村の笛吹きの、日々のこと。

茨城県東海村のこうやフルート教室の講師、市村明日美の、ちょっと思ったことなどを、ひそかに書いています♪

5年ですねえ。

2016年03月12日 | 日々のこと

 さて、昨日は、3月11日。あの震災から5年ですね。

 あの時は、…とっても、大変でしたよね。

 そのあたりの時の実家。

 実家は大変にめちゃくちゃに壊れましたので、立て直しししたのでした。

 大谷石で家の周りを囲っていた塀は、何やらすっきりと、全部塀であることを辞めて石にもどってしまったし…

 あの頃、毎日、何をしていたのか…、実は、殆ど記憶がないのです。

 結婚式を目前に控え、住む家も決まって、という状態だった私たちは、家がそんなことになってしまったので、3月11日に、まだ、家具も家電もなーーーんにも無い(しかし、余震が続く中ではこの上なく安全な状態)、新居で生活を始めました。本当に、新生活、というか、0からのスタート、というか、避難、でしたよね。

 でも、震災のほんの数日前に、管理会社さんから鍵を受け取ったばかり。実家は大変な状態だったので、とっても幸いでした。

 父は震災の時、新幹線で北上川を渡る橋の上。翌日昼まで橋の上にいたそうです。その後、みんなで歩いて陸まで渡ったとか。妹はせっかく頂いていた就職内定が震災を理由に取り消しになってしまうし、結婚式はもちろん延期。夫も仕事は一か月もお休みになり。

 妹は、住んでいた東京のアパートを立ち退くはずだったのですが、退去のための管理会社さん立ち会いの日に、

 …就職の内定が取り消しになって、実家が崩れて、実家に帰る手段も無くて、

 と、いう状態で、と言ったら、

 何でもいいからそこに住んでて下さい、

 と、言って頂けたと。

 

 実家は、敷地内の建物を順次解体したり立てたり…一年半くらいかかりましたが…とにかくとっても大変だったのですが、本当にたくさんの方の優しさにふれました。

 震災で、いろんなものが壊れたり、とんでもない非常事態だったのに、そんな時に、助けて下さる方がたくさんいて。

 家が壊れて施錠もできないので家を離れられず、でも家の中にいるのも危険で、夜は庭に停めた車に寝ていた母に、落ち着くまで使ってね、と、キャンピングカーを持ってきて下さった方、お見舞いを持って来て下さったり、遠くから送って下さった方。夫(まだ結婚していませんでしたが)のご両親は、実家の様子を知ったらすぐに、「大変でしょうから、おばあちゃんお預かりします!家にいらして下さい!!」と言って下さったり、(さすがにそこまではお願いはできませんでしたが、あの状況で、そのお気持ちが本当にものすごくありがたかったです)クーラーボックスに食料品をたくさん入れて持って来て下さったり。

 教室の方でも、電話が使えるようになったらすぐに、生徒さんたちから、「大丈夫ですか?」「教室で力仕事が必要な時は呼んでくださいね」「食べ物やお水無かったら持って行きますよ」、などと、ご連絡を頂きました。

 こんな非常時に、そんなに他人のことを思って下さるなんて、本当に、ありがたいなあ、と思うことがたくさん、でした。

 何気ない日常が続いていることが、どんなに奇跡的なことか、どんなにありがたいことか、本当に、実感した、出来事でした。

 

 たくさんの方々が、犠牲になられました。今でも、悲しい思い、不便な生活をされている方がたくさんいらっしゃいます…。

 同じ日本に、今。

 私も、できることを、やらねば、と、思います。

 ささやかですが、募金をする、くらいしか、今の私にできることはないのですが、被災地を訪れて、その地の経済活動に参加する?というか、宿泊したり、食事したり、お土産を買ったり、乗り物に乗ったり…ということをする方が、募金よりずっと、役に立てる、ということを聞きました。

 

 それぞれが、できることを、積極的に、やっていかねば、と、思います。

 そして、毎日を、大切に、丁寧に、感謝の気持ちを忘れずに、生きていけたらいいな、と、思います。