。

 そのもっと前には何があったかわかりますか?
 ---日本人同士が戦った戦争があったんだね。戊辰戦争です。

戊辰戦争の後、人々が食べるものも無く、困っていた時に、
長岡に米百俵を送ったのがこの三根山藩です。

小林寅三郎という人が、そのお米を一粒も人には渡さないで、
すべてお金に換えて、学校を作ったんだよね。

長岡の人達はこれでもか、これでもか、これでもかとやられても、
そのたびに立ち上がってきたんだよね。

そう、不死鳥のように、立ち上がってきたんだよね。
それだから、フェニックスの花火を打ち上げたんだよね。」



米百俵を送った三根山藩よりも、その米をいただいて
お金に換えて学校を作った方のことばかりが有名です。

しかし、数年前に小島先生が本にまとめる機会があり
その時に調べていったら、実は三根山藩がお米を
送ったのも大変な苦労をしたということがわかった
のでした。

川上自身もお金があったから米百俵を送ることが
出来たと思っていたのでした。しかし、実際には
藩のお金の2年分もの借金をして、それだけ大変な
苦労をしてまで身内である長岡藩のためにお米を
送って下さったのでした。



今のわたし達にそんなことが出来るでしょうか。
食べるものも無い困窮した状態で、それでも人のために、
そして、将来を担う子ども達のために目の前の米を
売ることが、本当に出来るでしょうか。2年分の借金をして
まで、人を助けることが出来るでしょうか。


昔の人々の熱い思いを想像すると、並々ならぬ情熱と決意に、
驚かずにはいられません。

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それから、三根山藩の熱い心を支えたのは、石高が
足りなかったために「大名」になれなかったこと。
そして、どうしても大名になりたいために、夢を
持ち続けたことだと小島先生が言いました。

「幸せは小さな夢の積み重ね」

この言葉が、三根山藩の人々の精神を支えたのでした。

とても素敵な言葉だと思ったのでした。

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少し小学生のみんなには難しかったかもしれないけど、
楽しくお話を聞いた後には、小島先生と一緒に昼食を
いただいたのでした。

お家の人の作って下さったお弁当はおいしいのでした!

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その2に続く。

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Change!! IKUEI!!
 by 川上