NEVER TOO LATE

この年齢になって、チェロを始めた、、、、、

蝉時雨

2008年07月28日 | チェロ
 いっこうに雨は降らず、そのかわり朝っぱらから蝉だけが元気です。
油蝉を見つけましたが、なぜか一人あじさいの葉っぱの上にカエルよろしく
鎮座していました。
涼んでいるのか、孤独に浸っているのか、さだかではありません。
せっかくやっと出てきたのに、この暑さでは蝉も難儀なことでしょうが、
餓鬼の虫取り網に追い回されることもなくなり、のんびりできるのでしょう。

 チェロを担いで車庫まで歩くだけで、背中を汗が流れるようなそんな日曜日、
一ヶ月後に迫った発表会に向け、合同練習へでかけました。
 前半は「シャコンヌ」。
あらためて集中的さらったので、随分ましになりました。
ただ、メトロノームに合わせ全員で合わせたのですが、
けっこう勘違い?していた箇所が見つかりました。
そのことはまたいずれ。
 後半は「リュートのための古風な舞曲とアリア」
難曲ですが手に負えないという感じがなくなったのは進歩かなと思っています。
ただし、思ったように指は動いてくれません。
ピチカートとアルコの交錯中に弓でチェロを傷つけてしまいました。


BPO12-2

2008年07月14日 | 聴く
 後半は
Joy of Musicと題され、軽いプログラムが組まれていました。
エルヴィス・プレスリー:ラヴ・ミー・テンダー
エディット・ピアフ :ばら色の人生
デューク・エリントン :キャラヴァン
などなど。といっても、編曲がどれも素晴らしく、
もちろんテクニック的にも軽いなどとはとても言えませんが。

 さて、その開始前、会場がざわめきました。
なんと、天皇皇后両陛下がお見えになり、会場は総立ち。
グレイのスーツと淡いレモン色のドレス。
実は、12名はプログラムにあるような白のサマースーツでなく、
黒を着ていたので、予感はしていたのですけどね。
おかげで予定外の「荒城の月ー三枝成彰編曲」が
いくつかのアンコール(ピンクパンサーのテーマ~これがまた秀逸)
のあとに、ラストピースとして捧げられました。
ちなみに、後半のプログラムの中の一曲は三枝成彰の「ラグタイム」が入ってい
て、作曲者も来場していて紹介されていました。
さらに、ちなみに、三枝成彰氏は荒城の月以外にも
日本の作品を彼らのために編曲したいきさつがあります。

 ということで、夕暮れ迫る羽田で蕎麦豆腐で冷酒をちびちびやって、
鴨せいろをおかわりまでし、
実に、最高の一日を過ごしたというわけです。

BPO12-1

2008年07月14日 | 聴く
 東京も梅雨が明けたらしく、濃い緑がきらきら輝く中、
サントリーホールへでかけてきました。

http://www.nikkei-events.jp/concert/con080713.html

 地下鉄六本木駅から歩いて10分あまり、
背中はじっとり汗ばみ、歩道橋をあがり降りするのも難儀でしたが、
何しろ、チェロアンサンブルというカテゴリーを作り上げた
われわれにとっては究極のグループです。気持ちは萎えません。

 驚いたのは、日曜日の14:00からの開演であったのに、
13:00頃にはホール周辺は「何ごと?」といぶかしむであろうほどの人波。
完売とは聴いていましたが、たかが?チェロアンサンブルの演奏会に
これほど多くのファンがいることを実感しました。
そこいらのちょっとしたオーケストラではこんな事にはならないはずで、
嗜好が多様化しているのでしょう。

 知る人ぞ知るチェロアンサンブルの名曲、クレンゲルの「賛歌」ではじまりましたが、
言葉では言い尽くせない神秘的弱音から巨大なうねりまで、
背筋がぞくぞくするとはこの事、という体験をしました。
同じ曲で、こうも違うのかというため息が出て、
もう、うっとりというのが偽らざる感想。~続く



梅雨あけ

2008年07月10日 | チェロ
 例年より20日も早く梅雨あけを迎えました。
6月末のレッスン帰りに見た夕空の趣は間違っていなかったわけです。
 で、夏本番のきつい陽射しの中、個人レッスンへ出かけました。
レスピーギ一本に絞って練習を重ねて臨みました。
その甲斐あってか、笛子先生はご機嫌麗しく、
レッスンというより、指使いの検討、弓使いの確認といった作業を
一緒にしてくださった、という感じでした。
けっこう苦労して決めた指使いをかなりの箇所で変更させられましたが、
「そこはビブラートをいれて欲しいからね」
「ここは暗い音が欲しいからね」
そんな感じで意味のない音はないという意図が明確で、納得の二時間でした。