さて、この話はバパのトークを読んでの個人的なまとめなのですが、、、。
どうやら「生まれかわり」ということがありそうです。
ただし、本来の人のあるべき段階にまで達した人には「選択の自由」が
あるような、、、。
地球上での自分の成長を含めてやるべきことをなしとげたら、
再度地球上に転生しなくてもいいでしょう。
まあ好みの問題ですけれどもね。
人のあるべき段階というのはとても広くて、その下の方のレベルに達するのさえ
なかなか至難のワザの様です。
で、そこからさらに発展、成長していくとしたら、地球上に再度生まれ変わるという
選択はなかなか考えにくいですね。
そのステージはもう終わりですから、再度やってもあまり経験値が伸びません。
さて、地球上の生活というのはとてもリスクが高いものです。
これはもう嫌というほど日頃から感じるところですよね。
多分それに見合うリターン、成長というのがありえる場所なのでしょうが、なかなか
生活するので精いっぱいの我々にはやっぱりそのままでは難しい場所です。
でもまあラティハンそのものはそんなに難しくはありません。
むつかしいのは我々の心です。
世の中の影響を受けて、というよりも、世の中と相互作用するのが心の仕事。
そんな心の仕事をやりながら、他方でラティハンを受けて本来の段階まで登ってゆく。
この仕事はなかなかどうしてやりがいがありますよ。
57・HAG/10.8
57・LON/11.29
57・MAN/11.11
PS
Wiki 転生<--リンク
PS
一般的なイスラム教とキリスト教の中には「生まれ変わりの概念」はありません。
ということは、これはバパの独自の見解の様に思われます。
死後の霊的な存在を認め、そうして多層になった生命世界を主張するバパであります。
その部分の世界観は一神教的、イスラム的というよりはどちらかというと仏教的、ヒンドゥー教的な輪廻転生の世界観に近い様に見えるのであります。
さらに言いますれば、人が持つカルマのような存在を認め、それをその人のラティハンを受ける能力と関係づけて説明をしています。
そうして、その人の浄化の程度に応じて死後の行先、その中には生まれ変わりもありうる、という立場をとります。
これはまさに因果論であり、仏教の教える所のものであります。
さて、それらのものを「霊的真実」、「霊的リアリティー」と認めるのかどうか、、、ということでそれぞれの人の立場というものは随分と変わってくるように思われます。
一方で一神教的でありそうしてまた他方で多神教的であるバパの立場というのは、このようにとても複雑なものに見えるのでありました。
2016.1.16
PS
ご参考までに
書棚からブライアン・ワイス(Brian L. Weiss)の『前世療法』を手にとってパラパラめくっていたら、気になる記述があった。
かつて、聖書には「輪廻転生」が記されていた、というくだりである。
・・・・
この1週間の間、私はコロンビア大学の1年生の時に取った比較宗教学の教科書を読み返してみた。
旧約聖書にも新約聖書にも、実は輪廻転生のことが書かれていたのだそうだ。
紀元325年、時のローマ皇帝、コンスタンチン大帝はその母へレナとともに、新約聖書の輪廻転生に関する記述を削除した。
紀元553年にコンスタンチノープルで開催された第2回宗教会議において、この削除が正式に認められ、輪廻転生の概念は異端であると宣言されたのであった。(p31)
・・・・
「比較宗教学の教科書」にも載っているらしいので、知らぬは私ばかりなりで、業界ではよく知られた話なのであろう。
・・・・
詳細はこちらを参照ねがいます。<--リンク
PS
「ジワ(Jiwa)と転生の物語」にはこちらから入れます。<--リンク
PS
ご参考までに・・・
生まれ変わる主体としてのJiwa(魂)<--リンク
PS
文字サイズはページ右上で変更できます。
ラティハン日記 目次 にはこちらから入れます。<--リンク
どうやら「生まれかわり」ということがありそうです。
ただし、本来の人のあるべき段階にまで達した人には「選択の自由」が
あるような、、、。
地球上での自分の成長を含めてやるべきことをなしとげたら、
再度地球上に転生しなくてもいいでしょう。
まあ好みの問題ですけれどもね。
人のあるべき段階というのはとても広くて、その下の方のレベルに達するのさえ
なかなか至難のワザの様です。
で、そこからさらに発展、成長していくとしたら、地球上に再度生まれ変わるという
選択はなかなか考えにくいですね。
そのステージはもう終わりですから、再度やってもあまり経験値が伸びません。
さて、地球上の生活というのはとてもリスクが高いものです。
これはもう嫌というほど日頃から感じるところですよね。
多分それに見合うリターン、成長というのがありえる場所なのでしょうが、なかなか
生活するので精いっぱいの我々にはやっぱりそのままでは難しい場所です。
でもまあラティハンそのものはそんなに難しくはありません。
むつかしいのは我々の心です。
世の中の影響を受けて、というよりも、世の中と相互作用するのが心の仕事。
そんな心の仕事をやりながら、他方でラティハンを受けて本来の段階まで登ってゆく。
この仕事はなかなかどうしてやりがいがありますよ。
57・HAG/10.8
57・LON/11.29
57・MAN/11.11
PS
Wiki 転生<--リンク
PS
一般的なイスラム教とキリスト教の中には「生まれ変わりの概念」はありません。
ということは、これはバパの独自の見解の様に思われます。
死後の霊的な存在を認め、そうして多層になった生命世界を主張するバパであります。
その部分の世界観は一神教的、イスラム的というよりはどちらかというと仏教的、ヒンドゥー教的な輪廻転生の世界観に近い様に見えるのであります。
さらに言いますれば、人が持つカルマのような存在を認め、それをその人のラティハンを受ける能力と関係づけて説明をしています。
そうして、その人の浄化の程度に応じて死後の行先、その中には生まれ変わりもありうる、という立場をとります。
これはまさに因果論であり、仏教の教える所のものであります。
さて、それらのものを「霊的真実」、「霊的リアリティー」と認めるのかどうか、、、ということでそれぞれの人の立場というものは随分と変わってくるように思われます。
一方で一神教的でありそうしてまた他方で多神教的であるバパの立場というのは、このようにとても複雑なものに見えるのでありました。
2016.1.16
PS
ご参考までに
書棚からブライアン・ワイス(Brian L. Weiss)の『前世療法』を手にとってパラパラめくっていたら、気になる記述があった。
かつて、聖書には「輪廻転生」が記されていた、というくだりである。
・・・・
この1週間の間、私はコロンビア大学の1年生の時に取った比較宗教学の教科書を読み返してみた。
旧約聖書にも新約聖書にも、実は輪廻転生のことが書かれていたのだそうだ。
紀元325年、時のローマ皇帝、コンスタンチン大帝はその母へレナとともに、新約聖書の輪廻転生に関する記述を削除した。
紀元553年にコンスタンチノープルで開催された第2回宗教会議において、この削除が正式に認められ、輪廻転生の概念は異端であると宣言されたのであった。(p31)
・・・・
「比較宗教学の教科書」にも載っているらしいので、知らぬは私ばかりなりで、業界ではよく知られた話なのであろう。
・・・・
詳細はこちらを参照ねがいます。<--リンク
PS
「ジワ(Jiwa)と転生の物語」にはこちらから入れます。<--リンク
PS
ご参考までに・・・
生まれ変わる主体としてのJiwa(魂)<--リンク
PS
文字サイズはページ右上で変更できます。
ラティハン日記 目次 にはこちらから入れます。<--リンク