昨日の紅麹ですが、紹興酒の醸造にも使われるようですね。でも、Rhizopusをはじめとする黒カビがメインだと思います。もうちょっと勉強しないとちゃんとしたことがここで書けないっす・・・。問題はこれがどんな料理に使えるのかなんですが、検索してみても甘い味なんでお菓子に使われる紹介記事ばっかりでした。しょうがないので、野菜炒めを「食べるラー油」と擦りニンニクで辛い味付けして甘い紅麹を加えてみました。ちょっと複雑な味になったようです。好みにもよりますが、麹の酵素によって澱粉が分解された自然な甘さなんで僕は嫌な感じはしません。
京大、大阪府立10高とタッグ 次世代リーダー育成 初の協定 教授ら特別授業(産経新聞) - goo ニュース
僕の卒業した高校も入ってます。いいなぁ、羨ましい。橋下さんが大阪府知事時代に問題にしていた大阪府の教育にも中には良い点もありまして、そのひとつは「府立の公立高校が強い」ということ。僕のいた四条畷高校もだいたい京大と阪大に40人ずつくらい毎年入学させていました。そういう公立高校がどの学区にも1つはあるのが大阪のええとこです。隣接している兵庫県や京都府ではこうはいきません。まあ、とにかく、近畿は通学圏内に旧帝国大学が2つもあるという贅沢な地域でありまして、例えば阪大に入学した後も優れた研究者のセミナーを聴きに京大へ行ったりできるのです。他にも神戸大学や奈良先端大学院大学があります。
少子化によって学歴がインフレしてきていますが、それだけに優れた学生をどうやって集めるかが大学にとってさらに重要になってきています。世界的にもそういう傾向だそうです。秋入学制度もその対策の一環なんでしょうが、やっぱり地域内のいい高校に行って密接な関係を持つのは圧倒的に有利でしょう。エコヒイキといわれようが、大事なのは結果です。悪平等主義は、高等教育の世界では有害でしかありません。阪大も頑張れよ。
つくばの子ども、夢は「科学者・研究者」 学習時間トップクラス 専門家「周辺環境が影響」
やっぱ、小さいときからの環境って大きいのです。そういう意味で社会はその地域にある研究機関や大学を大事にした方がええと思うんだけど・・・なんで金沢は大学を山奥に移したんだろう?
京大、大阪府立10高とタッグ 次世代リーダー育成 初の協定 教授ら特別授業(産経新聞) - goo ニュース
僕の卒業した高校も入ってます。いいなぁ、羨ましい。橋下さんが大阪府知事時代に問題にしていた大阪府の教育にも中には良い点もありまして、そのひとつは「府立の公立高校が強い」ということ。僕のいた四条畷高校もだいたい京大と阪大に40人ずつくらい毎年入学させていました。そういう公立高校がどの学区にも1つはあるのが大阪のええとこです。隣接している兵庫県や京都府ではこうはいきません。まあ、とにかく、近畿は通学圏内に旧帝国大学が2つもあるという贅沢な地域でありまして、例えば阪大に入学した後も優れた研究者のセミナーを聴きに京大へ行ったりできるのです。他にも神戸大学や奈良先端大学院大学があります。
少子化によって学歴がインフレしてきていますが、それだけに優れた学生をどうやって集めるかが大学にとってさらに重要になってきています。世界的にもそういう傾向だそうです。秋入学制度もその対策の一環なんでしょうが、やっぱり地域内のいい高校に行って密接な関係を持つのは圧倒的に有利でしょう。エコヒイキといわれようが、大事なのは結果です。悪平等主義は、高等教育の世界では有害でしかありません。阪大も頑張れよ。
つくばの子ども、夢は「科学者・研究者」 学習時間トップクラス 専門家「周辺環境が影響」
やっぱ、小さいときからの環境って大きいのです。そういう意味で社会はその地域にある研究機関や大学を大事にした方がええと思うんだけど・・・なんで金沢は大学を山奥に移したんだろう?
日本語には時制 (tense) はない。
過去・現在・未来のそれぞれの世界を脳裏に描くことは難しい。
前世・現世・来世に関するインド人の教えも、日本語脳では定かでない。
「我々はどこから来たか」「我々は何者であるか」「我々はどこに行くか」といった哲学的命題は考えられない。
理想 (ideal) は、未来時制の内容である。
意思 (will) も未来時制の内容である。
理想がなければ、未来社会の建設計画もない。
意思のないところに方法はない。(Where there’s a will, there’s a way).
意思はなくても恣意 (self-will) はある。
建設的な話はできなくても、出来心はある。
問題解決の能力はなくても、事態を台無しにする力だけは持っている。
政治は遅々として動かない。人々の頭を閉塞感が襲う。
英語のリスボンシビリティ (responsibility) は応答可能性であり、自己の意思により現実対応策を考えて行使するものである。
責任は、自由意思により果たすところが大切なところである。
意思なくしては、責任は果たせない (責任はとれない)。とかく、この世は無責任となる。
ところが、日本人には意思がない。子供・アニマルと同様である。
場当たり的な行動にでるしかない。
未来時制の内容に確信は持てない。不安ばかりが募る。
ただ目的の遂行だけを求められるならば、耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶことになるのは必定である。
以前マッカーサ元帥は、日本人を12歳と評したことがある。
日本人は彼の評に立腹こそすれ、その意味を深く掘り下げることはしてこなかった。
我々は、浅薄である。秋入学の動きは、浅はかである。だから、留学生は、我が国を避けて英米に行く。
知的な人になるためには、英米の高等教育が必要である。これは国際的な判断である。
英米の高等教育は、奥の深い大人になるための更なる英語の勉強である。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
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