村の笛吹きの、日々のこと。

茨城県東海村のこうやフルート教室の講師、市村明日美の、ちょっと思ったことなどを、ひそかに書いています♪

モアイ

2015年01月13日 | 日々のこと

 先日、家で、夫と、モアイの話になりました。

 モアイってどこにあるの? … イースター島じゃないの? …イースター島って、どこの国?…チリだよねえ、確か…

 という話になり、本棚から地図を引っ張り出してきて、確認。

 すると、思った以上に、チリからイースター島は、遠い。

 

 アメリカ大陸の東から西までも距離と、ほぼ変わらなく見えます。時差も、本土と、2時間もあります。(本当は、時差は3時間の経度にありますが、イースター島は2時間の時差にしているようです)

 しかも、周りの島々は、フランス領や、イギリス領が多く、私は、

 「へえええ、よくここはフランス領とかイギリス領にならなかったねえ」

 と、不思議な気分。すると夫は、

 「おかしくねー?遠すぎんじゃん、どうやってここまで行ったの?」

 と、納得いかない様子。

 「陸地から見えないよねえ」

 と。

 それだけ離れていたら、もちろん見えませんよねえ。水平線って、大体、4キロちょっと先にある、って聞いたことがあります。

 ということは、はるかかなたに見える水平線も、4キロほどしか離れていない、のです。

 「こんな遠くの島に人昔、間はどーやって行ったんだろう?そんな距離泳げないよねえ。」

 と、考え込んでいます。そして、

 「あっ!!昔は陸地だったんだ!!」

 と、むちゃくちゃなことを!!

 え?!それって、パンゲアとかの時代ですか?!

 と、本棚から地理の本を引っ張り出して、調べます。(←チリの話が地理に発展しました)

 地球上の大陸がほとんど一つにまとまっていた、のを、「超大陸パンゲア」と呼びますが、それががあったのは、約2億5000年前。だそうで。

 その頃まだまだ人類はいないから、人が住み着いたイースター島が大陸から切り離されて太平洋に移動したとは考えられませんよね。

 イースター島は、ナスカプレートと太平洋プレートの境目のちょうど上あたりにあるので、パンゲアから離れた、より、プレートの移動とか、火山活動とかに伴ってできたのでは??(私の予想ですが)

 本当に、どうやって行ったんだろう??

 そんなところに人がいるなんて、とても不思議。

 ちなみに、モアイが作られたのは、10世紀から17世紀らしく、大航海時代よりもずっと前の時代のようです。

 ということは、ずっと昔から人がいたんだなあ…。

 うううううむ。夫婦で、悩んでいましたが、私の出した結論。

 

 周りを海に囲まれた島では、生き物は独自の進化を遂げる。ガラパゴス島や、西表島みたいに。

 周りの大陸からものすごく離れているイースター島が独自の進化をしても全く不思議は無い。

 地球規模で恐竜が繁栄し、滅び、哺乳類の時代が来ても、そんなことはイースター島は関係ない。

 イースター島では、モアイが栄えていた!!

 

 「ええええ?!あんなでかいのが歩いたり立ったり座ったりしてたの?!大変じゃん!!」

 夫はびっくり。

 そう、大きすぎて滅びちゃったのかも。

 なんて。

 (*^。^*)

 

 久しぶりにいろいろ見ていたら、この分厚い地理の本はとってもおもしろくて、夫婦で、へえええ、とか、ほおおおお、とか言って、ずっと見ていました。

 しかし、私が小学生の頃から持っていたこの本、1990年代の発行。まだユーロも使われていなければ、ドーバー海峡にトンネルもない時代のもの。

 

 新しいの欲しいねー、と、昨夜、早速二人で本屋さんに行き、2015年版の、地理の本を買って来ました☆これまたおもしろーい☆

 

 それによれば、モアイを作った人たちは、部族間の争いで文明が消滅してしまい、モアイについては分からないことがいっぱい、だとのこと。

 へええええ。でも、この人たちは、どこからどうやって来たんだろう??モアイはどうやって作ったんだろう?より、そっちが気になる私です。

 

 今日のお昼に、夫から、こんなメールが来ました。

 

 「モアイは宇宙人が作った」

 

 ほおおおおおう!!